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第16話 帰ってきた

帰国予定日の前夜、凪はアトラボ五階で最後の確認を終えた。 モニターの明かりが順に落ち、収録フロアから人の気配が減っていく。ギターをケースへ戻し、その場を離れた。 月城が帰ってくるのは明日の夜だった。 もう数えなくても分かる。 あと一日。 エレベーターで一階へ降りながらスマートフォンを見る。 数時間前、月城から届いていた。 《今日の予定、終わったよ》 それだけだった。 エントランスへ向かっていると、手の中で画面が光る。 《外にいる》 凪は足を止めた。 《どこ》 《正面》 自動扉の向こうを見る。 車寄せの照明の下に、見慣れた黒い車が停まっていた。 相変わらず、ラスボスみたいな車だった。 凪は少し笑って外へ出た。 近づくと、後部座席のドアが開く。 月城がいた。 濃い色のジャケットに、きちんと締められたネクタイ。いつもと変わらないように見えるが、近くまで来れば目元に長い移動の疲れが残っている。 二十一日ぶりだった。 顔も声も、画面越しには何度も見た。 それでも、目の前にいる月城は違った。 「……お前、明日じゃなかった?」 「頑張ったんだよ」 「何を」 「仕事」 凪はスマートフォンを持ち上げる。 「連絡しろよ」 「したよ」 「今だろ」 「君を驚かせたかったからね」 悪びれる様子はない。 凪は車へ乗った。 ドアが閉まると、外の音が遠くなる。すぐ隣に月城の肩があった。 「一日早く終わったの?」 「終わらせたよ」 「無理した?」 月城は少し考えた。 「かなり」 「何でそこまでしたんだよ」 月城もこちらを見る。 「早く君に会いたかった」 凪は返事をせず、シートへ背を預けた。 前では運転手が何も聞いていない顔で車を出す。 月城の肩は、手を伸ばせば届くところにあった。 車が停まったのは、大通りから一本入った店だった。 「家じゃねぇの?」 「先に食事」 「海外で散々いいもん食っただろ」 「君とは食べてない」 凪は少し遅れて中へ入った。 案内された個室の窓から、小さな庭が見える。 月城が椅子へ腰を下ろした瞬間、肩から少し力が抜けた。 料理が運ばれ、二人で箸をつける。 凪は向かいを見る。 「疲れてんじゃん」 「そう見える?」 「見える」 月城は水を飲んだ。 「なら、君の前だからだろうね」 凪は何も言わず、椀へ箸を戻した。 明日の予定を聞くと、月城には何も入っていなかった。本来なら帰国日だったからだ。その翌日の午前も空いている。 「最初から俺といる気だったじゃん」 「そうだけど?」 「首輪どこ行ったんだよ」 「もう探さなくていいんじゃない?」 「開き直んな」 月城が少し笑った。 二十一日ぶりなのに、向かいで飯を食っているだけで、少しずついつもの距離へ戻っていく。 店を出ると、運転手が車を回していた。 凪は何も聞かず後部座席へ乗る。 行き先を確認する必要はなかった。 * 月城の部屋へ着くと、玄関の灯りがついた。 月城はリビングでジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。腕時計も外して、いつもの場所へ置いた。 凪はその動きを黙って見ていた。 何度も見てきたはずなのに、今日は妙に目に残る。 「何」 「別に」 「ずっと見てる」 凪は視線を外さなかった。 「二十一日ぶりなんだから、いいだろ」 月城はしばらく凪を見てから、距離を詰めた。 腕へ触れた手が、そのまま腰へ回る。 凪も月城の胸元へ手を置いた。 近いところで呼吸が聞こえる。 「おかえり」 月城の手が一度だけ止まった。 「ただいま」 低い声が、すぐ近くへ落ちた。 凪はそのまま月城の胸元へ額を寄せた。 * 二人で風呂を終え、月城の部屋着を借りて寝室へ戻った頃には、日付が変わりかけていた。 凪が先にベッドへ腰を下ろす。 少し遅れて隣へ来た月城は、疲れているはずなのに、凪を見る目だけは眠そうではなかった。 「何」 「見てる」 「正直だね」 月城の指が耳の後ろへ触れ、髪を避けながら首筋へ下りる。 凪は少し肩を動かしたが、離れなかった。 唇が耳の下へ触れ、首筋へ移る。 凪は月城の肩へ手を置いた。 「玲士」 「うん」 月城の手は腰にある。 そのまま引き寄せられ、腿が触れた。 凪は月城の服を掴む。 「待ってた」 月城の呼吸が深くなった。 その変化を近くで感じながら、凪は指に力を入れる。 「玲士が欲しい」 月城が止まった。 「もう一回、言って」 凪は少し笑った。 「一回で聞け」 今度は月城も待たなかった。 唇が重なる。 凪は首へ腕を回し、そのまま引き寄せた。 シーツが背中の下で崩れる。 月城の手が腰から腿へ移り、凪の息が止まった。 「隼人」 耳元で呼ばれる。 「……玲士」 返した声が掠れた。 月城の呼吸も崩れる。 それを聞いて、凪は自分からもう一度距離をなくした。 どれくらい経ったのか分からなくなった頃、凪は月城の胸元へ身体を預けていた。 乱れていた呼吸が、少しずつ静かになっていく。 月城の指が髪へ入り、頬を撫でた。 凪は胸元へ頬を寄せる。 すぐ近くで心音が聞こえた。 「玲士」 「うん」 「帰ってきたな」 月城の腕が腰へ回る。 「帰ってきたよ」 凪はその腕の中で目を閉じた。

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