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第23話 残した場所

ロケの日は、朝から空が高かった。 東京を出た車が高速を降りる頃には、窓の外から建物が減り、代わりに木立が続くようになっていた。 凪隼人は後部座席から外を見ている。 前を走る車には相沢たちが乗っていた。今日の撮影は大人数ではない。相沢涼と桂木有、春野遥、青山美咲。それに必要なスタッフだけだった。 隣では月城玲士がスマートフォンを見ている。 「まだ?」 「もう少し」 「さっきも聞いた」 月城が画面から顔を上げた。 「じゃあ、あと十分くらい」 最初からそう言えと思ったが、凪は黙って窓へ戻った。 木々の間には、色を落とした枝が少しずつ増えている。 やがて車が細い道へ入り、速度を落とした。 道路から少し離れたところに家が見える。 写真で見た時より木々が近い。大きな窓と低く伸びた屋根は派手ではなく、周囲の景色へ馴染んでいた。 車を降りると、東京より冷たい空気が頬へ触れた。 「寒」 「少しね」 月城も隣へ降りてくる。 凪は家を見上げた。 「……これ、お前んち?」 「今はね」 打ち合わせの時と同じ返事だった。 今は。 その前にある時間を、凪はまだ知らない。 相沢たちは到着すると、すぐに建物と庭を見始めた。桂木は窓から入る光を確かめ、春野と美咲は室内の色を見る。 凪は放っておいた。 撮る人間には、撮る人間の見方がある。 月城が玄関の鍵を開ける。 中には木の匂いが残っていた。床も壁も新しくはなく、手を入れながら長く使ってきたことが分かる。 家具は多くない。大きな窓の向こうには庭と木々が続いていた。 「昔からこんな感じ?」 「大きくは変えてないよ」 「子どもの頃も来てた?」 「来てた」 月城はそのまま奥へ歩いていく。 凪も少し遅れてついていった。 「実家って、何やってんの」 月城が振り返る。 「急だね」 「別荘持ってたくらいだから」 「ホテルと不動産が中心かな。国内外にいくつか。今はリゾートもやってる」 凪は周囲を見た。 「じゃあ、お前もそこ入る予定だったの?」 月城は少しだけ間を置いた。 「そういう話はあったよ」 「継がなかったんだ」 「うん」 「何で」 月城は廊下の奥へ歩きながら答えた。 「音楽をやりたかったから」 あまりに簡単に言うので、凪は少しだけ足を緩めた。 「反対された?」 「されたね。大学を出たら家の方へ入ると思われてたから」 「それで入らなかった」 「入らなかった」 凪は横を歩く月城を見る。 「よく許されたな」 「許されたというより、行ったんだよ」 凪は笑った。 「お前っぽい」 「そう?」 「そう」 月城も少し笑い、それ以上は昔の話を続けなかった。 廊下の先にある扉を開ける。 中にはギターが数本と机、小さな制作環境が残っていた。古いアンプもある。 全部を新しく揃え直した部屋ではない。 凪は一歩入って足を止めた。 「これ、昔から使ってんの?」 月城が古いアンプを見る。 「それはBlue Hourの頃から」 「ここに持ってきてたの?」 「何度かね」 凪はアンプへ近づいた。 表面には細かな傷が残っている。 「だから残したかった?」 月城は部屋を見回した。 「たぶんね」 はっきりとは言い切らなかった。 凪もそれ以上は聞かなかった。 廊下の向こうから相沢の声が聞こえる。 撮影位置が決まったらしい。 「使うって」 「いいよ」 「いいのかよ」 「そのために来たんでしょう」 月城が笑った。 撮影は、制作部屋と大きな窓の前を中心に進んだ。 相沢は最初に決めていた通り、派手な動きを求めなかった。 凪がギターを持ち、月城が近くにいる。二人で音を確かめ、同じノートを見る。 それだけだった。 春野は必要な時だけ髪を直し、美咲は画面全体を見る。桂木も欲しい瞬間だけシャッターを切った。 凪はもうカメラの位置を気にしなかった。 『夜の向こう側』を鳴らす。 自分が空けた場所へ、月城の声が入る。 撮影用に作り直すことはしない。二人で音を鳴らす時に近いまま、その場所へ置いた。 いつの間にか、見ているのは月城だけになっていた。 月城もこちらを見る。 そのまま曲が進む。 一度終わると、少し離れたところから相沢が言った。 「もう一回だけ」 凪は理由を聞かなかった。 二度目も同じように始める。 それでも同じ音にはならない。月城が入る場所が少し変わり、凪も待つ長さを変える。 最後の音が消える。 部屋へ静けさが戻った。 相沢はすぐには声を出さず、モニターを見ていた。 凪はそちらを見なかった。 隣にいる月城の視線が、まだ自分へ残っていた。 午後には庭でも何カットか撮り、冬の光が低くなる頃には予定していた撮影が終わった。 機材が片づけられ、人が外へ動き始める。 桂木もカメラバッグを肩へ掛け、一度だけ凪と月城を見た。 凪は先に言う。 「撮んなよ」 「今しまいました」 「ならいい」 「撮りたかったですけど」 「帰れ」 桂木はそのまま玄関へ向かった。 春野と美咲も続く。 相沢が最後に顔だけ戻す。 「凪たちは?」 「少し残る」 月城が答えた。 「了解。じゃあ先行くね」 車が一台ずつ動き出す。 窓の向こうからライトが消えると、家の中が急に静かになった。

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