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第19話 ネットの追跡
凪の部屋には、いつもの夜の音が残っていた。
キッチンには洗った皿が伏せてあり、テーブルの端には譜面が開いたまま置かれている。壁際にはギターが二本並び、窓の外からは遠い車の音が薄く入ってきた。
いつもと違うのは、凪隼人がさっきから何度もスマートフォンを手に取っていることだった。
ソファへ寝転び、天井を見る。
少しして画面を開く。
何もせず閉じ、また手を伸ばす。
店で月城玲士が言った言葉が、まだ頭に残っていた。
感情が先にあって、作品になって、誰かが返す。
やめたつもりは、一度もなかった。
普段の月城と同じ声だったはずなのに、どちらも妙に消えない。
「……何なんだよ」
凪は身体を起こし、スマートフォンを顔の前へ持ち上げた。
検索欄へ指を置く。
少し迷ってから打った。
月城玲士。
検索結果には、見慣れない肩書きがいくつも並んだ。
VERTEX MUSIC GROUP専務執行役員。グローバルA&R統括。海外事業、新人発掘、業界インタビュー。
壇上で話す写真も、海外の会場で撮られた写真もある。
凪は画面を眺めながら眉を寄せた。
「……肩書き多すぎだろ」
普段、自分の前で飯を食い、ギターを聴きながら笑っている男とは少し違って見えた。
さらにスクロールする。
かなり古い日付の記事がひとつ混じっていた。
都内のインディーズライブについて書かれた個人ブログだった。
開くと、背景は崩れ、リンクもいくつか切れている。写真も半分は表示されなかった。
その中に、短い感想が残っていた。
『Blue Hourってバンド良かった。
Vo.月城さんの声、
低いのに真っ直ぐで反則』
凪はソファから身体を起こした。
「……は?」
下へ進むと、自主制作CDを買ったという記述もある。
Blue Hour。
その名前を見て、屋上で月城が少しだけ歌った夜を思い出した。
大学の頃に歌っていた。
売れなかった。
月城はそう言っていた。
凪は検索欄へ戻り、今度はBlue Hourと月城玲士の名前を並べて打った。
中古販売の履歴が一件出る。
在庫はない。
別の個人売買ページも売却済みだった。
オークションの終了履歴には、古いジャケット写真だけが残っている。
青い夕方の街と、信号待ちをする人影。
その端に、小さくBlue Hourと入っていた。
凪は画面を拡大した。
「……センスあるじゃねぇか」
言ってから、自分でも少し笑った。
さらに探す。
閉鎖された掲示板、残っている魚拓、古いライブ告知。
その中に、下北沢のライブハウス名があった。
Blue Hour出演。
十九時四十分。
凪は画面を見たまま吹き出した。
「おじさん、ちゃんと下北いたんだ」
今の月城からは、すぐには想像できない。
狭いライブハウスでマイクを持ち、汗をかきながら歌っていた頃がある。
凪はしばらくその告知を見ていた。
やがてスマートフォンと財布を掴んだ。
パーカーを羽織り、鍵を持って部屋を出る。
駅前の雑居ビル三階にある中古レコード店は、まだ営業していた。
狭い階段を上がって扉を開けると、古いロックが流れる店内にCDが隙間なく並んでいる。
凪はインディーズの棚から探し始めた。
アルファベット順に見て、Bの列を追う。
Blue Hourはない。
隣の棚も確認し、もう一度同じ場所へ戻る。
それでも見つからなかった。
凪は小さく舌打ちした。
レジの奥では、店員が雑誌を読んでいる。
一度そちらを見る。
声をかけず、また棚へ戻った。
「……何やってんだ俺」
呟いても、帰る気にはならなかった。
三周目の途中で、店員の方から声がかかる。
「何か探してます?」
凪は少し黙った。
「……昔の自主制作CD」
「タイトルは?」
答えるのが妙に悔しい。
「Blue Hour」
店員の眉が少し動いた。
「珍しいですね」
凪もすぐに顔を上げる。
「ある?」
「前に入ったんですけど、先月売れました」
凪はしばらく店員を見た。
「……先月」
「また入れば連絡できますよ」
凪は棚へ視線を戻した。
「大丈夫です」
待って入荷を知らせてもらうのは、何か違う気がした。
店を出ると、夜風が少し冷たかった。
階段を下りながらスマートフォンを開く。
検索履歴の一番上には、まだ月城玲士の名前が残っている。
凪はそれを消さず、画面を閉じた。
「……やめたつもり、ないんだろ」
駅の灯りへ向かって歩きながら、もう一度だけその言葉を思い出した。
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