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第4話

出立の朝。城門前に旅装で佇んで、城を見上げた。 (――次、見上げるときは) きっと、景色を変えてみせる。 声に出さず、静かに決意する。前日までに両親と弟との別れは済ませてきた。両親はただ、泣くでもなく、悲嘆するでもなく、「リュートが成し遂げたいことを、成し遂げなさい」と送り出してきた。弟も、両親の言葉に大きく頷いて、握手した。 振り返ることなく自宅を後にして、こうして城を見上げていると、そんなにむきにならなくてもいいのでは、と思うこともある。これまでどおり漫然と暮らしていけば、生活に困ることもない。 だが、それでは駄目だと、自分の信念が言う。 「よう。いい朝だな」 リュートの思索を止めたのは、気楽なティルの声だった。ジト目で彼を見て、リュートは小さく、 「おはよ」 と声をかけた。こんなことすら嫌なのに。なのにティルは嬉しそうに笑って、「はよ」と返してくる。たまにこの無邪気な笑みに罪悪感を覚えることもあるのだが、なんせこいつはリュートを押し倒し、キスをしてきた男だ。油断するとまた何かするかもしれない。 「馬、乗っていかねーの?」 「馬は魔力に敏感だから、俺は乗らない。君が乗りたいなら乗れば?暴走するだろうけど」 「そうなんか。じゃあやめとくわ。徒歩での旅ってのも、悪くないな」 こいつは――ティルは、どうしてこんなに前向きなんだろう。馬を取り上げられたら普通は嫌がる。文句だって言いたくなるだろう。進みは遅くなるし、何より疲労する。馬に乗るのも疲れるが、歩くよりはいいだろう。なのにこの男は、嫌な顔せず、悪くないなんて平気で言う。 (……絆されるな) 基本的に、ティルは善人なのだと思う。素行は最低だが、人格は穏やかで、大らかで、寛容だ。何よりリュートの塩対応を前にしてもずっと笑っている。可愛いとか言う。 (こいつはヴァイスベルクの犬。油断できない。なんせ俺を斬るためにいるんだ) 反乱の予兆が見えたら、なんてレオニールは言うが、予兆をでっち上げて殺して来いと言っているのと同じだ。善人の顔をして油断させて、夜ばっさり、なんてことも想定できる。気を許してはいけない。 「何怖い顔してんだよ」 ティルがそう言ってリュートの前に回り込み、両手を頬に――むにむにと摘まんでくる。 「ひゃにひゅるの!」 「何言ってんのかわかんねー」 ははっと楽しそうに笑って、それから手を離す。摘ままれた頬を擦って、もう一度言った。 「何するの!」 「怖い顔してっから。ちょっとは気ぃ抜けたか?」 「……別に」 「もう一回しようか?」 「次したら魔術で山の果てまで吹っ飛ばすから」 リュートはそう言って、先に歩き出した。いつまでも城門でうだうだしているわけにはいかない。 城門から街道に出る道は、石畳で舗装されている。城や町の中は定期的に補修されるのが常だが、今は誰もそこに金をかけないので、石畳が欠け、雑草が好き放題生えて歩きづらい。ブーツの靴底にでこぼことした感触を感じながら歩いていると、横に来たティルが声をかけてきた。 「今日はどこまで進むんだ?つーかどこ行くんだ?」 「……地の村が一番近いから、当面の目的地はそこ。でも今日中に着くのは無理だから、中間地点の森に入ったら野営する」 「へえ。しっかり計画してんのな。俺も同じこと考えてたよ」 「何。俺のこと試したの?」 「つんけんしてるだけの、魔導師長さまかと思ってたんでな」 視線を、横のティルに向ける。やはり油断ならない。何を考えているかわからない。剣呑な視線に気付いたのか、ティルはリュートの方を向いて、にっと笑った。 「キスしていいか?」 「だめ」 「じっと見てるから。いいのかと思ったんだけど」 「だめに決まってるでしょ」 「残念だな」 油断できない騎士団長の顔。リュートを落とそうとする男の顔。どちらも同じティルなのに、一瞬混乱してしまう。そうして心が掻き乱されると、思考が彼のことだけになってしまって、それを不快に思う。 「さっさと歩こう。中間の森に着けなくなる」 「へいへい」 ぐちゃぐちゃの思考を振り払うように、リュートは先へ先へを歩いて行った。 (先が思いやられるな……) いつ殺されるのかわからない緊張感と、自分の持て余した感情で。 地の村の手前に広がる森の中に入った所で日没が来た。予定通りだ。暗くなる前に野営の準備をしなければいけない。リュートは叩き込んだ地図を思い出しながら、森の中を進む。視線の先に、大きな湖があった。 「おー。水場か。ちゃんと調べてんのな」 「……ちょっと黙ってて。うるさい」 いらっとしながらリュートが言うと、ティルは何故だか手を伸ばして、ぽん、とリュートの頭を軽く叩いた。更にいらついたので、思いっきりその手をはね除けた。 リュートは左手を何もない場所に向かって伸ばして、小さく呪文を唱え、空間を開く。準備期間の間に放り込んだ野営道具をそこから順番に取り出す。 「何だそりゃ?」 「何でもいいでしょ」 「いや、俺なんてデカいリュック担いでんだが」 「俺は魔導師だから」 「便利なもんだなぁ」 よっこらせ、とティルが荷物を下ろす。ちら、とそれを見て、思う。 (……馬がいれば、そっちに積めたんだろうけど) 出立のときのことを思い出す。本来は自分で担ぐはずの物ではなかったのだ。だがリュートが馬を使わないと言うから。 仮に交戦となったとき、こんな大きな荷物を下ろしてから抜剣していては、相手に先手を取られるだろう。普通、旅の間は身軽にしておくものだ。 (……俺が、馬を使わないから) 危険を承知で、この人は。 (だめ。絆されるな。違うんだ、これは) ぐっと奥歯を噛んで、今晩の寝床の準備をする。少し厚みのあるマット、寝袋を順に出して、ああ、食事もか、と思い出す。 「その空間さ」 ティルが話しかけてくる。先程の思考を引きずっているからか、 「何」 どこか柔らかい声が出る。ティルはそれに気が付いて、少し驚いたような顔をしてから、言った。 「食料品とかどうなってんだ?」 「時間の止まった空間だから、何でも置いておけるけど」 「マジか。すっげぇ便利だな。俺なんて軍のまっずい携帯食料だよ」 ごそごそとティルがリュックを漁って、ほら、と見せてくる。四角い、栄養のことだけ考えた不味そうな固形物。自分だったら絶対食べないやつ、と思う。 湖畔に寝泊りの準備を済ませ、リュートは空間から母の作ったサンドイッチを取り出す。一日分だけでいいから食べたいとねだって、作ってもらって、持ってきた。リュートの好みに合わせた、シンプルな卵サンドと、ハムサンド。無性に、この旅の先のことを考えて、胸が痛くなる。 「うまそうだな」 不味そうな携帯食料をもそもそと嚙みながら、ティルが言う。まあ、それに比べたら何だって美味しいだろうけど。 「……」 リュートは空間に手を突っ込んで、持ってきてあった市販品の缶詰を取りだす。鶏の照焼、桃の甘煮の二つ。それを無造作に、彼を見ることなくティルに差し出した。 「え?」 「いらないなら返して」 「いや、いるけど……いいのか?」 「たくさんあるから。それくらいなら」 「マジか。助かる」 ひょい、とティルが持って行って、缶詰を開ける音がする。そう、これは馬の件のお詫びみたいなもの。借りは作りたくないから。そう……こんな奴に借りを作るなんて本当に嫌だから。 もふもふとサンドイッチを食べ進め、空間から水を取り出し、一気飲みした。 夜の帳が下りたので、ランタンに火を入れる。ぼんやりと明かりが周囲を照らす。リュートの魔術に明かりを点けるものもあるのだが、あれはとにかく明るすぎてどうしようもない。 リュートの使う魔術は、広範囲殲滅だったり規模が大きい。対人で小規模な魔術が得意ではないのだ。そのため対人で戦うために体術を一通り極めた。最近はその体術の使い道が、腰の軽い騎士団長に向いているのは、何なんだろう。 リュートは立ち上がって、空間からあれこれ取り出して、言った。 「ちょっと離れるから」 「どこ行くんだ?」 「水浴び」 「マジで?覗けってことか?」 「ちょっとでも視線感じたら湖ごと爆砕するから」 「面白い冗談だな」 「本気だけど」 「……お前ってそれをマジでできるから怖いよな」 ふん、と鼻を鳴らして、リュートは野営の場所から離れる。何でこんなに広い湖の側を野営地に選んだのかと言えば。 湖の外周に沿って歩いて行くと、独特のにおいが鼻に届く。 「温泉あるんだよね」 そう。この湖周辺には、いくつか温泉が湧き出る場所がある。地の村に近いからだろうか。大きな岩の影に小ぢんまりと溜まった温泉。人ひとりが入るには十分だ。不埒な騎士団長が見ていないか周囲を見回してから、リュートは旅装を解く。そして、そっと足を温泉に浸す。少し熱い。魔術で水を呼んで温度調節。そして。 「ふー……」 身体が解れる。気持ちいい。膝を抱えて。耳の下まで浸かって。 ここ最近、張り詰めていたからか、温泉の湯の温度に癒される。堪らない。 普段結っている髪をゆらゆらと水面で躍らせて、少しの間目を閉じる。それから、ふと上を見る。木々の隙間から星々が覗いていた。 星に導かれた一族の伝承を、思い出す。建国神話だ。初代国王は、魔術に優れた、主神の寵愛を一身に受けた賢君であったと言う。主神は人を愛し、初代国王の一族は国を愛する契約を結んだ。 (……どうしてこうなっちゃったのかな) この国の成り立ちを考えると、いつもその疑問が頭に浮かぶ。他にどうにもならなかったのかとも。 考えても仕方がないので、リュートはお湯から上がって、持ってきた石鹸や洗髪用品で身体を綺麗にしていく。温泉のお湯を魔術で汲み上げて、自分の身体にかけて。タオルで身体を拭いて仕舞だ。再度旅装を身に着けてから歩き出すと―― 「……最低」 「一応、俺監視だからな」 前方の木の幹に、ティルが凭れかかっていた。気配探知に引っかからなかった。腐っても騎士団長ということか。悔しいが。 「見てたの?」 「見てたよ。いい身体してんな、お前。絶対抱く」 「論外過ぎて何も言えない」 ぷいっと顔を背けて、リュートは野営の場所に歩いて行く。後ろからティルがついてくる気配。してやられたことに腹が立って仕方がない。 駆け寄ってきたティルが、リュートの頭に鼻を寄せてくる。 「何?」 「石鹸のいい匂いがする」 「風呂上りだから当たり前でしょ」 「そそる」 「やめて」 野営地に着く。空間を開いて荷物を戻して、月の位置を見て時間を推察する。それから、リュートはティルに言った。 「もう寝るから。監視しなくてもいいでしょ」 「寝入るまで見張るかな。その後さっきの温泉入るわ」 「……」 こいつに睡眠の術ぶつけて朝まで昏倒させてやろうか。と真剣に考える。こいつはやっぱりヴァイスベルクの犬だ。 「……」 寝袋にもそもそと入って、目を閉じる。寝入ったかどうかなんてそう言えば分かるのだろうか。気配でも読むのか?まあどうでもいいや、と横を向いた、そのときだった。ずっしりと寝袋越しに体重を感じる。 「また!?」 ティルが、リュートの上に乗って、見下ろしていた。 「やっぱ駄目だわ、風呂上り。ヤバいくらいそそる。食っていい?」 寝袋に両手両足を入れているので身動きも取れない。何たる失態。最悪だ。躊躇ってはいられない。 「飛べ!」 短い呪文。相手を吹き飛ばすだけの簡単なそれで、ティルが後方に吹き飛ばされた。 「いって!」 尻もちをついて、腰の辺りを擦っているティル。リュートは慌てて寝袋から出て、空間を開き、その中に飛び込んだ。 「おい!」 ティルが追いかけてくるが、一足先に空間を閉じる。ティルの伸ばした手だけが、最後視界に残って。 「はー……」 旅の資材一式の中に尻もちをついて、リュートは長い溜息を吐いた。

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