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第5話 澄川律案件

午後のアトラボ五階では、午前から続いていたRidgelineの映像確認がまだ終わっていなかった。 大きなモニターには、少し前に撮ったセッション映像が映っている。 『Afterimage』のその先をどう見せるか。 完成されたライブ映像だけではなく、短いセッションや作り込みすぎない音まで残すなら、映るものも変わる。音だけではなく、三人の距離や、誰かが入るまでの間まで見えてくる。 相沢涼が映像を止めた。 「ここ残していい?」 「何で」 凪隼人はギターを抱えたままモニターを見る。 画面の中の自分は、演奏が終わっても顔を上げたままだった。正面にカメラがあっても避けていない。 「普通じゃね?」 「普通になったんだよ」 「意味分かんねぇ」 離れたところから、紫月颯も画面を見る。 「前より切らなくて済む」 「お前まで何の話してんの」 「映像」 「音見ろよ」 「見てる」 凪はギターのストラップを直した。 相沢はそれ以上何も言わず、次の映像へ進めた。 いくつか確認したところで、相沢がタブレットを取る。 「もう一個ある」 画面に出ている名前が見えた。 澄川律。 「何これ」 「VERTEX側から」 次の展開へ向けた、少人数のセッション企画だった。 Ridgelineの最近のセッション映像を見た澄川が、凪と一度合わせたいと言っているらしい。 凪は途中まで読んで、タブレットを相沢へ返した。 「嫌」 「まだ頼んでないけど」 「俺にやれって話だろ」 「候補ではある」 「嫌」 紫月が画面から目も上げずに言う。 「資料くらい読めば」 凪は眉を寄せた。 「ただでさえ面倒なのに」 相沢がこちらを見る。 「何が?」 「あいつ、俺と同じマンションなんだよ」 相沢の手が止まった。 「澄川さんが?」 「そう。この前エントランスで会った」 「それは知らなかった」 「俺も知らなかった」 紫月がようやく顔を上げる。 「同じ建物ってだけだろ」 「仕事のやつと家でまで会いたくねぇんだよ」 「それは分からなくもない」 相沢はそう言って、タブレットを凪へ戻した。 「でも、それと今回の企画は別だから。とりあえず読んで」 凪は受け取り、今度は最初から目を通した。 企画そのものは、思っていたほど嫌ではなかった。 完成した曲をそのまま小さくするのではなく、一度音を開いて、何を残すかを見る。 候補曲のページで指が止まる。 澄川の曲の中では派手ではない。音も詰まっていなかった。 「これなら」 相沢が顔を上げる。 凪は先に言った。 「受けるって意味じゃねぇからな」 「分かってる」 紫月も画面を覗き込む。 「一回合わせれば分かるだろ」 「いつ?」 相沢が時計を見る。 「今日。そろそろ来る」 凪は顔を上げた。 「先に言えよ」 「顔合わせだけだから」 「それでも言え」 「悪かった」 凪は立ち上がりかけ、結局そのまま椅子へ戻った。 「最悪」 相沢は何も返さず、次の資料を開いた。 * しばらくして、スタジオの扉が開いた。 VERTEX側の制作担当に続いて、澄川が入ってくる。 凪と目が合った瞬間、澄川の足がわずかに緩んだ。 「こんにちは」 「どうも」 それだけだった。 澄川は相沢と紫月へ挨拶し、渡された資料へ目を落とす。 そのあと凪を見て、思い出したように言った。 「この前はどうも」 「マンション?」 「はい」 相沢が顔を上げる。 「本当に同じなんだ」 「この前、エントランスで会いました」 「別に珍しくねぇだろ」 凪が言うと、澄川が笑った。 家の話はそこで終わった。 今日やるのは、一曲を完成させることではない。 まず合わせてみる。 凪はギターを持った。 澄川がこちらを見る。 「凪さん、いいんですか」 「まだやるって決めてねぇ」 「はい」 「一回鳴らすだけ」 「分かりました」 凪は原曲を頭の中でなぞった。 そのまま縮めただけなら、ここでやる意味はない。 最初の音を置く。 遅れて、澄川の声が入った。 数小節で凪は手を止める。 「違う」 「どこですか」 同じところへ戻る。 今度はすぐ次へ行かず、響きが薄くなるまで待った。 「ここ、空ける」 「歌も?」 「うん」 「原曲より遅くなりますよね」 「遅くしてんの」 澄川は考えてから頷いた。 「もう一回いいですか」 凪は最初へ戻った。 同じところを鳴らす。 今度の澄川はすぐには入らなかった。 ギターを聞いてから、声を置く。 凪もそのまま続けた。 途中で予定していなかった音を一つ抜く。 澄川の視線が動いたが、急がず、そのまま空いた場所を残した。 次に入れるところまで待つ。 奥では相沢も紫月も黙っている。 スタジオに、ギターと声だけが残った。 最後までは行かなかった。 凪が手を止めると、澄川の声も消える。 澄川がこちらを見る。 「今の、好きです」 凪はギターへ目を落とした。 「まだ途中だけど」 「だからいいです」 凪は同じ場所へ指を戻す。 「もう少し空けてもいいかも」 澄川もすぐに息を整えた。 「やってみたいです」 凪はもう一度鳴らした。 何度か短く合わせたところで、相沢が近くまで来る。 「これ、いけそう」 「まだ決めてねぇ」 「うん。でも音は合ってる」 凪は返事をせず、ギターへ視線を戻した。 澄川もまだ譜面を見ている。 「もう一回やる?」 凪が聞くと、澄川が顔を上げた。 「はい」 そのままギターへ手を戻した。 顔合わせが終わる頃には、次の確認日が仮で押さえられ、制作担当を通して連絡先も共有された。 ギターをケースへ戻していると、澄川が近くまで来る。 「凪さん」 「何」 「次も、今日みたいにやりたいです」 「曲次第」 「はい」 澄川は少し考えてから続けた。 「凪さん家でもやってみたいです」 凪の手が止まる。 「何で」 「今日みたいな音なら、もう少し狭いところでも聞いてみたくて」 「お前ん家でもいいだろ」 「凪さんの音でやりたいので」 凪は澄川を見る。 今日の演奏がなければ、その場で断っていた。 ケースの留め具を閉じる。 「仕事ならな」 澄川の表情が明るくなる。 「はい」 「あと、勝手に来んなよ」 「連絡します」 「当たり前」 澄川は制作担当のところへ戻っていった。 凪は閉じたギターケースを持ち上げる。 「……面倒」 小さく言って、ケースを肩へ掛けた。

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