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第3話

七日間の間に、食料から旅の道具まであれこれと――準備するのは、本当に大変だった。何せ城下町が死んでいるのだ。商店などやっていないし、食料などの物資の準備も一苦労だった。 では城の食堂や騎士団の物資はどのように補給しているのかというと、四地方からの徴税だ。レオニールの代になってから税率や納める物量が増え、かなり不満が溜まっているというのは、まあ、知らない者はいない。口には出さないだけだ。 仕方がないのでリュートは実家を頼った。アルトフェルト家は各地方に縁がある。頼めば話を聞いてくれる者も知っている。 初日に実家に頼み、数日の後、物品がリュートの私室に納められた。それらを選別し、分類し、魔術で作った空間に仕舞う。物体の時間が止まる空間だ。食料品は貰ったそのときのまま保管できる。その他野営の道具類、などなど。それらを詰め込んで、大体四日。残りの三日で、本を読む。古代の魔術が収められた魔術書。今回の旅で必要となる。一応大体のことは知っているが、おさらいというか、念には念をと言うか。 そうやって本を読んで過ごして、残りあと一日と迫った所で、扉の外に気配がした。誰だろう。 一拍遅れてドアを叩く音。はい、と短く応じると、そこに立っていたのは、 「騎士団長……」 そう。黒い鎧をまとったその人だった。 「入っていいか?」 「……」 帰れ、と喉元まで出かかった言葉を飲みこむ。何か用事があるのだろうから、仕方がない。一つ頷いて招き入れる。騎士団長はそっと扉を閉めて、リュートの部屋を見回した。 「質素な部屋なんだな。本しかねぇや」 そう言って、腰に佩いた剣を取り外し、入口に立てかける。不用心だなと思ったが、まあ剣を持っていてもいなくても、リュート一人で制圧できる程度の実力に見える。まあ、いいや。 本から視線を上げて、リュートは騎士団長に言った。 「何か」 冷たい声色に怯むことなく、騎士団長は、 「いや、一緒に旅することになんのに、一回も準備について聞きにこねーから」 「その必要ある?」 「……こんなご時世だ。物資手に入れるのも苦労すんだろ」 騎士団長も、王都が荒れていることは、さすがにわかっているらしい。どれだけ盲目的に忠誠を誓おうとも、目に見える荒廃から逃れることはできない。一体、どんな理屈で折り合いをつけているのか。 「俺のことは勝手にやるから気にしないで」 「いや、そうは言っても」 「気にしないで」 「いや……」 「だから出てって」 リュートの言葉に、遂に騎士団長が口を閉ざす。怒らせたかな、と思いながらそちらを見ると、何故だか騎士団長は小さく笑っていた。 「……何」 「いや、可愛いなと思ってな」 「はあ?」 頭おかしいんじゃないかこの人。今のやり取りで一体どこに可愛さがあった?どういうこと?やや混乱するリュートを後目に、騎士団長は言った。 「鎧を突破できないのに必死で爪立てる子猫みたいだなと思ってな」 「俺がその鎧一発で砕けば認識改める?」 「やめてくれ。先代国王陛下から下賜された鎧なんだ」 その言葉からは確かな敬愛が滲んでいて、彼という人物の一端を窺う。リュートは先代国王については辛辣な評価をしているので、それは黙っておこうと思った。 「何読んでんだ?」 騎士団長が、座るリュートに近寄ってくる。今更席を立って逃げるわけにもいかず、そのままその人を待つ。彼はリュートの読んでいる本を覗き込んで、首を傾げた。 「何て書いてあるんだ」 「古代王朝の文字だから、知らなきゃ読めないよ」 「お前は読めるのか?」 「読めなきゃ魔術の解読なんてできないでしょ」 リュートがそう言うと、本から顔を上げた騎士団長と、はた、と目が合う。橙の瞳がリュートを射抜く。こんな至近距離で人の顔を見ることなんてなくて。身体が固まってしまう。嫌だな、と思って顔を背けると、無防備に晒してしまった頬に、何やら柔らかい感触が、した。 (え?) 理解が追いつかない。何が起きた?それに答えをくれたのは、眼前の騎士団長だった。 「可愛いな、お前」 「は――?」 顎を取られ、上を、騎士団長の顔を見上げる。身動き取れずに呆然としていると、唇が重なった。 (はあ!?) ただ重なるだけでも一大事なのに、ちゅ、とリップ音をさせながら角度を変え、咥え込んで、飲みこまれる。 「ふっ……んぁ」 小さく呻く。どこから出たんだその声は、と自分自身に突っ込む。すると今度は、ぬるりと舌を差し込まれ、上顎をなぞられる。思わず背中がぞくりと粟立って、背筋が伸びてしまう。 「んぅ……ぁ」 舌をなぞられ、吸われて引き寄せられ、身体を騎士団長に近付ける。その人の胸に手をついて、自分の居所を確認しようとする。 「んっ、ふぁっ……」 腰を弄られ、片腕で後頭部を抑えられて、もう逃げ場もなくて。繰り返される舌の動きに頭が段々朦朧としてきて、息も上がってきて。 (なに……してん、だ。おれ……) 目尻に涙が浮かんだ頃、ようやく騎士団長の口が離れた。瞬間。 「ぐはっ!」 リュートが躊躇わずに放った掌底が、騎士団長の鎧越しに彼の鳩尾に衝撃を与える。呻いて蹲るそいつを見下ろして、リュートは口を手の甲で拭った。消えればいいのに。 「何すんの!」 「い、や……お前こそ……何すんの……」 途切れ途切れに言う騎士団長に、そのまま顔面に蹴りを入れたい気持ちを我慢して、リュートは言った。 「急に発情しないでくれる!?俺はあんたのこと嫌いなんだから!」 「きらっ……」 何だか酷く傷付いた表情で、騎士団長が言葉を失う。リュートはびしっと扉を指差して、声高に叫んだ。 「出てって!」 「待て、その」 「出てって!」 「……はい」 リュートの強い言葉に抗えなかったのか、よろよろと騎士団長が部屋を出て行く。扉をきちんと閉めていくのはまだ許せる。 「……」 先程勢いよく拭った唇に、そっと指を這わす。 (――何であんなこと、するんだ) あいつはヴァイスベルクの犬だ。リュートの敵。なのに、何で。凪いだ湖面にひとひらの花弁を落としたように、静かな何かが、リュートの中に落ちた。 「……ん?」 部屋の扉を見ると、壁に立てかけられた剣が置いてあった。 「……最悪だ」 結局もう一度、会わないといけないらしい。 仕方がないので、剣を抱えて騎士団の詰所に向かう。がさつで、男くさくて、あまり好きな場所ではないのだが、これを返さないことにはどうしようもない。逆にまた部屋に来られても迷惑だし。 騎士団詰所の扉を叩く。はーい、と気楽な声がして、扉が開いて――その先にいる一般騎士が固まった。それはそうだろう。魔導師長と呼ばれる上位の人間が、何故だか自分の部署の団長の剣を抱えてやってきたのだ。驚くのも無理はない。 「あの」 「は、はい!何でしょう魔導師長様!」 「おたくの団長が忘れていったから。君に託していいかな」 はい、と剣を渡そうとすると、彼は首を勢いよく横に振った。何が駄目なんだろう。 「団長の剣に触れるなんて……!無理です!殺されます!」 「じゃあ俺は殺されるの?」 そう問いかけるといや……と一度口ごもってから、一般騎士が言った。 「寧ろ喜ぶと思います」 「何で?」 本気でその理由がわからなくて首を傾げる。 それにしても、困ったことだ。とっととこの剣を渡して立ち去りたいのに。頑として受け取ってくれない。 「君が受け取れないなら別の人を呼んでよ」 「誰を呼んでも同じ反応ですよ。その剣、団長は本当に大事にしているので」 「……」 その理由を、勝手に察する。鎧が先代国王からの下賜品だったという話だから、この剣もそうなのだろう。よく見たら柄に大きな宝石が埋まっている以外、何の飾り気もない剣。 「……じゃあ、俺が本人に返せばいいの?」 心底嫌そうに言うと、一般騎士は、ぱあっと顔を輝かせて首を縦に振った。 「是非!会っていって下さい!団長めちゃくちゃ喜びます!」 「だから何で喜ぶの」 よくわからないことを言う一般騎士に先導されて、騎士団の詰所を歩く。剣の手入れをする者、地図を眺めて何やら議論している者、色々いる。もっと荒くれの集団なのかと思っていたら、意外と静かな詰所で少し驚く。 リュートのことを物珍しげに見る者もいる。そんな視線珍しくもないので何も思わないが、気分のいいものではない。 「何か、好奇の視線を感じるんだけど」 前を行く一般騎士にそう言うと、彼は首だけで振り返って、にっこりと笑った。 「魔導師長は有名ですから」 「何で?」 「団長の名誉のために黙っておきます」 結局何もわからなくて、少し憮然とする。 一般騎士が連れてきたのは、詰所の奥。プレートがかかっていて、仮眠室と書いてあった。 「寝てるの?」 「多分起きてますよ。不貞腐れるといつもここにいるんで」 「不貞腐れる?」 リュートと会ってあまり時間も経っていない。不貞腐れるとしたらリュートのことだ。自分からあんなことをしてきておいて不貞腐れるとは、一体どんな了見なんだろう。 「じゃあ、俺はここで。暫く誰も近寄らせないので、ご安心下さい」 「何の話?」 一般騎士の言っていることがさっぱりわからなくて、首を傾げる。だが彼は優しい笑みを浮かべて、敬礼一つ、去って行った。 もうここの壁に立てかけて帰ったら駄目だろうか。いや、もし物取りにでもあったら面倒だ。やはり本人に返すしかない。 はあ、と溜息交じりに扉を叩く。入れ、と低い声がして、もう一度溜息をつきながら中に入る。 「何だぁ、俺は今気分が――」 言いながら起き上がって、リュートを見て黙る。心底面倒に思いながら、リュートは剣を前に突き出した。 「忘れ物。君の部下が受け取ってくれないから、俺が持ってきた」 「あいつら全員査定上げておかないとな」 ティルがそう言いながら、どこかテンション高く起き上がる、さっきまで死にそうな顔をしていたのに。リュートの前に立って、剣を受け取って。 「ありがとな」 言いながら、ぽん、とリュートの頭に、その大きな手を乗せる。触るなと言わんばかりにその手を振り払って、リュートは言った。 「用は済んだから」 「待て待て、折角だから少し話でもしようぜ」 「俺は話すことない」 「一緒に旅する仲間だろ」 「君は黙って俺の後ろにいればいいから」 「それにしたってもう少しお互い知った方がよくね?」 「……」 何を言っても引く気がないらしい。すたすたと歩いて、先程まで騎士団長が寝ていたベッドの縁に腰かける。そして、言う。 「早くして」 こいつの望む会話とやらを済ませて、とっとと帰りたい。リュートはその一心で騎士団長の行動を促す。彼はどこか嬉しそうにリュートの隣……腕が触れあう程近くに座って、そのままリュートの肩を抱いてきた。もちろんリュートはその手を振り払う。懲りずにもう一度抱いてくる。振り払う。抱いてくる……面倒になって諦めた。 「何の用。俺は用ないけど」 「お前っていつもそんなつんけんしてんの?」 「愛想よくされると思ってるの?無理矢理キスしといて」 リュートが嫌そうにその話をすると、ああ、と騎士団長が言う。もう一度腕に力を入れてリュートを引き寄せ、言った。 「満更でもなかったんだろ?」 頭沸いてんのかこの人。と辛辣な内心を隠すことなく、リュートはジト目を騎士団長に向けた。 「何のこと」 「可愛く喘いでた」 「知らないよ。仮にそうだったとしても、身体と心の反応は切り分けて考えるものでしょ」 「……嫌だったのか?」 不安げに揺れる声。何言ってんだこの人。嫌に決まってる。誰が好きでもない人とキスして、喜ぶと?だがそれを真っ直ぐに伝えるのは、何となく気が引けた。そんな不安そうに言われたら……躊躇ってしまう。 「……知らない」 そう言うのが精いっぱいだった。だがそれを聞いて何を思ったのか、騎士団長はそのままリュートのことを押し倒してきた。 「何考えてんの?」 あまり感情を乱すことのないリュートだが、さすがにこれは、と怒りを前に出す。だが目の前にいる橙の瞳の男は、欲で揺れる目をリュートに向けてくる。だから何を考えているんだ。 「同意だと思ったんだが」 「同意するわけないでしょ」 「お前ってさ」 「何」 「つんけんしてても可愛いのな。堪らん」 「馬鹿なんじゃないの」 真っ正直にそれを言っても、騎士団長は喜ぶだけだった。にこにこと笑って、仮眠用のベッドに手をついたのとは反対の手で、リュートの頬を撫でる。案外優しい手つきだな、とは思った。思っただけだった。 「やめてもらえる?」 冷えた声でそう言うのだが、のぼせ上がった騎士団長を冷やすには足りなかったらしい。顔を寄せて、またキスを迫る。リュートは顔を背けて拒否。だが横を向いた頬を、また取り上げられてしまう。さっきも同じことをやらかしたのに、俺の馬鹿。 「何回言えばわかっ――」 言葉は続かなかった。覆いかぶさるようにキスをされて、何度も啄むように愛撫される。 だが今度はリュートも負けない。跨った騎士団長の股間めがけて、リュートは足を振り上げた。そこはさすが騎士団長というのか。急所への攻撃を察して飛び退き、ベッドから下りた。 リュートは起き上がって、また唇を手の甲で拭う。俺は何回こいつに唇を許してるんだ。三度目はない。絶対。 「お前!それは駄目だろ!?」 「いっそもげればいい」 「怖いこと言うなよ!縮み上がるわ!」 「騎士団長、俺は単なる同行者だから。それ以上期待しないで」 リュートが最後通牒と言わんばかりにそう言うと、騎士団長は少し切なげに笑って、言った。 「せめて、ティルって呼んでくれ」 「何で。名前を預ける程の仲とは思えないけど」 「リュート」 名前を呼ばれる。何故だか、心がむずむずする。こんな奴に名前を呼ばれても、何も思わないのではないのか?何で? 名付けることのできないそれを見てしまったからか。 「……ティル。これでいい?」 騎士団長――ティルは嬉しそうに、にっと笑って、よろしくな、と言った。

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