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第28話 見つけるな

『夜の向こう側』を公開してから三日。 凪隼人は、自分でも嫌になるくらい月城玲士の名前を見かけるようになっていた。 最初はMVのコメント欄だけだった。それが少しずつSNSへ流れ、過去にVERTEX MUSIC GROUP関連で出ていた記事まで掘り返されている。 凪が知らなかった写真まで見つかっていた。 見なければいいのに、気づけば見ている。 昼過ぎ、アトラボ三階の共有スペースで、凪は紙コップのコーヒーを片手にスマートフォンを見ていた。 少し離れた場所では、相沢涼がスタッフと映像を確認している。 画面には、昨日までは見かけなかった投稿が並んでいた。 《月城玲士ってVERTEXの専務なの?》 《歌う人じゃないのにあの声なの強い》 《スーツ姿の写真見つけた》 凪の指が止まる。 「……見つけんなよ」 小さく呟いたつもりだった。 「何を?」 相沢の声が横から飛んできた。 凪は画面を伏せる。 「別に」 「また玲士さん?」 「またって何だよ」 相沢が笑った。 「公開してから、凪ずっと見てるから」 「見てねぇ」 「今見てた」 「仕事だろ」 「何の?」 凪は答えなかった。 相沢はそれ以上追わず、手元のタブレットへ戻る。 凪もスマートフォンをもう一度開いた。 VERTEXの過去記事に使われていた月城の写真が引用されている。事業説明の場らしく、スーツ姿で画面の隅に立っているだけだった。 それでも、そこだけ拾われていた。 《もっと前に見つけたかった》 「だから見つけんなって」 今度は少し声が出た。 相沢が吹き出す。 「聞こえてる」 「うるせぇ」 凪はスマートフォンをポケットへ押し込んだ。 公開したのは自分だ。 月城も納得して外へ出た。 見られることくらい、最初から分かっていた。 それでも、実際に知らない誰かが月城の名前を調べて、もっと見たいと言い始めると話は別だった。 * 夕方、凪はVERTEXから少し離れた和食店の個室で、月城を待っていた。 店を選んだのは月城だった。 表通りから一本入った場所にあり、入口から中の様子はほとんど見えない。 凪が先に通された部屋には、二人分の席だけが用意されていた。 しばらくして襖が開く。 仕事を終えた月城が、スーツの上にコートを着たまま入ってきた。 「待った?」 「別に」 月城はコートを外し、向かいへ座る。 凪はその顔を見る。 昼間に見た写真と、何も変わらない。 「今日は機嫌悪い?」 「普通」 「そう」 月城は卓上の品書きを開いた。 凪はその向こうを見る。 「玲士」 「何?」 「今日、なんか言われた?」 「何を?」 「MV」 月城は少し考えた。 「社内では何人かに見たと言われたよ」 「それだけ?」 「今のところは」 「ふーん」 月城が品書きから顔を上げる。 「何を期待してるの」 「別に」 「その割に聞くね」 凪は水を飲んだ。 料理が運ばれてきてからは、しばらく仕事の話をした。 Ridgelineの予定。 VERTEX側の海外案件。 次の打ち合わせ。 いつもと変わらない話をしているうち、少し気分が戻る。 月城がスマートフォンを確認した。 画面に通知がいくつか並んでいる。 「何それ」 「仕事の連絡」 「ほんと?」 「疑うところ?」 凪は黙った。 月城が少し笑う。 「隼人」 「何」 「もしかして、私の反応を全部把握したいの?」 「違う」 「じゃあ何」 凪はグラスについた水滴を指で拭った。 「玲士」 「うん?」 「もっと歌ってほしいって言われてんの、どう思う?」 月城は少しだけ手を止めた。 「ありがたいと思ってるよ」 「それだけ?」 「今はね」 「またそれ」 「何が」 「今は、って言うの」 月城は凪を見る。 「将来のことまで決めてないからね」 「歌いたくなったら?」 「その時考える」 凪は箸を置いた。 「俺抜きで?」 月城の目が少し細くなる。 「やっぱりそこなんだ」 「何が」 「歌うことじゃなくて、私が君の外で歌うことが嫌なんだね」 凪は返さなかった。 月城は少しだけ笑った。 「分かりやすい」 「うるせぇ」 「でも、嫌なら嫌って言えばいい」 「言ってる」 「そうだったね」 月城はそれ以上からかわず、食事へ戻った。 店を出る頃には、外の空気がさらに冷えていた。 月城の車は、店から少し離れた駐車場に置いてある。 二人でそちらへ向かった。 人通りは多くない。 それでも凪は、通りへ出た途端に周囲を見るようになっていた。 月城は何も気にせず隣を歩いている。 凪はその手へ一度だけ視線を落とした。 ここで普通に手をつなぐほど無防備にはなれない。 代わりに、月城のコートの袖を軽く掴む。 月城がこちらを見る。 「何?」 「別に」 「今日はそればっかりだね」 「うるせぇ」 凪は離さなかった。 向かいから来た二人組が、月城の方を見た気がする。 本当にそうだったのかは分からない。 それでも半歩だけ月城へ寄った。 「隼人」 「何」 「近い」 「知ってる」 「歩きにくいよ」 「我慢しろ」 月城が笑う。 「妬いてるね」 凪は前を向いたまま答えた。 「もう妬いてる。かなり」 月城が少し黙った。 凪は袖を掴んだまま歩き続ける。 「玲士」 「うん?」 「これ以上見つかるな」 月城はすぐには返さなかった。 少しして、袖を掴んでいる凪の手へ自分の指を重ねる。 「それは無理かもしれないね」 「分かってる」 「じゃあどうする?」 凪は月城を見る。 「俺が慣れる」 「できる?」 「知らねぇ」 月城が笑った。 凪はその顔を見て、また少し腹が立った。 駐車場へ着くまで、袖を掴んだ手は離さなかった。 月城が車の鍵を開ける。 凪は助手席へ回った。 ドアを開ける前にもう一度だけ通りを見る。 さっきの二人組は、もうどこにもいなかった。 「隼人」 「何」 「乗らないの?」 「乗る」 凪は助手席へ身体を入れた。 ドアを閉めると、外の音が少し遠くなる。 月城が運転席へ乗り込み、エンジンをかけた。 凪はシートへ背を預ける。 「帰る?」 「お前んち」 月城がこちらを見る。 「私の?」 「嫌?」 「嫌なわけないでしょう」 車がゆっくり駐車場を出る。 凪は窓の外へ目を向けた。 外ではまだ、誰かが月城玲士を見つけ続けている。 それでも今は、隣にいる。 凪はシートベルトの上から腕を組み、そのまま助手席へ深く沈んだ。

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