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2章①.亜紀に関係する、とある女性と出会う
──9月5日(土)抱き合った朝が明けて/春彦視点
「──む」
朝8時。いいカンジの朝日が春彦を眠りの底から引っ張り上げた。いつものようにぱちっと音が聞こえるかというくらい、すっきり目を覚ます。「む」は寝起きの口癖(?)である。
1秒後、ここが恋人の部屋で、恋人のベッドで、自分も隣に寝ている可愛いひとも裸であることに気付く。3度目の(最も長い)セックスのあと、亜紀は意識を失うように眠ってしまったし、それを見届けた春彦も、最低限の片づけをしたところで寝てしまったのだ。シャワーを浴びる余裕はなかった。
額と目元のホクロにキスを落とし、耳たぶを3回揉んで、唇にもキスする。亜紀は身じろぎもしない。可愛い。
いや、冷静に。
「──タオル、借りるからな」
形だけの声掛けをして、濡れたタオルで亜紀の身体を拭いた。キスマークだの歯型だのをチェックするよりもなによりも、「その部分」が切れたり腫れたりしていないかを確認する。うん、冷静に。見る限り問題はなさそうだった。ぎりぎりのラインは守れたようだ。
まったく目覚めなさそうな彼にパジャマを着せ、シャワーを浴び、バッグのなかから引っ張り出した服を着た。洗面を済ませているとき、彼が起きるまでになにか朝食にちょうどいいものを買ってこようと思いつく。このあたりは、駅前まで出なくてもちょっとよさげな店舗がいくつかある。亜紀が「ここ、美味しいよ」と言っていたパン屋もある。よし、冷静に。
玄関を出る。階段を下りて、敷地の外に一歩出る。土曜の朝だ、ここはメイン通りでもないし、人通りはまったくない。
──いやいやいやいやヤバいだろうなんなんだアレは
頭を抱えてしゃがみ込む。
……こんな漫画みたいなマネをする気はなかったのだが、人間、こういうときはこうなるのだと、どこか他人事のように考えている自分もいた。
無理矢理閉じ込めて重石を置いていた記憶の箱の蓋が、一気に開く。
『会いたかった』
そんなふうに言ってもらえたのは初めてだった。あのときの所作と、揺れる声と。そこから始まって、暴走しないように、暴走しないようにと自身に言い聞かせていた。後ろから挿入したそのときも。
そして、あの体位でしたのも初めてだった。顔は見えない。だからどう感じているのかも、いつもよりわかりにくいはずなのに、むしろ、くねる腰やまともに出せない呻き声から強く伝わってきたのだ。その後の2度目、3度目なんて、あれは、ちょっともう……。
なにを喋ったか、あまり記憶にない。結構マズいことを言ったような気がしなくもない。
「なんだっけ……閉じ込めたいとか、食べたいとか、世界でいちばん可愛いとか、なんかそういうことだよな」
たぶん亜紀の意識もどっかに行っていただろう。と、思うことにする。
それよりも。それよりもだ。あれはいつもの亜紀では、ない。「なにか」がないと、ああはならないはずだ。彼を冷静でなくすものがあるような気がする。この半年の付き合いで彼のすべてが理解できたわけではないが、半年前とは違うのだ。
自分の知らないなにか……亜紀はなにかを隠している?
さすがにそろそろ誰かしら通りそうだったので、立ち上がり、とりあえず歩き出す。煙草を忘れたが、特に吸いたいと思わなかった。一応、亜紀の家では基本吸わないようにしている。亜紀が家では吸わないから。でも、外では吸うんだよな、あいつ。煙草を咥えたときの上唇がすごく可愛いので、もうちょっと見たいのだが。
例のパン屋で買い物をした。9時には開店していて、列に並んで多少待ったが、そのおかげで焼き立てのパンを買うことができた。かなりの量になってしまい、紙袋3つぶんを2つの大きなレジ袋に入れてもらった。あと、自分にはブレンドコーヒー、亜紀にはミルクを熱めにしてもらったキャラメル・ラテ。洒落たパッケージのティーバッグも。春彦はコーヒーを飲みながら、亜紀の待つ……か、あるいは寝ている亜紀のアパートに戻った。
もう少しでアパート、というところまで来たとき。
背の低い女性の後ろ姿が見えた。アパートの敷地内をうろうろして、なにかの様子をうかがっている。覗きか? と思ったが、特定の部屋を覗いているわけでもないようだ。
自分はここの住民ではないので迷ったけれど、声をかけることにした。近づいてみてわかったが、女性はおばあさんと言ってもいいくらいの高齢者だった。低身長だが背筋はぴしりとしているし、髪は美しい栗色に染め上げたショートボブである。
「あの……どうかしましたか」
女性はびくっとしてから春彦を見上げた。
「──はるひこ」
いきなり名前を呼ばれた。しかも呼び捨てだった。
「……え?」
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