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第42話 玲士専用ラスボス車
静岡公演を終えたアリーナ裏口には、まだライブの熱が残っていた。
搬出口ではスタッフが機材を積み込み、照明チームが最後の確認をしている。遠くでは、帰り始めた観客の声がまだ小さく揺れていた。
凪隼人はタオルを首へ掛けたまま、裏口から出てきた。
黒いTシャツに着替え、髪の先だけが少し濡れている。急いでシャワーを浴びてきたらしく、歩きながらタオルで髪を拭いた。
壁際では、相沢涼がペットボトルの水を持って待っていた。
「今日よかったな」
「知ってる」
「言うと思った」
少し離れたところでは、高澤廉が宿泊組の部屋割りと翌朝の導線をスタッフへ確認している。
紫月颯はスマートフォンを見ながら、壁から背を離した。
「Blue Hour、MVまた伸びてる」
「見るな」
「お前こそ見てる顔だぞ」
「黙れ」
裏口近くでは、月城玲士が関係者の挨拶を受けていた。
協賛各社の担当者や会場責任者、地元メディアへ必要な言葉を返しながら、次の相手へ視線を移していく。
凪はそれを横目で見た。
「まだ仕事してる」
相沢が笑う。
「お前、待ってんの?」
「待ってねぇ」
「へえ」
ホテル行きの案内が始まり、スタッフの声が飛んだ。
「宿泊組、バス乗車お願いします!」
人の流れが少しずつバスへ向かう。
高澤も最後の確認を終え、資料を閉じた。
その頃、アリーナ裏口の車道へ黒いセダンが一台入ってきた。
車は決められた位置へ静かに止まり、運転手が先に降りる。
相沢がそちらを見て吹き出した。
「出た。玲士専用ラスボス車」
凪も振り向く。
「……何で来てんだよ」
月城がネクタイを少し緩めながらこちらへ歩いてきた。
「来てもらった」
「見りゃ分かる」
「相変わらずだね」
高澤が資料を抱え直す。
「明日の朝、取引先訪問でしたね」
「そう」
月城は頷いた。
「このまま移動した方が効率がいい」
運転手が後部座席のドアを開ける。
凪は黒い車体と、その向こうの静かな内装を見た。
月城がドアの横で声を掛ける。
「凪」
「何」
「行こうか」
「どこに」
「夕食」
「今から?」
「終演後は腹が減るだろ」
凪はもう一度車を見る。
「ついでに人一人乗せる車じゃねぇだろ」
相沢が肩を揺らす。
「乗れよ、主人公」
「乗らねぇ」
「顔がもう乗る顔だって」
「知らねぇ」
凪は開いたドアの向こうを見た。
「……落ち着かねぇ」
月城が少し笑う。
「まだ慣れないのかい」
「慣れたくねぇ」
「では、一回だけでいい」
「その言い方、やめろ」
相沢が横から手を振った。
「俺ら先にホテル戻ってるから」
「勝手に戻れ」
「夕食楽しめよ」
「違う」
少し声が大きくなり、近くのスタッフが何人かこちらを見る。
高澤が無表情のまま言った。
「声量だけまだ本番だな」
紫月も笑う。
「アンコール入った」
凪はタオルで髪を拭き直した。
「……お前ら全員うるさい」
月城はドアの横に立ったまま、何も言わず待っている。
凪の腹が鳴った。
裏口のざわめきの中でも、妙にはっきり聞こえた。
相沢が下を向く。
「完璧かよ」
凪はしばらく黙った。
それからタオルを首へ掛け直し、そのまま後部座席へ乗り込む。
「……食うだけだからな」
月城も反対側から乗った。
ドアが閉まり、車がゆっくり走り出す。
ホテル行きのバスの横を通ると、窓の向こうで相沢が大きく手を振っていた。
「いってらっしゃーい」
凪は窓へ向かって、片手だけ雑に振る。
月城が声を立てずに笑った。
「素直じゃないね」
「うるさい」
会場の灯りが少しずつ後ろへ流れていく。
車内には革の匂いと低い空調音があり、隣では月城のネクタイがいつもより少しだけ緩んでいた。
凪は窓の外を見たまま言う。
「どこ行くんだよ」
「ちゃんと食べられるところ」
「それ、答えになってねぇ」
「君にはその方がいい」
「勝手に決めんな」
月城は前を見たまま少し笑った。
「決めていないよ」
「じゃあ何だよ」
「待っていた」
凪は何も返さなかった。
車はそのまま、夜の街へ入っていった。
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