41 / 63
第41話 売店のサングラス
朝のサービスエリアには、旅の途中の人が次々と降りてきていた。
観光バスの乗客や配送トラックの運転手、家族連れや眠そうな学生が、売店やトイレへ向かって歩いていく。その端の駐車枠へ、全国ツアーの黒いバスも入ってきた。
静岡公演当日。
会場入りまではまだ少し時間があり、東京を出てから最初のまとまった休憩だった。
相沢涼はバスを降りるなり欠伸をして、腕を上へ伸ばした。
「朝から人多いな」
高澤廉はすでに電話をしている。
「搬入口、十一時で変わりません。先に物販だけ入れてください」
歩きながら指示を出す横で、紫月颯は缶コーヒーを開け、バスの脇で風に当たっていた。
凪隼人は最後に降りてきた。
白いTシャツの上に黒の開襟シャツを羽織り、袖は適当にまくっている。細いネックレスだけが朝の光を拾い、髪にはまだ少し寝起きの癖が残っていた。
少し離れたところでは、月城玲士が現地スタッフと話している。
今日も協賛側の視察として同行していた。
凪は売店の方を見て、急に足を止めた。
「……あ」
相沢が横を見る。
「何」
「サングラス買う」
「何で」
「有名人はサングラスだろ」
相沢は少し黙った。
「なにその古い固定観念」
「うるせぇ」
「余計目立つと思うけど」
「お前も買っとけ」
「いやだよ。恥ずかしい」
凪は構わず売店へ向かった。
入口横の回転ラックには、キーホルダーやタオル、帽子に混ざってサングラスも掛かっている。
凪は値札を見ながら一番端の黒いフレームを取り、隣にあった茶色のものも外した。
相沢が覗き込む。
「俺の方が高いんだけど」
「似合う」
「値段で決めてない?」
「買っとけ」
「いやだ。恥ずかしい」
凪は二本ともそのままレジへ持っていく。
「ちょっと」
「何」
「俺の分まで置くな」
「ないとバレるぞ」
「これかけた方がバレるだろ」
「有名人はサングラスだろ」
「その理屈に俺を巻き込まないで」
レジの向こうで若い店員が少し笑った。
相沢がそちらを見る。
「ほら、笑われてる」
「似合ってるってことだろ」
「前向きすぎる」
「袋、お付けしますか?」
「いらないです」
凪は会計を済ませると、その場で黒い方のタグを外した。
「今つけるんだ」
「買った意味そこだろ」
サングラスをかけた凪を見て、相沢の声が止まる。
「……何で?」
「何が」
「何で似合うんだよ」
凪はレシートをポケットへ入れた。
「サングラスだからだろ」
「意味分かんねぇ」
相沢の手には、茶色いフレームだけが残っている。
凪がそちらを見る。
「早く」
「いやだ。恥ずかしい」
「有名人はサングラスだろ」
「俺はその理屈を採用してない」
通りかかった高澤が、一度だけ凪を見た。
「値段、壊れたな」
「何だそれ」
「そのままだ」
紫月も缶コーヒーを片手に近づいてくる。
「お前、それ雑誌の私服企画みたいになってんぞ」
「朝からうるせぇな」
その横を通った女子高生二人が、少し先で振り返った。
「あの人やばくない?」
「芸能人?」
凪は気づかず、売店の冷蔵棚から水を取っている。
相沢だけがその視線を拾い、手元のサングラスを見た。
「……もうバレてるじゃん」
「ならつけろ」
「何の解決にもなってない」
現地スタッフとの話を終えた月城が、少し遅れてやってきた。
凪を見ると、歩幅がわずかに止まる。
「……君、理不尽だね」
「何が」
「その価格帯で成立するのか」
「日本語で言え」
「似合っている」
凪は水のキャップを開けた。
「知ってる」
相沢が吹き出す。
「今の返し最悪だろ」
「事実だ」
月城は相沢の手元を見る。
「お揃いなのかい?」
「違います」
相沢が即答する。
凪は横から言った。
「買った」
「俺の意思じゃない」
「似合う」
「まだかけてない」
月城は少し笑い、ラックに残っていた別のサングラスへ手を伸ばした。
茶色いフレームだった。
「私も買おうかな」
凪がちらりと見る。
「やめとけ」
「どうして」
「似合わねぇ」
「まだかけていないよ」
凪は水を一口飲んでから、月城を見た。
「顔が高い店なんだよ、お前は」
数秒、誰も返さなかった。
最初に相沢が肩を震わせる。
「名言出た」
高澤も少し笑った。
月城は手にしていたサングラスを静かにラックへ戻す。
「ではやめておく」
「素直だな」
「君には従うことにしている」
「重いんだよ」
凪は先に歩き出した。
黒いサングラス越しに朝の空を見上げ、そのままバスの方へ向かう。
相沢が後ろから呼んだ。
「凪」
「何だよ」
「これ、終演後たぶん探されるぞ」
「じゃあ買っといて正解だろ」
「俺の分まで?」
「ないとバレるぞ」
「もうバレてる」
凪は少し考えるように相沢の手元を見た。
「なら記念だろ」
「何の?」
「有名人」
「雑すぎる」
集合時間が近づき、スタッフも少しずつバスへ戻り始めた。
相沢は結局、茶色いサングラスを手に持ったまま乗り込む。
凪は黒いサングラスを外さず、その後ろを何でもない顔で歩いていった。
月城は少し離れた場所からその二人を見て、笑いながらバスへ戻った。
ともだちにシェアしよう!

