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第25話

祠に向かう日の朝。 鎖は外されていた。昨日の間、風の領主は、リュートとティルに気を遣って、特に声をかけに来ることもしなかった。あんなに若いのに、逆に申し訳ないことをした。 風が吹く。朝の爽やかな風が。祠の入口は変わらず真っ暗だというのに。 「……最後の祠だな」 「うん。そうだね」 「行くんだろ?」 「行くよ」 そのとき、ふと気配を感じて空を見る。鷹が舞っている。 「ティル」 リュートが鋭く彼に言うと、どこか緊張を孕んだティルが、腕を伸ばして鷹を呼ぶ。ひらりと鷹が腕に止まって、首に括られた手紙を見せてくる。 ティルは鷹を放って、それから手紙を見る。もう返事をするつもりはないのか、さっさと鷹を追い払ってしまう。そして。 「……」 みるみる険しくなる表情。ろくでもないことが書いてあったのは見たらわかる。 「……何て?」 「……騎士団を粛正するって」 「え!?」 確かに前回の手紙への反応でティルの離反は決定的だったと言える。ある意味では当然の成り行きだ。それでも、やはり聞けば驚く。 「……皆さん、大丈夫かな」 「わからん。一応エリオットには言ってあるが……間に合っていれば、いいけどな」 どこか祈るようなティルの言葉に、リュートは胸が痛くなる。 「……俺に従わなければ」 「お前を選ばなかったら、俺は後悔してるに決まってるんだ」 「でも」 「騎士団のことは気にすんな。全員、レオニールにやられるようなヤワな連中じゃねーから」 それより、とティルが言葉を続ける。 「リュート、お前、審判はどこでするんだ?」 「大平原にある、初代国王の玉座の遺跡。儀式はそこで行うようにって」 「……バレてんぞ」 「……」 「行先は分かってるから、近衛騎士団を率いて待ってるってよ」 こちらの意図が知られてしまっていることについては、問題ない。レオニールは王統審判を恐れていたから、調べただろうし、知っているだろうことも想定していた。近衛騎士団が出てくる可能性も、ティルから言われる前から考慮もしていた。 しかしそれをわざわざ手紙に認めるとは……またろくなことを考えていないのだろうなという予感だけはする。実家の皆には、王統審判が始まる前に地の村に避難するように伝えてあるし、家族が人質として出てくることはないだろう。 「リュート」 少し考えこんでしまって、リュートは、はっと顔を上げる。 「ごめん」 「いや、いいんだ。しかしわざわざ自分の手の打ち晒すってことは、レオニールは大分焦ってんな」 「え?」 考えてもいなかった可能性、レオニールの焦りについて言われ、リュートは思わず声を上げる。てっきりろくでもないことを企んでいる前兆だと思っていたのだが。 「レオニールは焦ると全部口に出すタイプだからな。近侍してたときもそんな感じだったよ」 「そうなんだ」 リュートはレオニールに興味がない。愚王であり、民の敵という点で嫌悪はしていた。だからその細かい挙動までは知らない。ティルから聞くのが初耳だ。 「お前の選択、間違ってねーから。迷わず進め」 「うん」 昨日一日で、たくさん愛してもらった。同じ時間を過ごした。恐怖がゼロになることはない。それでも、ここには愛がある。 祠の入口に足をかけて、いつものように明かりの魔術を点ける。階段を足早に下りて、いつもの台の上。呪術と、緑色の石。すっと集中して、魔力を流し込む。ふわりと浮かんだ緑の意思が、リュートの手の内に収まる。空間を開いて、石を置くと、四つの意思が同時にきらりと光を放つ。 準備ができた。 リュートはティルを見上げる。彼は、大きく一つ頷く。 階段を駆け上がると、そこには風の領主が待っていた。 「リュート様」 「風の領主。色々とお気遣い、ありがとうございました」 「いえ、俺は……ですが、リュート様。本当に行かれるのですか?」 風の領主が、不安を隠さずに尋ねてくる。行くのだと頷くと、彼は、視線を地面に落とした。 「リュート様のことを……僭越ながら、兄のように慕っておりました。私はまた、家族を失うのですか?」 「……」 幼くして両親を失った風の領主。こまめに手紙を送って様子を気にしていたリュートをそのように思うのも仕方がない。また失うのかと問われれば胸が痛い。その可能性もあるから。 「領主」 「はい」 「……俺は、半々の可能性ならば、生きて戻る方を信じたいと思っています」 「リュート様」 「どうか戻ることができるよう、祈っていてくれませんか?」 そう言うと、風の領主は泣きべそをかきながら、はい、と頷いた。 そうして風の領主と別れを済ませ、旅路へと戻る。この先、一泊できるような村はない。そして、大平原の玉座遺跡まで、まだ歩かなければいけない。旅の終わりは近くても、距離は近くないのだ。 「この先ずっと歩きか。お前との野営も、すっかり慣れてきたな」 「そのリュック、結局あんまり役に立ってないね」 「だな」 ティルの旅道具の入ったリュック。寝る道具の出し入れくらいでしか使っているところを見たことがない。入っている軍の携帯食料は食べずに重りになっているだけだし……ローションは、大分軽くなったかもしれない。 「それ、空間に入れておこうか?」 「え?」 今更の申し出に、ティルがリュックを下ろしながら叫んだ。 「もっと早く言えよ!」 「俺も今更、そういえばって思ったんだよ」 「俺の努力……いや、筋トレにはなったんだが……」 どれだけ重たかったのだろうか。 リュートが空間を開いて、リュックの中身を順番に入れていく、携帯食料も一応しまっておく。そして、 「……」 「何だよ、しまえよ。ローション」 「何か……俺の魔術が汚れる気がして」 「お前それにどんだけ助けられてると思ってんだよ」 「そうだけど……」 これがなければ入らないのだから、重要と言えばそうだ。しぶしぶ空間にしまう。 さて、再度出発だ。風の村から大平原の入口までが、今日の進路目標だ。まだまだ先で、その影すら見えない。 「そういやよ」 ティルがリュートに話しかける。 「何?」 「お前、なんであんなに俺のこと嫌ってたんだ?」 「えー……その話するの?」 心底嫌そうに言うと、ティルが気になるから、と言う。仕方がないので、リュートは言った。 「騎士団長の色町通いって有名だったでしょ」 「不本意ながらな」 「この国の軍を束ねる騎士団長がそんな馬鹿な真似をしてるのかと思って、うちの影を呼んで調べてもらったんだ」 「影?」 アルトフェルト家には、代々仕える隠密集団「影」がいる。四領主とのやり取りも彼らの世話になっている。火の領主の蜥蜴のようなものだ。 「そしたら調査した結果、色町に入って行く所までは確認した、その先はレオニールの近衛騎士団の目があるから近寄れなかったっていう、報告内容で……」 「あー……色町全体が、レオニールの庭みたいなもんだったしな」 そう。レオニールは下半身がだらしなかったため、色町にはしょっちゅう出入りしていた。その結果、色町用の近衛騎士も配置されるようになった。影が町への侵入を諦めるのも仕方がない。 「なるほど。入っていくってことはやることやってんだろ、って判断か」 「浅慮だったよ……まさか妹さんに仕送りするためなんて」 そう。リュートはその判断を後悔している。あの報告を持って、主と同じく下半身にだらしない騎士団長と決めつけ、一方的に嫌っていたのだから。 実際当初は軽薄で、どうしようもなかった。折に触れて襲ってくるし。ただその軽薄さも白兎という理由があったとなれば、リュートが見ていたティルというのは、非常に表面的だったということになる。 「……だから話したくないんだよ」 「お前でも失敗するのな」 「するよ。魔術の失敗で何着ローブだめにしたと思ってるのさ……」 「へえ、そんなことが」 「アルトフェルトの、魔導師専用の裁縫職人に作ってもらってるから、失敗するたびに青スジ立ててめちゃくちゃ怒るんだよ……」 あの裁縫職人も、後継者を探すのに難儀していると言っていた。城下町に人がいないから。大丈夫、リュートが審判を成し遂げれば、きっと。 気分を変えて、リュートはティルの方に向き直る。 「俺だって聞きたいことあるんだけど!」 「お、おう。何だ?」 「剣の宝石のところ、何入れてるの?」 「……それ、聞くかぁ?」 「聞く」 ティルが立ち止まって、剣帯から剣を外す。そして、脇に剣を抱え、宝石をそっと取り外す。 中に入っていたのは、鉛筆画の姿絵だった。 「……俺?」 そう。リュートの。一体どこで書いてもらったのだろうか。アルトフェルトへの王家の冷遇は有名だったから、きっと誰も描いてくれないだろうに。 ティルを見上げてそう尋ねると。 「俺」 「え?」 「自分で描いた」 「えええええええ!?」 もう一度姿絵を見る。画家が描いたのと見紛うほどの腕前だ。というか、こういった画家の絵画を見慣れているリュートでも、初見一般人が描いたとは思わなかったのだ。 「ティルって、絵心あるの?」 「まあ、多少な。騎士団駄目なら路上で絵を描いて売ろうかなと思ってたくらいだ」 「なんと……意外な才能」 はー……と感心するリュート。ティルは宝石を嵌め直して、言った。 「騎士叙任の式で見たお前が忘れられなくてな。勢いと情熱で描いてるけど、まあ上手くできたと思う」 「すごく上手だった。びっくりしたよ。絵の息遣いすら感じられそうだったし、髪の流れに風を感じたよ」 「……お前に褒められると、あれだな。論評聞いてるみたいだな」 「……つい。癖で」 アルトフェルトの家に画商が来ることもある。その画商と話をするときに、こういう論評めいたことを言わなければならなくて、まあ、つい。ということだ。 しかし同時にこれで納得した。騎士団に行ったときに、この剣に触れられないと言っていた団員の言葉。てっきり先王からの下賜品で無理、だと思っていたが、ティルの激重感情の乗った絵の嵌った剣だから、ということだろう。 「団員の皆さん、よく知ってたね」 「は?」 推論をリュートが告げると、ティルはげんなりした顔になった。 「ええええ。マジかー……。知られてないと思ってたんだが」 「皆さん、よく見てるね」 「そうなんだよ……リュートに惚れてるのとかも、何でバレてんだ?って思ってんだよ」 いや、それは多分死ぬ程わかりやすかったからじゃないかな。 という言葉は飲み込んでおく。 大平原の入口に近付いてきたのか、進む道に草が増え始める。青い草の合間に花が咲いているのを見つけて、リュートはしゃがみ込んだ。 「どうした?トイレか?」 「違うよ、本当そういうところ最低だと思う」 「そこまで言うか」 苦笑いして、ティルが一緒にしゃがみ込む。 そこに咲いていたのは、リュートの瞳の色に紫を混ぜたような色の花。名前がわからず、何だろう、と首を傾げていると、ティルが言った。 「ネモフィラだな」 「ネモフィラ?」 「別の国では瑠璃唐草とも言うらしいが。でも、縁起がいいな」 ぽん、とリュートの頭に手を置くティル。 「花言葉は『成功』だ」 「……」 こんなところで、そんな花言葉を持つ花に出会うなんて。信じても、いいのだろうか。大団円を。 リュートは、すみません、と一言呟いてから、花を一房摘む。そして空間から一番愛読している魔術書を取り出し、真ん中のページに綺麗に広げて本を閉じる。 「その押し花、どうすんだ?」 「……乾燥したら、栞にしようかな」 「絶対やれよ。忘れんなよ」 「……うん」 押し花の乾燥期間は一般的に一週間。押し花が完成するころには――全てが終わっている。 本に視線を落とす。その花言葉、信じてるからね。 そこでリュートはふと気が付く。空間に本を丁重に戻しながら、リュートは言った。 「花、詳しいの?」 「あ?」 「ネモフィラ知ってたから」 「ああ……それな」 頬をかきながら、ティルが言った。 「ほら、うち貧乏だって言ってただろ?」 「まあ……」 「食える草探すのに、図鑑見てたから」 「……切迫した食糧事情からだったんだね」 もう少し早く出会っていたら、ご家族丸ごとアルトフェルトの食卓にお招きしたのにな……と思う。それをティルが良しとするかは……まあ、しないだろう。 一緒にしゃがみ込んでいたティルが、おいおい、とリュートの二の腕を叩く。 「何?」 「ほらリュート、これヨモギだ。草団子になるぞ。うちはもち米ないけどな」 ぎざぎざの葉っぱを指差して、ティルが言う。家に持ち帰ったら母さんが喜ぶのにな、なんて言っている。リュートは窺うようにティルを見て、うっすらと微笑んだ。 「本当に詳しいね」 「あ!どんぐり落ちてるぞ!これも食えるんだ」 リュートの話を聞いているのかいないのか、ティルがやや興奮しながら草原の中を物色し始める。土筆生えてんぞ!と喜ぶのを見て、 「ええ……」 とリュートは若干引く。 ティルの家の貧困事情は本気でどうなっているのだろう。さすがに城下町か行商人から何か買っているだろうと思うのだが。そう思って聞いてみると、ティルはそうでもない、と言った。 「マっジで金ないからな。俺の給料渡しても、四人家族一週間食えるかどうかだ。行商も城下町も物資が不足してるのを見越して足元見やがるからな。普段の数倍吹っ掛けてくるわけよ」 「それは知ってるけど……」 「それに野草って言って馬鹿にできねぇからな。うちから少し歩けば野蒜とかぜんまいとかわらびとか採れるし、下手すりゃ普通に豪華な食事になるぞ。山で鹿仕留めたりな」 「……鹿」 「弓矢使えるからな」 「いや、そこじゃなくて」 思った以上に野性的な生活をしているなと思う。そしてそんな食糧事情でもこれだけ体格に恵まれているティルがすごいなと思う。 もし……この先があるなら。リュートが国政に関われるのなら。こういう貧困事情は真っ先に何とかしたい。腹いっぱい食べて、笑って過ごせること――リュートの理想。それを叶えるために。 (贅沢だ。未来を望むなんて) 「リュート?」 「ん?」 考え事をしていたからか、ティルがリュートの顔を覗き込んでくる。それに小さく微笑んで、言った。 「もう少し、頑張ろう。大平原の入口まで」 「そうだな、頑張って歩くか」 「飛んでもいいんだよ?」 「あれは駄目だ。無理」 やはりそう言われて、リュートはふふ、と小さく笑った。

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