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第18話 撮りたい

午後のアトラボ五階で、凪隼人は確認用の小さな部屋に一人で座り、ノートPCから『夜の向こう側』を流していた。 月城玲士が帰国した翌日、二人で最後まで仕上げた曲だった。完成してから何度か聴き直している。 以前なら埋めていた場所に、今は音を置いていない。ギターが退いたところへ月城の声が入り、空いていた場所まで曲の一部になっている。 最後の音が消れるまで聞いても、大きく直したいところはなかった。 凪が再生位置へ指を戻したところで、ドアが開く。 「凪、いる?」 相沢涼が顔を出した。 「見りゃ分かんだろ」 「何聴いてるの」 返事を待たず、相沢は向かいの椅子へ座った。 凪は曲を止めなかった。隠すものでもない。 相沢は最初、机に置かれた資料を眺めていたが、曲が進むにつれて視線が動かなくなった。月城の声が入る頃には顔を上げている。 凪は横からそれを見ただけで、何も言わなかった。 曲が終わり、部屋に機械の小さな駆動音が戻る。 それでも相沢は、しばらくノートPCを見ていた。 「どうだった」 「……これ、MV作りたい」 凪の指が止まった。 「は?」 「映像つけたい」 「勝手に決めんな」 「まだ決めてないよ」 そう言いながら、相沢の目はもう音だけを見ていなかった。 凪はノートPCを閉じる。 「これ、公開用に作ったわけじゃねぇし」 「公開しないって決めてる?」 「決めてねぇけど」 「じゃあ考えてもいいじゃん」 相沢は椅子へ背を預けた。さっきまで曲を聞いていた時とは違う顔になっている。どこで撮るか、何を残すか。そのあたりまで考えているように見えた。 「凪だけでも撮れるけど」 「撮られる前提で進めんな」 「玲士さんも入っていいよ」 凪は相沢を見る。 「本人に言えよ」 「言うよ」 相沢は少し考え、何でもないことのように付け足した。 「オマケで」 凪は吹き出しかけた。 「怒られんぞ」 「そうかな」 「そうだろ」 開いたままのドアの向こうで、足音が止まった。 「誰が怒るの?」 月城玲士が立っていた。打ち合わせ帰りらしく、濃い色のスーツにネクタイを締めている。 相沢がすぐ振り向く。 「ちょうどいい」 月城は部屋へ入る前に凪を見た。 「嫌な予感がするね」 「俺もしてる」 空いていた椅子へ月城が腰を下ろすと、相沢は間を置かなかった。 「『夜の向こう側』、MV作りたい」 月城の視線が凪へ来る。 凪は肩をすくめた。 「俺も今言われた」 「そう」 月城は相沢へ向き直る。 「それで?」 「凪を撮りたい」 「そこは予想できるよ」 「玲士さんも入っていいよ。オマケで」 月城が黙った。 凪は窓へ顔を向ける。ここで笑えば見つかる。 「相沢くん」 「何?」 「君は本当に失礼だね」 「でも二人で作った曲でしょ」 「そうだけど」 「じゃあ、いた方がいい」 「急に必要そうに言い直さないでくれる?」 凪は耐えきれずに笑った。 月城がすぐこちらを見る。 「凪」 「悪い」 「笑ってるよ」 「オマケだからな」 「覚えておいて」 「何を」 「あとで考える」 凪は少しだけ笑いを引っ込めた。 相沢はもう二人のやり取りを聞いていないらしく、閉じたノートPCへ視線を落とし、指先で机の端をなぞっていた。 「でも、二人で並んで歌うだけのMVじゃないんだよね」 凪は相沢を見る。 さっきまでの軽さが消えていた。 「この曲、どっちか片方だけじゃないから」 月城も何も言わない。 相沢は一度窓の外へ目を向け、それから凪たちへ視線を戻した。 「同じ場所にいるところが見たい」 そこで言葉を止めた。 凪もすぐには返さなかった。 月城の声が来るまで、自分が残していた場所がある。 話くらいなら聞いてもいい。 そう思ったところで、廊下を誰かが通り過ぎた。 二歩ほど先まで行った足音が戻ってくる。 桂木有が、開いたドアの向こうから中を覗いた。肩にはカメラバッグが掛かっている。 「何してるんですか」 相沢が顔を上げる。 「MVの話」 桂木の視線が凪へ移り、そのまま月城へ止まった。 凪には分かった。 小笠原悠人を見つけた時と同じ目だった。顔だけではなく、立ち方や距離、光の入り方まで一枚の中へ入れる時の目だ。 「やめろよ」 桂木が凪を見る。 「何がですか」 「撮りたい顔してる」 少しだけ間があった。 「してます」 即答だった。 月城が小さく息を吐く。 桂木は二人を見比べたまま、真面目な顔で言った。 「月城さんと凪さん、まとめてかなりいい被写体ですね」 「まとめなくていいよ」 月城の返事は早かった。 「二人で撮った方が強いです」 「そういう話をしてるんじゃないんだよね」 相沢が横から頷く。 「でも分かる」 月城がそちらを見る。 「君まで乗らないでくれる?」 凪は椅子から立った。 「俺らを勝手に素材にすんな」 「素材とは言ってないよ」 相沢が返す。 桂木はさらに真顔になった。 「被写体です」 「もっと悪い」 月城が笑った。 その瞬間、桂木の手がカメラバッグへ動く。 凪はすぐに気づいた。 「撮んな」 「まだ出してません」 「出す気だっただろ」 桂木は否定しなかった。 黙っていれば静かな男なのに、カメラが絡むと途端に面倒になる。 凪はもう一度椅子へ座った。 まだ何も決まっていないのに、相沢は動く映像として見始め、桂木は一枚の写真として二人を見ている。 月城は隣で静かに笑っていた。 凪は閉じたノートPCへ手を置く。 「まだやるって決めてねぇからな」 相沢が頷いた。 「分かってる」 それでも、視線はノートPCから外れない。 「でも、撮りたい」 さっきまでの軽さはなかった。 机の上のノートPCからは、もう何も鳴っていない。 凪は開かなかった。 返事も、まだしなかった。

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