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第14話 見えているもの
月城が出発した朝、凪は空港まで行かなかった。
昼から仕事がある。月城にも、出国まで予定が詰まっていた。
まだベッドにいる時間に、スマートフォンが光る。
《行ってくるよ》
昨夜まで隣にあった体温はない。玄関に置かれていたキャリーケースも、もう消えている。
凪は画面を見た。
《おう》
送ってから、指を離しかけてもう一度触れる。
《気をつけて》
すぐに既読がついた。
《ありがとう》
それだけだった。
カーテンの向こうはいつもの朝で、冷蔵庫もいつもの音を立てている。
凪はスマートフォンを伏せ、ベッドを出た。
*
数日後、Ridgelineの音楽番組収録でテレビ局へ入った。
控室では紫月がスタッフと話している。凪は進行表に目を通しながら、水を飲んだ。
テーブルの上でスマートフォンが光る。
《今から移動》
月城からだった。
《そっちは?》
《今日収録》
《何時?》
《午後》
そこで止まる。
スタッフに呼ばれ、凪はスマートフォンを伏せた。
スタジオへ入ると、照明の熱が近かった。
短いトークを終え、ギターを受け取る。
最初の音を鳴らすと、客席も照明も少し遠くなった。
曲の途中、正面からカメラが寄ってくる。
凪は顔を上げ、そのまま次の音へ入った。
レンズは離れなかった。
凪も視線を外さなかった。
控室へ戻ると、相沢が先に戻っていた。
凪が水を取り、キャップを開けたところで、その視線に気づく。
「何」
「今日、ちょっと違ったね」
「何が」
「カメラ」
凪は水を飲んだ。
「正面から寄られても、そのままだった」
「普通だろ」
「うん」
相沢が凪を見る。
「今はね」
凪はボトルのキャップを閉めた。
「何だよ」
「別に」
「その顔むかつく」
相沢は少し笑った。
「色気すごかったじゃん」
「うるせぇ」
「誰が凪を進化させた?」
凪の手が止まる。
相沢の笑みが深くなった。
「分かりやす」
「黙れ」
スタッフが紫月を呼びに来る。
相沢もそれ以上は言わなかった。
*
番組が放送されたのは、それから数日後だった。
夕方、アトラボ三階のラウンジへ出ると、美咲がスマートフォンを見ていた。少し離れた席では、相沢がノートPCを開いている。
凪が冷蔵庫から水を取ったところで、美咲が顔を上げた。
「凪」
「なんだよ」
「世間に観測され始めてる」
「何を」
美咲がスマートフォンを差し出す。
放送されたばかりの映像だった。
演奏中、正面からカメラが寄る。
凪が顔を上げ、視線を外さない。
その下には反応が並んでいた。
《最近、凪隼人なんか雰囲気変わった?》
《カメラ見たところやばい》
《前より色気すごくない?》
《目そらさなくなったの何》
《数秒なのにそこだけ何回も見てる》
凪は画面を美咲へ返した。
「しょうもな」
「しょうもなくない」
美咲はすぐに映像を戻す。
「ここ」
「何が」
「正面見てから残ってるんだよ」
「見りゃ分かる」
「違う。前の凪なら、ここまで視線残してない」
相沢がPCから顔を上げた。
「色気すごいじゃん」
「またそれかよ」
「だってすごいし」
美咲が勢いよく頷く。
「そうそう。前は瞬間的に出るタイプだったの。今は残るんだよ、正面に」
「意味分かんねぇ」
「色気が事故じゃなくて仕様になってる」
「最悪な言い方すんな」
「褒めてるけど」
「いらねぇ」
相沢が笑いながら凪を見る。
「誰かに見られるの、慣れたよね」
「知らねぇ」
「へえ」
「何だよ」
「別に」
その顔が一番むかついた。
美咲はまだ画面を見ている。
「しかも狙ってないんだよね。そこが一番まずい」
「何がまずいんだよ」
「無自覚固定砲台」
「だから意味分かんねぇって」
「鼻血案件」
「だまれ」
相沢が肩を揺らして笑う。
美咲は映像をもう一度再生した。
「これ、しばらく回るよ」
「勝手に回っとけ」
「もう回ってる」
凪はソファへ座った。
美咲のスマートフォンでは、また同じ数秒が流れていた。
*
部屋へ戻った頃には、日付が変わりかけていた。
ギターを壁際へ戻し、水を持ってソファへ座る。
スマートフォンが光った。
月城からだった。
《見たよ》
凪は画面を見る。
《早》
《こちらはまだ起きていたからね》
凪は少し考える。
《どこ見た》
返事はすぐには来なかった。
やがて文字が出る。
《正面を見たところ》
凪の指が止まる。
《みんなそこ見るな》
《みんな?》
《相沢と美咲》
少し間が空いた。
《それは少し面白くないね》
凪は眉を寄せた。
《何が》
今度も少し待つ。
《私しか気づいていないと思っていたから》
凪はしばらくそれを見た。
《きも》
《ひどいな》
いつもの返しだった。
凪はスマートフォンを伏せかける。
やめて、もう一度打つ。
《でも今日、良かっただろ》
既読がつく。
返事は短かった。
《かなり》
凪はその二文字を見た。
《そう》
それ以上は送らなかった。
ベッドへ入ると、部屋には一人分の気配しかない。
凪はスマートフォンを枕元へ置いた。
少しして、もう一度画面をつける。
《かなり》
まだ残っている。
凪はしばらくそれを見て、画面を伏せた。
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