36 / 63
第36話 近すぎる確認
深夜の編集室では、時間の感覚だけが薄れていた。
窓の外は黒く、ガラスには室内の灯りが映っている。大型モニターには、撮影を終えたばかりのBlue HourのMV素材が止まっていた。
夕暮れの埠頭。
風の中に立つ凪隼人。
歌い出す直前の横顔。
編集スタッフたちは一時間ほど前に引き上げている。
「続きは明日でいいです」
そう言われても、凪は首を振った。
「今見たい」
撮ったばかりの自分を見ることは、普段ならあまり好まない。それでも今夜はリモコンを手放さず、月城玲士もそのまま残っていた。
二人で長椅子へ座る。
広い編集室に置かれているわりに、その椅子は二人で座るには少し狭かった。
凪は気にする様子もなく、再生位置を戻す。
「ここ」
歌い出す少し前まで映像が巻き戻る。
凪はモニターを見たまま、もう一度再生した。
風が入り、髪が動く。その少しあとから歌が始まった。まだ仮の音声なのに、映像の中にはもうBlue Hourの形が見えている。
途中で凪が止める。
「ここ」
「うん」
「顔、近い」
月城は画面を見る。
カメラが横から抜いた一瞬、スタッフと確認していた月城がフレームの端に映り込んでいた。凪の歌う位置まで寄り、何かを伝えている。
「仕事だよ」
「知らねぇ」
「事実だ」
「お前が寄った」
「監督に指示された」
「言い訳うまいな」
凪はまた少し巻き戻した。
同じところを二度見て、さらにもう一度止める。
月城が笑った。
「そんなに気になる?」
「ならねぇ」
「よく見ているけど」
「素材確認だ」
「嫉妬にも見える」
凪の指がリモコンの上で止まった。
「誰が」
「君が」
「寝ろ」
「話が飛んだね」
凪はリモコンを置き、長椅子へ身体を預けた。
「……あー腹立つ」
「何に」
「お前に」
月城は返さず、モニターへ視線を戻した。
青い画面の光が、二人のいる場所まで届いている。
「私は別のところが気になる」
「どこ」
月城が再生位置を少し進めた。
サビへ入る直前、凪がカメラを見ず、遠くの海へ視線を流す場面で止める。
「ここ」
「何」
「綺麗だ」
凪が月城を見る。
「……感想それ?」
「良い意味で」
「雑」
「本音だよ」
凪はペットボトルの水を飲み、モニターへ視線を戻した。
「……お前、仕事中のくせにそういうこと言うな」
「今は仕事外だ」
「会社の編集室だろ」
月城は少し笑う。
「君と二人で残っている時くらい、仕事だけじゃなくてもいいだろう」
凪はゆっくり月城を見た。
「ずる」
「また言った」
「事実だろ」
しばらく視線が合ったままになる。
長椅子の端へ逃げるほどの余裕はなく、どちらも動かなかった。
凪の方が先にモニターへ顔を戻す。
「……次」
「うん」
「このシーン、使う」
映っていたのは、埠頭の手すりに寄りかかり、歌い終えたあと凪が笑ってしまった場面だった。
完成映像としては外しても不思議ではない素材だった。
「それを?」
「自然だから」
「君らしい」
「お前が笑わせた」
「覚えていないね」
「俺は覚えてる」
凪はそのまま再生する。
モニターの中で、自分が笑っている。
月城はしばらく映像を見ていたが、途中で隣へ視線を移した。
「……何」
凪が気づく。
「いや」
「今見てたろ」
「見ていたよ」
「きも」
「知ってる」
凪が肩を揺らして笑った。
その拍子に、二人の腕が触れた。
すぐに離せる程度だった。
それでも、どちらも位置を変えなかった。
モニターでは、Blue Hourの最後のカットが流れている。
夕暮れの光が落ちる直前、海と空の境目に青が残っていた。
凪が小さく言った。
「これ、出したら終わるな」
「何が」
「この期間」
月城は少し黙った。
「終わらせない方法なら、いくらでも考えられる」
凪が顔をしかめる。
「仕事人間こわ」
「褒め言葉かな」
「知らねぇ」
映像が止まり、編集室に空調の音が戻ってきた。
凪は立ち上がって伸びをする。
「腹減った」
月城が時計を見る。
「もう一時だよ」
「お前のせい」
「私のせい?」
「残っただろ」
「君もね」
凪はギターケースも荷物もまとめず、そのまま先にドアへ向かった。
「何食べたい?」
「ラーメン」
「この時間に?」
「嫌ならいいけど」
「行くよ」
凪はドアを開ける。
「玲士」
月城の足が止まった。
凪は振り返らない。
「早く」
月城はテーブルの上のリモコンを置き、凪のあとを追った。
二人が出ていったあとも、大型モニターにはBlue Hourの最後の青が残っていた。
ともだちにシェアしよう!

