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第34話 朝の位置
朝の光がカーテンの隙間から入り、凪隼人は目を開けた。
しばらく天井を見たまま、自分がどこにいるのか分からなかった。
静かな空調音。見慣れないカーテン。広すぎるベッド。
身体を起こしたところで、昨夜の記憶が少しずつ戻ってくる。
ライブでBlue Hourを歌ったこと。最上階のラウンジで月城玲士と酒を飲んだこと。夜景を見ながら、いつもより余計なことまで話したこと。
そして、
『おじさんの部屋行く』
凪は両手で顔を覆った。
「……うわ」
しばらくそのまま動けなかった。
やがて周囲を見回す。
白いガウンのままで、布団もほとんど乱れていない。身体にも何の違和感もなかった。
「……何も、ねぇ」
呟いてから、自分でも意味が分からなくなり、凪はベッドを降りた。
足元にはスリッパがきちんと揃えてある。
それまで気に入らないのか、凪は少し眉を寄せた。
リビングスペースへ出ると、窓際の椅子に月城がいた。
シャツ姿のまま、ネクタイは外している。腕を組み、朝の港を眺めていた。
「……何してんの」
月城がこちらを見る。
「おはよう」
「おはようじゃねぇよ」
「朝だけど」
「そういう意味じゃねぇ」
凪は髪を掻いた。
昨夜、もう一度シャワーを浴びたことだけは覚えている。
「ずっとそこいたの」
「途中で少し仕事した」
「寝ろよ」
「君がいたから」
凪が月城を見る。
「……は?」
「ベッドを取られたしね」
「そっちじゃねぇ」
月城は笑った。
いつもの調子だった。
テーブルにはコーヒーと、もう一つ別のカップが置かれている。
月城がそちらを指した。
「君のはカフェオレ」
「子ども扱いすんな」
「ブラック飲む?」
凪は一度コーヒーの方を見た。
「……カフェオレでいい」
椅子へ座り、カップを持つ。
まだ温かい。
一口飲むと、甘さも濃さもちょうどよかった。
「……うま」
「知ってる」
「腹立つ」
窓の外では、夜には灯りに埋もれていた港が動き始めていた。船が進み、道路にも車が増えている。
凪はカップを置いた。
黙っていても、昨夜のことは消えてくれなかった。
「……俺、昨日」
「うん」
「何か変なこと言った?」
月城は少し考えるような顔をした。
「たくさん」
「死ね」
「でも面白かった」
「具体的に言え」
「おじさんの部屋行く、とか」
凪は黙ってカップを持ち直した。
「あと、今日の俺よかった? とか」
「言ってねぇ」
「言ったよ」
「言ってねぇ」
「録音しておけば良かった」
凪が睨むと、月城は楽しそうに笑った。
「……それだけ?」
月城はそこで少し黙った。
一度窓の外を見てから、また凪へ視線を戻す。
「それだけじゃない」
凪の指がカップの縁で止まる。
「何だよ」
「覚えてないなら、今は言わない」
「何で」
「次は、酔ってない時に聞きたいから」
凪は月城を見たまま何も返せなかった。
残っていたカフェオレを飲み、立ち上がる。
「……帰る」
「送ろうか」
「同じホテルだろ」
「そうだったね」
凪はドアまで歩いた。
ノブへ手を掛けたところで、一度だけ止まる。
「……玲士」
背後から返事はなかった。
凪も振り向かない。
「昨日の、忘れろ」
少し間を置いて、低い声が返ってきた。
「無理だね」
凪は舌打ちし、そのまま部屋を出た。
廊下を少し早い足取りで進む。
エレベーターの扉が開くまで、振り返ることはなかった。
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