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第10話

翌朝、いつかのようにティルがそこに立っていた。出立の朝だ。本当なら領主に一言挨拶をしたいのだが、こいつがいる。無理だろう。 ――これが、最後かもしれないのに。 何事にも悔いは残したくない。親しい人との別れも、その一つ。ちら、とティルの方を見ると、じっと、余計なことをしないかと言わんばかりの表情で、こちらを見ていた。 「ティル」 「何だ?」 「地の村の領主に、最後に挨拶をしておきたいんだけど」 「……気持ちはわかるが。やめとけ」 「……あっそ」 どうせそう言うだろうと思っていた。 ふと視線を感じてそちらに視線をやると、少し遠くの領主の館の二階から、その人がこちらを見送っていた。リュートは目だけで、別れの言葉を告げる。きっと、これだけで伝わるはずだ。 必ず、成し遂げると。 領主は大きく頷いて、それから部屋に入って行った。よかった、伝えられた。領主側も最後の挨拶はさせてもらえないことを察していたのだろう。だから出てきてくれた。 「……お前ら仲良いのな」 ティルがこちらを見て言った。当然、見られていないとは思っていない。だが見た上で言うことが、仲が良い?もっと文句を言われるものかと。 「何言ってんの」 「……俺には、笑ってくれねぇくせに」 「はあ?」 「いっつも真顔か、すん、ってしてるかのどっちかじゃねーか」 「毎回思うんだけど、すん、って何」 並んで歩き出す。もう一度、地の村を振り返る。温かいもてなしだった。リュートのこれからを知っている、地の領主からの気持ち。存分に受け取った。決意を新たに、前を向く。 「……お前ってさ」 「何」 「いつもそんな張り詰めてて、しんどくねーの?」 「……」 だから嫌なのだ。この騎士団長が。 リュートのことを具に観察している。任務として意図的なのか、恋愛として感情的になのかは知らないが、本当によく見ている。だから隙も見せられない。 だがその隙のなさが逆にこうやって受け取られてしまう。答える気にもなれなくて、別に。と短く返事をする。 「何考えてんのか知らねぇけど。俺の前でくらい、少し気を抜けばいいだろ」 「俺のこと斬るって言ってる人の前で?」 「……そうだったな」 ティルが、剣の柄に触れる。大きな宝石が嵌った立派な剣。ふと気付いて、リュートはティルに尋ねた。 「柄の宝石、外れるの?」 「っ!いや、それは」 「……?」 妙にたじろぐ彼を、きょとん、と見て、しばらくその宝石を眺める。すると、ぼんやりと何かが見えた。 「ロケットにしてるの?絵が嵌ってる?」 「いや、いいから。気にすんな。な?」 「……」 怪しい。何を嵌めているのだろうか。 だが、それを追求するのもな、と思う。そこまで彼に興味があるわけでもないし。 水の村までは大体二日かかる行程だ。野営を一回で済ませるには、日中にある程度進んでおく必要がある。その後は無言で、黙々と道中を進んだ。 ふと気が付くと、景色が少し変わっていた。地の村の近くは豊かな大地のおかげか、森が多かったのだが、水の村の領内に入ってくると、川が増える。リュートの横を、細い支流が流れていた。 「……」 気になって近寄って、しゃがみ込んで川を覗いてみる。魚が静かに泳いでいた。水草がゆらゆらと水中を揺蕩い、水面には水草から伸びた花が咲いている。可憐な光景だ。 (この領内も、まだ精霊の力が届いている……) 地の村もそうだったが、彼らは封じられつつも、己に与えられた領内を守っている。気高き精霊たち。リュートはそんな彼らに、そっと内心で敬意を示した。 「勝手に離れるなよ」 文句を言いながら、ティルが近寄ってくる。リュートはそちらを見ずに、川を眺める。頭上から嘆息が聞こえてきて、横に並ぶ気配。ティルもしゃがみ込んだらしい。 「何見てんだ?」 リュートが眺める水面に視線をやったらしいティルが、リュートに問いかけた。 「水の中でも花が咲くんだな……何だあれ?」 「梅花藻だよ」 「何だそりゃ?」 「綺麗な水にしか咲かない花。この地方でしか見られない」 「お前って物知りだよなぁ」 感心したように言われるが、何てことはない。城と家にしかいることを許されなかったから、自然と読書量が増えて、知識が増えたという話だ。それが無駄だったとは思わないが、実地で見たいと思っていたのも事実だ。だから、こうして本で得た知識の原形を見ることができて、実はリュートの内心は浮かれている。 「綺麗だなぁ」 思わずそう零すと、ぽん、と頭の上に手の平。ティルだ。 「すぐそうやって触る」 「美しいものに触れたくなるのは当然だろ」 彼を見ると、橙の瞳を細めて、笑っていた。何が面白いんだか。全く理解ができない。 「俺に惚れたから?」 「そうだよ。顔だけじゃねーぞ?」 「え?」 「頑固なところも、何か企んでるところも、可愛いと思ってる」 「っ……!」 「お前って良い男だよ」 「う……うるさいな!何言ってんの!」 「そんな真っ赤になって言っててもな」 「知らない!」 実際に頬に集まる熱を感じながら、最後にちらりと梅花藻を視界に入れ、立ち上がる。水の村の周辺は、水場が多いからか涼しい。これで少しは熱が飛んでくれたらいいのに。 隣に並ぶティルの気配。もう顔を見られない。見たら何を言われるかわからない。 「あんときさ」 「どのときの話?」 「昨日の夜、お前急にすん、ってなったじゃねーか」 「……」 また下ネタか、と呆れ半分にその話を聞く。 「何でだ?あんななっといて急に萎えるとか変だろ。どうなってんだ」 答える義理はない。本当に大事にしなければいけない人たちのことを思い出したことなんて。それを伝えれば要らぬ情報を与えることにもなる。 ちらりとティルに視線を向けて、投げやりに答えた。 「やる気なくしたんだよ。君が下手だから」 「なっ!」 「俺が前後不覚になるくらいまで、練習したらどう?」 「おまっ……!それは……!」 ティルはそう言葉に詰まる。さすがに直球で傷付けすぎたかなと思ったが、彼は言った。 「上手くなるまでお前で練習していいってことだな?」 「は?」 本当にこいつは頭の中がどうかしている。今の発言を聞いてどうやったらそんなに前向きに受け止められる?性欲で脳みそが麻痺しているのか?死ぬ程軽蔑の眼差しをティルに向けると、そういうことだよな!とにこにこ笑いながらティルが言った。 「いや、俺はそんなつもりでは」 「よーし!俺頑張るからな!お前が前後不覚になるまでだろ!ヤり甲斐あるわ!」 「ちょ、違っ……!そういう意味じゃなくて!」 「今晩の野営から頑張るから!」 「……俺、空間で寝ていいかな」 どうしてこうなるんだろう。こんなことになるなら、黙っていてくれた方が、よかった。 地の村と水の村のちょうど中間地点。綺麗な川の流れる開けた場所で野営することにした。折角川があって新鮮な魚が獲れそうだったので、今日の夕飯は焼き魚だ。 「釣りの道具ねぇけど」 ティルが当然のことを心配する。リュートは特にそれに答えることなく、水面に雷撃を流した。 「おい!」 ティルが咎めるような声を出す。気にすることなくリュートは水面に浮かんだ魚を術で回収した。 「釣り道具いらないから」 「……お前な。それはもうやめておけ」 「何で」 「多分、水の村の領内でも禁止漁法だと思うぞ。少なくとも王都ではそうだ」 リュートは術で回収した魚を、宙に浮かべたままそのまま術で串を打っていく。それにしてもティルは禁止漁法なんてよく知っているなとこっそり感心した。 「何で知ってるの」 「俺のうち金ねーからな。川でよく魚獲ってんだよ」 リュートはきょとん、とした。 「貴族位持ってるのに?」 串を打った魚を、塩を振ってから焚火の周りに差していく。ティルはそれを見ながら、まあな、と言った。 「土地のない貴族位だし、収入ねーんだよ」 「……」 ヴァイスベルクの悪政の一端を覗く。 貴族の収入は、領内の民からの徴税だ。独自に商売を行う貴族もいるが、稀だ。だが土地がなければ徴収する税がない。ティルの家は貴族になっただけで、干上がっている。 ヴァイスベルクは国土の管理を怠っているから、ティルの家――ノイズシュタインに叙爵するときにどうしていいかわからなかったのだろう。実際、ヴァイスベルク王家が統治し始めてから、こういった土地のない叙爵が多い。王家から名誉だけ与えて、ほったらかし。 「……そんな目に遭っても、王家に忠誠を誓うの」 馬鹿じゃないの。と言外に含んで言うと、ティルは魚を焼くリュートの隣に座った。 「そうだよ。騎士団長になったって、貴族位がなけりゃ馬鹿にされる。舐められる。だから無収入だったとしても叙爵は必須だった」 「……呆れてものも言えないよ」 リュートは焼き上がった魚の串を、ティルに差し出した。 「はらわたは抜いてないから」 「いいよ、食い慣れてる」 リュートは、焚火に視線を落とした。 この国は、腐っている。名誉で腹が膨れるものか。民が腹いっぱい食って、明日への希望を胸に眠り、太陽の光を浴びて笑っているのが、正常な姿だとリュートは思っている。 (……俺、怒っているのか) 悪政の被害者を目の前にして、久しぶりに――ヴァイスベルクへの憎悪が蘇る。やはり、あの王家は裁かれるべきだ。 リュートは、焼き魚の串を焚火から引き抜いて、はらわたごとかじりつく。決意を内心で新たにして。 「お前料理上手いのな」 「何、急に」 ティルがリュートの顔を覗き込んでいた。気付かなかった。 「魚。焼き加減良かったよ。身がほくほくしてた」 「……それはよかった」 食べ終わった串を焚火に放って燃料にして、もう一本ティルに差し出す。 「どうぞ」 「いいのか?ありがと」 あまり魚のいない川だったのか、電流の流れがよくなかったのか、獲れたのは三匹だけだった。リュートは空間に大量の食糧を持ち込んでいるし、魚が食べられなくても別にいい。ただティルはあの不味そうな携帯食料だから。腹いっぱい食べておけばいい。 「風呂どうすんだ?」 「清拭して終わりにするつもりだったけど」 「俺が手伝おうか?」 「自分でやります!」 どうしてこいつはすぐそういうことを言い出すのか!そこでふと、前回の野営のことを思い出す。 「……また監視するの」 「するな。仕事だし」 「……」 深い深い溜息。何でこいつに覗かれながら身体を拭かないといけないのか。吹っ飛ばしてやろうか。 仕方がないので、二人並んで川沿いで清拭することにした。タオルを水に浸して、服を脱いで。前の方を拭いていると、後ろからティルが声をかけてきた。 「背中拭こうか?」 「やめて」 「いいじゃねーか減るもんじゃなし」 「減る。俺の尊厳が」 「遠慮すんなって。ほら」 ティルの手が伸びて、リュートの背中を拭いて行く。程よい力加減。やり慣れてる? 「こうやってなー。父さんの背中拭いてたんだよ。うち風呂ないから」 「……」 「いつか風呂のある家に建て替えるか、なんて言ってたけど、騎士団長って意外と薄給なんだな」 「……」 そんなことはない。本来、国を守る根幹である騎士団には、一般の城勤めよりも高い給金が設定されている。何せ彼らは命を懸けているのだ。金くらいしか、国から払ってやれるものはない。 だがティルの話を聞く限り、どうやら金を管理する財務部は、騎士団の給与をピンはねしているか、減らしているか、何にせよ碌なことをしていないようだ。 (……気付いてないわけないのに) ティルは馬鹿じゃない。いや、下半身は馬鹿かもしれないが、頭は悪くない。自分の身の回りで起こっていることの背景を、推察できるはずだ。それを、忠誠で覆っている。 (……馬鹿なひと) リュートは背中の手の平の感触を受け止めながら、そう思う。 「よーし、良い感じだ。綺麗になったぞ」 「ありがとう。じゃあ俺も背中拭くよ」 「は?」 振り返ってそう言うと、ティルの呆けた顔が目の前にあった。そんな顔しなくてもいいだろう。 「……じゃあやめる」 「いやいやいや違う!お前が素直で可愛くてだな!歓迎しますお願いします!」 慌ててリュートに背中を向ける。そもそもこんなふうに背中を向けること自体、無防備だ。リュートが刃物を持っていたらどうするつもりなんだろう。 (……まあ、俺も同じか) ティルなら何もしないと背中を預けた。同じことだ。 自分より幾分広い背中に、改めて濡らしたタオルで擦って行く。そうしていると、ティルがぽつりと言った。 「妹がな」 「はあ」 「色町にいんだよ」 「……」 「色町は陛下もお気に入りの場所だから、金が回ってる。妹はそこで金稼いでんだ」 「……じゃあ、通ってるのって」 「妹の様子を見にな。あと町に少し金渡したりもしてる。家にも金回さないといけねーし、そんなたくさんは渡せないけどな」 「……」 リュートは奥歯を噛みしめた。 騎士団長の色町通いは有名だった。下半身にだらしなく、給料日の度に色町に消える騎士団長。リュートはその話について裏取りもして、彼が色町に入っていくところを確認している。だからこそ、彼が嫌いだった。汚らわしいと本気で思っていた。 だが、違った。 (……事実って、痛いな) 分岐点に置かれた情が、転がる気配。目の前の黒髪を、そっと撫でて、君の苦労は、俺がなんとかするから、と言って、抱き締めたい気持ち。 背中を擦る手を止める。終わったよ、と声をかけると、振り返ってティルが笑った。 「ありがとな」 ――太陽みたいな人だな、と思った。

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