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第26話 終演後、まだ近い
ロンドンの夜は、終演したあとにも熱を残していた。
会場の照明は落ち、客席のざわめきも壁の向こうへ遠ざかっている。通路ではスタッフがケーブルを巻き、機材ケースを閉じ、撤収の足音が行き交っていた。
月城玲士は、関係者ラウンジの窓際に立っていた。
手元のグラスには、まだほとんど触れていない。
窓の向こうにはテムズ川が流れ、その先で街の灯りが水面へ滲んでいる。
興行としては問題のない夜だった。
配信の初速も悪くない。現地の反応もよく、すでに追加取材の打診まで入っている。
月城はスマートフォンの通知を一度確認し、そのまま画面を伏せた。
頭に残っているのは、さっきのステージだった。
通路の向こうから笑い声が近づいてくる。
先に見えたのは桐島智也だった。
ジャケットを肩へ掛け、喉を守るためなのか温かい飲み物のボトルを持っている。
その隣を、凪隼人が歩いていた。
ギターケースを背負い、スマートフォンの画面を智也へ向けている。
「だから、ここ外してるって」
「え、うそだろ」
「ほんと。歌詞カードの英訳」
「誰が作ったんだよ」
「知らないけど雑」
智也が声を上げて笑った。
歩きながら肩が触れそうになり、少しだけ離れる。それでも、すぐにまた同じ歩幅へ戻った。
月城はそのまま二人を見てから、窓へ視線を戻した。
「月城さん」
智也が気づいて手を上げる。
月城も顔を向けた。
「今日は助かりました」
「こちらこそ。いい夜だった」
凪は軽く会釈しただけで、ラウンジの冷蔵庫へ向かった。
「水、勝手にもらっていい?」
「君は毎回、確認だけして勝手だね」
「確認してるだけ偉いだろ」
凪は二本取り出し、そのうち一本を智也へ投げた。
智也は片手で受け取る。
迷いのない動きだった。
月城は手元のグラスを持ち直した。
少し遅れて、相沢涼もラウンジへ入ってくる。
「玲士さん、顔かたいよ」
「そうかな」
「商談失敗した人みたい」
「成功したよ」
「じゃあ私情だ」
相沢が笑った。
その後ろから榊悠司も入ってきて、壁際へ立つ。
何も言わないが、こちらを一度見ただけで大体のことを拾っている顔だった。
月城はため息まじりに笑う。
「君たちは、人の心を雑に読むね」
「分かりやすいからです」
遅れて入ってきた高澤廉が、資料を確認しながら即答した。
誰も反論しなかった。
凪は水を飲みながら月城を見る。
「おじさん、疲れた?」
「少しね」
「年だな」
「君、取引先への語彙を学んだ方がいい」
智也が吹き出し、凪も笑った。
月城も笑う。
同じ場所にはいられる。
それでも、さっき見た二人の歩幅だけが、まだ頭の隅に残っていた。
高澤が時計を見る。
「店、予約してあります」
「仕事が早いな」
「予定時刻は過ぎています」
全員が少しずつ出口へ動き始めた。
智也と凪が先に通路へ出る。
さっきのステージについて話しながら、また同じ速度で並んで歩いていった。
月城はその後ろを歩く。
隣へ榊が来た。
「いい夜でしたね」
「そうだね」
「あなたの仕事でもある」
月城が少し笑う。
「珍しく労ってくれるんだ」
「事実確認です」
二人で数歩進む。
榊は前を向いたまま続けた。
「ただ、あれは数字だけでは回収できない」
「分かっているよ」
「なら、それでいいです」
会場のロビーへ出ると、自動ドアの向こうから冷たい夜気が入り込んできた。
月城は横目で榊を見る。
「君も、少し揺れているように見えるけど」
榊は否定しなかった。
「研究対象に近すぎるだけです」
「便利な言い方だね」
「あなたも使えますよ」
月城は声を立てずに笑った。
「遠慮しておく」
外へ出ると、ロンドンの夜風が熱の残った身体へ触れた。
車寄せには黒いミニバンが待っている。
先に着いた智也が振り返った。
「月城さん、早く」
その横で凪も言う。
「腹減った」
月城は二人を見て笑った。
「今行くよ」
車へ向かって歩き出す。
凪はもう智也と別の話を始めていた。
月城は少し後ろからその声を聞きながら、同じ車寄せの灯りの中へ入っていった。
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