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第8話

ティルとリュートが連れていかれた昼食会場は領主の館だった。ずらりと並んだ地の村の特産品、山の獣の肉、川の魚……それを見て、四地方の圧倒的な収穫量と、豊かさを実感する。 (……王都とは比べもんになんねーな) ティルは、席に座りながらそう考える。 王都周辺の村、城下町の物流が死んだのは、いつだったろうか。ティルが騎士団にいる頃にはもう国の終わりは始まっていた。色町に長くいる老婆なんかに話を聞くと、この荒廃は老婆が子供の頃には兆候が見られたと言う。 その終わりそうな国を立て直そうと尽力したのが、ヴァイスベルク王家だ。王家の編纂する歴史書に記される彼の王家の施策はどれも立派なものだった。これを為しても国が立て直せないと言うなら、それは最早国民の怠慢であるとティルは思っている。 そう、王家は悪くない。 だがこうして地の村の豪勢な食事を見てしまうと、どうしても彼我の差を感じてしまう。そして、どうして地方が豊かで、王都が死んでいるんだと憤りすら覚える。 (それよりも、リュートだ) ティルは、出された特産品の葡萄酒を飲みながら、正面の席に座るリュートを見た。 朗らかに笑みを浮かべ、横に座った領主と歓談している。出された料理に少しずつ口をつけながら、焼き魚の名前を聞いたり、山の獣の数をどう調整しているのか確認したり、学ぶことを怠らない。 領主が何事か冗談を言って、リュートが破顔する。それを見て、むっとする。 (俺の前で笑ったことないのに) あんな明るい顔で笑えるなんて。 俺の前では無表情か、怒るかしかしないのに。まあ、ベッドの上では艶っぽい顔を見せてくれるが。 リュートが欲しい。 知らず知らずのうちに股間が反応する。それをもぞっと座り直して誤魔化しつつ、ぐいっと葡萄酒を煽って空にする。するとすかさず世話係の女性が横に付いて、とくとくと続きを注ぐ。 「おう、悪いな」 「いえ、たんと召し上がって下さいね」 そう言って、女性が下がる。 ティルはもう一度葡萄酒を口にする。アルコール度数は強いが、こんなにいい酒はもう王都では飲めない。豊かさの象徴の一部を得ていることに罪悪感が起こるが、旨いものは仕方がない。 (……どうしたら、あいつが手に入るんだ) 酒に酔って少し溶けた視線をリュートに向ける。一度たりともこちらを見ない、氷の魔導師。 欲しい。本気で欲しい。俺の下で思う存分鳴いて欲しい。そして蕩けた顔で、甘い声で、名前を呼んで欲しい。 だが彼を抱くには障害が多すぎる。先ず本人が体術に優れていること。鎧越しに掌底を放って鳩尾に当ててくるなんて、どれだけ熟達しているんだという話だ。続いて魔術。一言言葉を許せば吹き飛ばされる。攻略難度が高すぎる。 (だってなぁ……可愛い声聞きてぇし。口を塞ぐのはもったいない) それで今の所連続敗退中だ。 だが希望もある。先日リュートの方の身体に反応が見られたこと。全く何も感じていないわけではない。リュートの中にも、欲の火があるのだ。きっと。本人は断固認めないだろうが。 (その火を、煽ってやれば) 彼が陥落するかもしれない。 一方で、リュートには反逆の兆しがある……ように見える。まだ決定的な証拠はないが、領主と既に面識があったり、妙に祠での動作に躊躇いがなかったり……怪しいと思えることはいくつかある。 レオニールはリュートを城と実家以外の外に出さなかったという。どうやってその状態で領主と繋がりを持ったのかは謎だが、現に表情和やかにやり取りをしている。 (余計なことしなきゃいいんだが) ティルとしては、リュートを斬りたくない。兆しがあれば斬れという指示だが、馬鹿正直に兆しなんて待たなくても、適当に理由を付けて殺して来いと命じられているのも事実だ。 今の状態だと問題なく斬首できる。地の村の領主と繋がっているというだけで十分だ。だが、見逃そうとしている。 (……斬れるかよ。マジで惚れてんのに) 最初は、本当に顔だった。灰金の髪を緩く縛って、彩度の低い紺色の瞳をすっと細めて、ひらりと魔導師のローブを揺らす彼は、本当に美しかったから。 旅で共に時間を過ごすうちに、その心根も見え隠れした。今の所本当にティルのことを嫌っているというのは、確定だ。だが嫌いだと言いながらも、どこかに情を残していて。ティルが困った顔、不安そうな顔をすれば、その情で態度が緩和する。 (そういうところ、可愛いんだよなぁ) つんけんしているのに、演じきれないところが。 飽きることなくリュートを眺め、葡萄酒を流し込む。ふらりと視界が揺れる。飲みすぎたかな、普段はこの程度で酔うことはないのに。余程酒精が強いようだ。ふと、横に気配。気付かなかった。振り返ればそこにリュートが座っていた。 「りゅー……と?か?」 「随分酔ってるね」 「ちょっと、な……」 ふらりとしながら立ち上がろうとすると、それをリュートの手が押し留める。 「無理しない方がいいよ」 「いや……かんし……」 そうしてリュートを見ていても、どこかぼんやりしている。 「ティル」 リュートの声がする。 「こっち向いて」 言われるがままに彼の方を向くと、少し間をおいて不意に唇を塞がれた。嘘だろ、リュートから? ぬるりと舌が唇を割って、その瞬間、口の中に何かを流し込まれる。何だろう?酒?つん、とした酒精の匂い。喉を熱いものが通って行くのを感じながら飲み下す。 「地の村特産の、米の酒だよ。少し強いけど」 「う……」 くらりと視界が回った。これはまずい。酔いが回っている。 「美味しかった?俺は結構好きなんだ」 「ああ……たぶ、ん」 「まあ、一気に飲むお酒ではないけどね」 「りゅー……」 言葉は、続かなかった。 頭で円を描きながら、ティルが倒れる。すー、すー、と深く眠ったことを示す呼吸の音を感じて、リュートは唇を拭った。 「上手くいきましたか」 「そうみたいです」 すっと立ち上がって、ティルを冷たく見下ろす。 「……そちらの動きを確認しようにも、この犬が邪魔で」 「仕方がありません。かの愚かな王は、アルトフェルトを排除したくて仕方がないのです」 リュートは寝転がったティルを見ながら、余程蹴りでも入れてやろうかと思ったのだが、さすがに悪辣すぎてやめた。 「適当に宿に運んでおいてください」 「村の者に伝えます」 領主が言うなり、側に控えていた女性――先程ティルに葡萄酒を注いでいた人に、静かに命じる。彼女は一つ頷いて、さっと走り去っていった。 「重たいかも」 「まあ何とかするでしょう」 領主はそうして、リュートに言った。 「少し歩きましょうか」 「はい」 連れ出されたのは、段々畑の連なる農耕地帯。畑の間を走る細い道を並んで歩きながら、領主は言った。 「今年の収穫量も、順調です」 「そのようですね。先程の昼食会の食事、どれも見事でした」 「ありがとうございます」 領主は横を通りがかった桃の木から身をもいで、リュートに渡した。 「長年の品種改良が実り、糖度が存分に高くなった桃です」 「すごいですね。頂いても?」 「是非」 リュートは皮を剥いて、大きく一口。じゅわっと果汁が溢れて、甘い果実が口いっぱいに広がる。 「美味しいです」 「そうでしょう。ですが――」 そこで言葉を切って、領主は王城のある方角に視線を向けた。 「徴税が厳しく、村の者や他の四地方に行き渡らず、商売になりません」 「……」 「今は徴税を越える収穫量がありますが、農業は水物です。天候、気温、虫、そういったもので簡単に収量が変わります」 「そうですね」 「安定して収穫できるように継続して品種改良を続けていますが、それも明日成果が出るものではない――必要なのは、体制を変えることなのです」 「……わかっています」 四地方が豊かなのは、領主の努力の賜物。しかし王城が強硬な手段に出れば簡単に盤面が変わる。あの強欲で愚かな王は、自分の手元に財の類が集まっていないと満足できないから。 リュートは桃を最後まで食べきって、種を何となく地面に植えた。 「芽が出ますか?」 「残念ながらそのままでは。後でこの桃の担当の者にきちんと処理して植えるように伝えておきます――アルトフェルト様の桃だと言って」 「また大袈裟にしようとする」 リュートが唇を尖らせて言うと、はは、と領主は笑った。 「さて、本題です」 領主は段々畑の頂上まで歩く。リュートはそれについて行き、畑を見下ろした。 「リュート様が城を離れたという報は、既に同士の間に伝わっています」 「はい」 「いつでも決起できるようにと、内々に四地方から武器の類を持ち出し、城のある大平原の拠点にて準備を進めています」 それを聞いて、リュートは眉を顰めた。 「俺はそれを望んでいません」 彼らがしようとしていることは、理解ができる。この国を憂う者が立ち上がろうとしている。まだこの国が息をしていることを感じて、それは嬉しいと素直に思う。 だが一方でそれは、彼らの血の上に成り立つものだ。確実に騎士団は出てくるし、そうなれば戦闘になる。この国を大事に思うだけなのに、命を懸けて欲しくない。 領主はリュートに言う。 「しかし。リュート様だけに任せるのは」 「……俺のすべきことが為されれば、この国は確実に変わる」 「ですが」 「どうか、俺の願いを聞いてもらえませんか?」 「……では、我々は、リュート様の保険になりましょう」 「保険?」 「はい」 そう言って頷いた領主とリュートの間を、風が通り抜けた。さわさわと畑の作物が風に揺れ、先程の桃の甘い香りがリュートに届く。 「リュート様が万が一のときは、我々がこの国を終わらせます」 「俺はあまり信じられていない?」 冗談めかしてそう言うと、領主は首を横に振った。 「違いますよ――何が何でも変えてやるのだと言う、意気込みです」 「おい!」 不意に割って入った声は、ティルだった。酒の効果はあまり長持ちしなかったらしい。だが、領主と状況の確認と、不要な犠牲を止めるという大事なことは為せた。問題ない。 「だから単独行動は――!」 「もう酒は抜けたの?」 いけしゃあしゃあとリュートが問えば、ティルはああ、と頷いてから自分の髪の間に手を突っ込んだ。 「まだ頭いてぇけどな。お前がいないから」 「一緒にいたって意味ないでしょ」 「看病しろよそこは!」 まあ、それはそうかもしれないが、リュートは別にティルを介抱するつもりはない。勝手に倒れただけだし。 「お二方」 領主が、先程までの熱をひっそりと隠して、穏やかに言った。 「本日も泊まって行かれては?」 大平原の拠点での準備の為に、騎士団長を王都から引き離したいがための、足止め。それをわかっているのですぐにそうします、と頷きたいところだが、ティルから疑われている。これは一度、彼にどうするか判断を求めてもいいかもしれない。 「どうする?」 リュートがティルに視線をやると、彼は、 「まあ、仕方ねーな。俺も調子悪いし、このまま出立するとすぐに夜になる。大して距離も出せないのに勿体ない」 言質は取った。彼は足止めに自分から乗った。ちら、と領主を見るとほんの少し笑みを深めている。馬鹿な騎士団長と顔に書いてあった。 「俺、領主の屋敷に泊まろうかな」 「駄目だ。お前は今日俺の部屋で寝ろ」 「はあ!?なんで!?」 何を言いだしたのかこいつは。有り得ない、レオニールの前にリュートの首を差し出すような暴挙。誰がこんな色情狂と一緒に過ごすのか。 「嫌だよ!」 「お前、自分が疑われてる自覚ねーのか?夜一人にしたら何するかわからん」 「何もしないよ!」 「それを信じる材料が、俺にはない」 それはそうだ。地の村に着いてからというもの、リュートの行動は確かに怪しまれても仕方がない。だがそれとこれとは別だ。何でこいつと同じ部屋に! 「無理!」 「無理でも駄目だ」 「じゃあ何!?今後ずっと同じ部屋にいろって言うの?」 「そうなる」 「はあ!?」 呆れて言葉も出ない。誰が承服するもんかと思っていたら、ティルがあー……いや。と口ごもる。 「……何?」 剣呑にリュートが言うと、ティルはひらひらっと手を振った。 「やっぱいいわ」 「……は?」 あ然とリュートが言うと、ティルは痛みが残っているのだろう頭をさすりながら、 「無理強いしたって、お前は手に入らないんだろ?」 「そりゃあ……まあ」 「じゃあいいや。気が変わって襲ったらすまん」 「何それ」 「早く戻れよー」 気楽に言いながら、ティルが去って行く。それを呆然と見送ると、地の領主が言った。 「騎士団長、どうしたんですかね」 「さあ……」 少しずつ小さくなる彼の背中。ティルの変化に驚きつつ、リュートは地の領主に頭を下げて、宿への道を歩いた。  

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