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第20話 昔より今
凪の部屋には、古い録音の音が流れていた。
テーブルの上には、中古店を三軒回ってようやく見つけたCDケースが置かれている。透明なケースには細かな擦り傷があり、角も少し欠けていた。
Blue Hour。
バンド名をそのままタイトルにした自主制作CDだった。
ジャケットには、青い夕方の街と信号待ちをする人影が写っている。
二千八百円。
高いとは思ったが、レジでは迷わなかった。
プレイヤーから一曲目が流れている。
録音は古く、今の音源に比べれば音圧も薄い。ドラムは少し軽く、ミックスにも粗さが残っていた。
それでも、声だけは妙に耳に残る。
若い月城玲士の声だった。
低さは今と変わらない。
ただ、今より少し尖っていて、迷う前に前へ出ていくような声だった。
凪はソファに座り、腕を組んだ。
「……へえ」
二曲目に入る。
ギターのカッティングは少し粗い。
それでも勢いは止まらない。
サビへ入る直前、演奏がわずかに走った。
凪は笑った。
「ミスってんじゃねぇか」
そのまま止まらず、曲はサビへ入っていく。
今の月城なら、きっと一度止めて整えたくなるところだった。
凪は少し身体を起こした。
曲が終わると、最初へ戻す。
もう一度聴き、気になったところだけ戻した。
「……そこ、そう行くのか」
壁際のギターを取り、アンプにはつながずに弦へ触れる。
さっき聴いたコードを探す。
一度鳴らして首を傾げ、指の位置を少し変える。
今度は近い。
CDを止め、また頭から流した。
音を聴き、止めて、自分でも鳴らす。
それを何度か繰り返すうちに、床にはCDケースとピックとメモが散らばっていた。
凪はソファへ深く座り直し、表題曲のサビをなぞる。
そのまま弾くと、妙に綺麗になった。
一度止める。
今度は少しだけ手を急がせ、音の端を揃えすぎないようにする。
さっきより近かった。
「……ああ」
凪はもう一度、同じところを弾いた。
若い月城の音には、整える前の勢いが残っている。
売れるかどうかも、どう見られるかも、まだ後ろにある。
先に出ているのは音だった。
凪が同じコードを弾けば、そこへ自分の癖が混ざる。
Blue Hourの曲なのに、少しずつ別の音になっていく。
それが面白かった。
スマートフォンが震えた。
画面には月城玲士の名前が出ている。
凪は眉を寄せて通話を取った。
「何」
「こんばんは、が先じゃないかな」
「用件」
電話の向こうで、小さく笑う気配がした。
「今、何してる?」
凪は床に置かれたCDケースを見た。
「別に」
「ギターの音がするけど」
凪の指が弦の上で止まる。
「……何で分かる」
「呼吸で分かる」
「こわ」
「久しぶりに言われたね」
凪はギターを膝へ置いた。
少し黙ってから言う。
「おじさん」
「うん?」
「昔、ミスってそのままサビ入った曲あるだろ」
電話の向こうが静かになった。
「……二曲目か」
凪は眉を上げる。
「覚えてんのかよ」
「覚えてるよ。落ち込んだからね」
「そのまま押し切ってたじゃん」
「若かったんだ」
「今は?」
「今も、君に電話してるくらいには若いよ」
凪は天井へ視線を向けた。
「きも」
「失敗したかな」
「してる」
しばらく、どちらも何も言わなかった。
凪は指先で弦を軽く弾く。
小さな単音が部屋へ落ちた。
「……それで」
月城の声が少し柔らかくなる。
「CD、見つけたんだね」
凪の手が止まった。
「何の話だよ」
「Blue Hour」
「知らねぇ」
「そういう時、君は語尾が少し速い」
凪は舌打ちした。
「音のストーカーかよ」
電話の向こうで、月城が声を立てて笑った。
「それ、最初に君が私へ言った言葉だ」
「うるせぇ」
「今は君がそれだよ」
返す言葉が見つからず、凪は代わりにギターを鳴らした。
Blue Hourのサビ。
何度も弾いたせいで、もう最初に聴いた音とは少し違う。
電話の向こうで、月城の呼吸が一度止まった。
「……それは反則だ」
「何が」
「私の昔より、今の君の方がいい」
凪は何も返さず、ギターのネックへ視線を落とした。
「切るぞ」
「おやすみ、凪」
返事をする前に通話が切れた。
部屋には、古いCDの回転音だけが残った。
凪はしばらくギターを膝へ置いたまま動かなかった。
やがて、もう一度サビを弾く。
「……うるせぇんだよ」
さっきより少しだけ強く鳴った。
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