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第5話
朝……だろうか。空間の中だと時間の感覚も鈍い。物資の山の隅っこを陣取って眠ったが、思いの外快眠できた。やはり安心は大事だ。
物資の山を寝そべったままもそもそと漁る。懐中時計が出てきた。普段は身に着けているが、旅の最中に落とすのが嫌で、空間に入れておいた。真鍮の表面に、星の紋章の入った、アルトフェルトに伝わる大事な懐中時計だから。
「……起きるか」
身体を起こして、背伸びをする。んんっと声を出して、立ち上がる。
「……」
空間の外に絶対いるであろう騎士団長ティルのことを思い出して、もうこのまま空間を繋いでいって、一人で地の村に行ったら駄目だろうかと真剣に考える。貞操の危機を感じながら旅をするなんて嫌すぎる。だが、これで本当に一人で行ったら、あいつはレオニールに単独行動を伝え、レオニールはここぞとばかりに反乱の濡れ衣を着せ、実家を攻撃するだろう。それは嫌だ。
「……出るか」
全てを守りながら事を為すのは難しい。だが、だからといって全て必要な犠牲にはしたくない。リュートは空間を割って、とん、と地面に飛び降りた。
すると大の字になって仰向けに爆睡するティルの姿が目に入る。お気楽すぎる。やっぱりこのまま起こさずに出立しようか、と思った所で、ぱちくりとティルの目が開いた。
「……リュートか」
「おはよう、性欲魔」
「名前を呼んでくれって頼んだだろ。おはよう」
「名前を呼ばれたいなら信頼に値する行動をすべきではないの」
「スキンシップだろ」
「俺の持ちうる言語の中に肉体言語はないよ」
立ったまま寝転がるティルを見下ろし、リュートは言った。目を細め、冷徹に告げたつもりだったのだが、彼は寝た姿勢からリュートを見上げて、大らかに笑った。
「じゃあ、ちょっとずつ攻略するわ」
「……懲りない奴」
「朝から眼福だわ。いい顔してるな。可愛い」
「どうでもいい」
ふん、と横を向いて視線を切る。リュートは昨晩使わずにそのままになっていた野営用のマットと布団を、再度空間を開いて片付ける。閉じる作業をしていると、横にティルが立っていた。馴れ馴れしくリュートの肩を抱いてくる。振り解いても無駄なのはわかっているので、仕方がなくそのままにしておいた。
「何か用」
「いや、俺も仕事あるからさ。あんま単独行動されると困るんだわ」
「ふーん。じゃあレオニールに言えば?」
「国王陛下、って言え」
「レオニール」
「……お前な。昨晩俺を振り切った件も、陛下を呼び捨てたことも、俺にとっては報告対象だぞ」
「言いたければ言えばいいし、斬りたければ斬れば?その剣は飾りじゃないんでしょ」
「……思い切りがよすぎんだろ。あんま俺に心労かけるな」
ぐっと腕に力を入れて、リュートを自分の胸元に引き寄せるティル。不意に鎧のない、生身のティルの身体が眼前に迫って、気付けば抱き締められていた。
「誰が惚れた奴、斬りたいと思うかよ。頼むから大人しくしてくれ」
ティルが、リュートの首筋に顔を埋める。はあ、と溜息が耳元に聞こえてきた。
(……温い。ヴァイスベルクの犬のくせに)
レオニールに忠誠を誓うなら、昨日からの件は報告すればいいのだ。だが、彼の生来の人の好さが、それを拒む。二律背反に苦しむだろうに、そうしている。
馬鹿な男だ。リュートに惚れるから――そんな情、さっさと捨てればいいのに。こういう細かな報告を飛ばすだけで、レオニールなら騎士団長を殺める。
だが、このお人好しがそんな目に遭うのは、嫌だなと思った。思ったより居心地のいい腕の中で、リュート自身も、温いことを考えた。
出立して、森の中の街道を歩く。相変わらず大きな荷物を背負って歩くティルを横目に見て、リュートは言った。
「どうして俺なの」
「何がだ?」
「……」
自分で言うのは少し恥ずかしい。頬に熱を感じながらリュートは続きを告げる。
「……惚れたのが」
俺は何を聞いているんだと思いながら、リュートはティルの返事を待つ。彼は特に迷うことなく、その答えを言った。
「顔がいいよな。可愛い」
「……で?」
「可愛いから」
「……聞いた俺が馬鹿だった」
心底呆れ返って、本当に無駄なことを聞いたとリュートは思った。大体、何て答えてもらえれば、自分は満足したのだろうか。心根に惚れた?家柄?結局何と言われたって、リュートの本当に求める答えは得られないのだ。特にこいつは、顔が良いを連呼していたし。そう、最初から期待外れ。それでおしまい。
「じゃあ何で抱こうとするの」
何でまだ尋ねているんだろう。何を望んでいるんだろう。
「お前エロいしな。昨日も風呂覗いたとき思ったけど」
「最低」
ほら見ろ。下劣なことしか言わない。自分が求めるような――何を求めているのかも、わかっていないのだが、きっと得られることはない。
何故だか、溜息が出た。
「色町に通ってるの、有名だしね。人のことそういう目で見てるんだ」
嘲るようにそう言うと、いやぁ、とティルはのんびりと答えた。
「お前に惚れてからは、行ってねぇよ」
思わず目を見開く。どうして、そういう答えが欲しいときではなくて、不意に尋ねると出てくるのだろうか。じわっと頬に熱が集まる。どうして、どうして俺は、うっすらと喜んでいるのだろうか。
「大丈夫か?顔赤いぞ」
ティルが手を伸ばしてくる。額に手をやろうというのだろうか。思わず叫んだ。
「触らないで!」
「何でそんな急にでかい声出すんだよ」
「知らない!もう!」
飛行の術で一足先に地の村に向かってしまおうか。何で、何でこんな。
(俺は何を考えてるんだ!)
ヴァイスベルクの犬に。あいつは敵なのに。でも、リュートの行動を報告しなかった。そう、結局報告しなかったのだ、こいつは。大分迷っていたようだが、見逃せる範囲だと言って。騎士団長の権限だと言って。
でもすぐ襲ってくる。キスもするし際どい所を触りもする。リュートが許していると勘違いしている。そういう軽い男なのだ。これ以上深入りしない方がいい。今日のこれは、そう。気の迷い。
はあ、と息を大きく吐いて、前を見る。視界に地の村が見えてきた。大地の精霊に愛された土地。段々畑が穏やかな風景を作り出す、丘陵地帯の合間にある村。
「見えてきたな」
「そうだね」
「お、ちゃんと会話すんじゃねーか」
「たまたまでしょ」
そう切って捨てると、ティルはリュートの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。可愛い、と言いながら。もう抵抗するのは止めた。面倒だから。そう、面倒だから。
地の村の入口に差し掛かる。村の中心の大通りに足を踏み入れると、村人が物珍しそうにこちらを見て――少なくない人数の子供や大人が、嫌悪の表情でこちらを見てくる。
さすがに悪意を向けられれば感じ取るのか、ティルが腰の剣に手をかける。リュートも相手の意図が読めない以上、気は抜かない。ただ子供までもがそんな表情をするのが解せなくて。
「国王の犬が!」
叫ぶや否や飛んできたのは、石。リュートの前をひゅっと通り過ぎて、ティルの鎧にこつん、と当たる。
(……そういうことか)
リュートは一人、納得する。ちらとティルを見ると、少なからず衝撃を受けたようで、固まっている。
一人が石を投げたことで合意形成されたのか、子供も、大人も、ティルに向かって石を投げる。こん、と金属を石が叩く音がいくつもして、その内の一つがティルの頬を掠めた。薄く血が滲む。
看過できないと判断したのか、ティルが抜剣した。すらっと鞘が鳴る音。その様子に怯む村人。リュートは、そんなティルを手で制した。
「駄目だよ」
「何でだ。王権への反逆だぞ」
そう、石が当たった鎧は、先代国王の下賜品。胸元には王家の紋章が刻印されている。それに石を投げるというのは、そう取られても仕方がない。だが。
「……彼らは、城下町からの難民だよ。嫌悪されるのはどうしようもない」
「……」
ティルが黙る。じろりと村人を睨んで、それから剣を仕舞った。
「……宿に先に行ってる。目を離すが、単独行動すんじゃねぇぞ」
リュートの返答も待たず、ティルは歩み去る。それを見送って、リュートは石を投げた子供に近付いた。
「気持ちはわかるけど、よくないよ」
そう言うと、子供は暫くじっとリュートを見つめて、言った。
「アルトフェルト様?」
「……そうだね」
「その声、覚えてる。アルトフェルト様だ!」
子供の声に、石を投げていた村人がリュートの周りに集まってくる。人の輪の中心で、彼らの笑顔を受け止める。
「アルトフェルト様!」
「配給、本当に助かりました……!ありがとうございました!」
「あの配給で生き延びて、こうして地の村で受け入れて頂けて……!」
「アルトフェルト様!本当にありがとうございました!」
口々にそう言われて、リュートは大体の背景を察した。
城下町は惨憺たる状況だ。食べる物も、水も、何も無い。干からびて死を待つだけの町となっていた。見かねたリュートが、実家に頼み込み、伝手を辿って物資を集め、何度か城下町で配給を行った。もちろんアルトフェルトがそんなことをしたとレオニールに知られるわけにはいかないので、馴染みの商人に依頼して、やってもらった。
そして一度、顔をフードで隠して、配給の様子を見に行った。あの子供は、そのときのリュートを見ていたのだろう。
「ここでは、上手くやっていけていますか?」
リュートが尋ねると、全員が首を縦に振る。
「地の村の村長さんが、段々畑の面倒を見る仕事を割り振ってくれたり、家も準備してくれたり、何かと助けてくれました」
「……そうですか。本当によかった」
柔らかく微笑む。民が無事であることが、リュートにとっては一番大事なことだ。こうして生きていてくれて、心の底から安堵する。
すると一人の村人が、ですが、とリュートに言った。
「意を決して城下町を飛び出した俺らはいいですが、残っている連中もいます。アルトフェルト様、助けてやってください!」
「……」
そう。ここにいるのは城下町の民全員ではない。かなりの人数を助けられなかったとは言え、まだあの地で耐えている者もいる。
(……やはり、ここで成し遂げなければ)
城下町の心配もそうだが、王都周辺の村も酷い有様だと聞いている。この国は、城の周辺から腐っていっている。もう、猶予は無い。
「俺にできることがあれば、また言ってください。国王が憎いのはわかりますが、かの王は浅慮ですから。あまり露骨なことはしない方がいいです」
リュートもかなり問題発言をしているのだが、村人は神妙に頷いて見せた。
ふと、空を見上げる。青い、綺麗な空が、そこにあった。
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