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7章❷.素直に、カレシの家に行けばよかった
撮影は10月上旬の土曜日、リュミエール社が運営するホテルと結婚式場で行われた。同社は静岡以外に、東京・神奈川・沖縄にウエディング拠点を持っている。撮影には、海が綺麗に見える湘南が選ばれた。
メイン業務の合間を縫って、ということは難しかったので、しばらくふたりは土日の休みを返上したり、業務を宮島とアーノルドに任せたりして時間を作ったりして、衣装合わせやポージングの練習をしてきた。
ところどころにブラックとゴールドをあしらった、イエローのウエディングドレス。
そして、それを纏った顔色の悪い花嫁。ちなみに、亜紀はクリーム色のスーツだ。
「ちょっと……レイラさん、どうしたの」
「亜紀くん……本当にごめん。私、ココに教えてもらっちゃったの……」
「ああ……そっか、うん」
「知ってたら、あんなこと言わなかった。本当にごめんなさい。完全な嘘です」
「いや……大丈夫だから、とりあえずいつものレイラさんに戻って」
「怒ってない?」
「怒ってないよ」
「……やさしい」
撮影は静止画像がほとんどだが、映像もある。声を拾わないので自由に喋っていいと言われ、ふたりは会話を続けた。
「だってまさか、春彦が男の子を選ぶとは思わなくて。女に不自由しないどころか、付きまとわれて不自由だったくらいの男なのよ」
「……まあそうだよネ」
答えながら思う。『男の子』になっているところが、非常に心寧からの伝聞ぽいな、などと。
「だから亜紀くん、すごいわ。尊敬に値する」
「あはは。令和だし、って心寧さん言ってた?」
「言ってた! どうしてわかるの」
「なんとなくだね」
はたから見れば、いい意味で普通の可愛らしい女性だ。悲しい過去を乗り越えてきた彼女には、とにかく元気でいてほしい。
「にしても、なんだかなあ……本物のモデルさんと俺が並んでいいものか……」
「まだそういうこと言う? 練習したんでしょ、がんばって。それっぽくしてれば、それっぽくなるものよ。最初のころ、マナちゃんにそう言われたの」
「マナちゃんって、春彦のお姉さん」
「そお、そお」
心寧やコーディネーターが気を遣ってくれたおかげで、こんなふうに緊張せずに撮影に臨めている。そもそも撮影とは思えないような空気の中で、亜紀は結構楽しく過ごせた。花嫁の笑顔を見上げられるのも、悪くない。両手を持ってぐるぐる回ったりしたが、やっぱり女の子の手だな、と思った。あの大きな手とは違う。包み込んでくれる、あの手とは。
次は春彦との撮影。白いスーツを着終えたあとのことだ。
「剣持くん、指輪は? あるんだっけ?」
コーディネーターが向こうのほうから叫ぶ。指輪?
「あります!」
春彦も大きな声で答えた。
「ある、って……なに?」
「こっちで用意するからいらない、って言ってあったんだ」
「用意? 俺、用意なんかしてないけど」
「あるよ。ちょっと待ってて」
「え?」
春彦は諸々が用意してあるカートに乗っていた、小さな紙袋を持ってきた。持ち手に白いリボンが括りつけてある。そのなかから、丸っこいフォルムをしたケースを取り出した。
そこにあったのは、2つの銀色の指輪。大きな指輪には赤、小さな指輪には青い小さな石が埋め込まれている。両方とも小さいが、とても色が濃い。
素敵だ、と思ってしまった。
「なに……これ」
「なんでもないよ。俺が欲しかっただけ。だから勝手に選ばせてもらった」
「サイズ、は」
「それも勝手に測らせていただきました……」
「えええ……」
春彦が左手の薬指に指輪を嵌めてくれた。自分の指にも、おそろいの、サイズ違いを。
ぴったりだ。
「実は、緒方専務から聞いた。おまえ、俺のプロポーズを先行で受けてくれていたんだな」
「──うあ! それは……」
「ありがとう。そのお礼、ということで。あまり重く受け止めなくていい」
「いやそういうわけにも」
「もちろん正直に言えば……、深く受け止めてくれると飛び跳ねるほど嬉しい。行こう、呼ばれてる」
先ほどの撮影と同じように、けっこう自由に喋れた。でも、亜紀は春彦が話すことに、ひとことふたことを返すのが精いっぱいだった。言いたいことは山ほどあった、でも、なにをどう言ったらいいかわからないのだ。
「亜紀、スーツも結構似合うな」には「君ほどじゃない」くらい。「そのポーズ、なかなかいい」には「いちおう練習したもん」くらいだ。
……ていうか、もう言おう。
もう本当に、自分のカレシが眩しい。
それも正直なところで。カッコいい男が本気でカッコつけると、実に絵になる。自分が誇ってもしょうがないのだが、誇らしさが湧いて出てきてしまってしょうがない。誰かに「面目ない」と言いたくなるが、誰に言ったらいいかわからないし、たぶん言わなくていい。
「社員モデルって本当? 嘘みたい。信じられない」
カメラマンが何度か言ったが、それは一〇〇%自分のことでなく、春彦のことだろうと思った。
撮影が全部終わったとき、心寧を招いて4人で写真を撮った。亜紀は端っこに引っ込もうとしたのだが、当然女性陣がそれを許さず、真ん中の春彦の「前」になった。身長差があるので、それも可能である。
撮影は夜空の下でも行われたので、解散したころには夜9時を過ぎていた。全員揃っての打ち上げは、来月のローンチ後にきっちり、とのことで。
亜紀はひとりで電車に乗った。春彦とはルートが違う。南武線は新宿を通過しない。
ずっとドアの前に立ち、暗闇に沈む車窓を眺めている。
春彦からは「うちに来ないか」と言ってもらえたが、断った。だめなのだ、熱があるんじゃないかというくらいぼおっとしてしまって、でも熱なんかなくて。
あるのは、どうにもならない気持ちだけ。これをうまく消化できる気がしない。
──だけど。
窓の外を流れる光を見つめていたはずなのに指輪を見てしまうし、スマホでSNSを見ていたはずなのにやっぱり指輪を見てしまう。
この青は、春彦自身をイメージしたものに決まっている。
では、あの赤は? あの情熱的と言えるほどの強い赤色が秘めるものを、春彦は自分に感じてくれているのだろうか。
そんなはずはない、とは、もう言えない。
「いやもう、素直に春彦のところに行けばよかったあああああ」
……というのが、どんどん大きくなってきてしまった。ここが電車内でなければそう叫んでいた。俺はなんの意地を張っているんですか?
これ以上ないくらいに愛情を注いでくれる恋人。自分は、容器からあふれんばかりのカリカリをもらいすぎた子猫みたいに「あわあわ」してしまって(そういう動画、実際あった)、やったー! と食いつくことができなくなっていた。でも、落ち着いて考えてみれば、素直に喜んだっていいし、素直に「いただきます」したっていいはずなのだ。
きちんと愛されるとはこういうこと。
(もちろん、春彦は一般的な規模とはちょっと違うと思うけど)
だから、自分もきちんと愛したいと思ったっていい。
……むしろ、そう思うべきじゃないのか?
南武線は自分の義務を果たすべく、黙って進んでいる。くるりと方向転換して春彦のマンションに向かうとしても、南武線は地図上ですんごい「縦」に走っていて、どこかで「横」の電車に乗らないと新宿には行けない。小田急線とか、中央線とか、京王線とかに。
土曜日の終電は、どこも早い。いまから恋人に会いに行くのは無理がある。ちなみに、タクシーだと深夜料金を足して2万円くらいかかる。現実的でない。
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