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第3話 シチュー
その日の練習は、午前中で終わった。
「お疲れっした!」
晴田輝は荷物を肩に掛け、練習場を出た。
シャワーも浴びた。昼飯も食った。
午後は休み。
帰ったら洗濯でもするか。
そんなことを考えていたところで、コーチに呼び止められた。
取引先から北海道の魚介が届いたらしい。
鮭。
エビ。
ホタテ。
「え、俺もいいんすか?」
もちろん、と渡された袋は、思ったより重かった。
鮭は切り身。
エビは頭付き。
ホタテは殻付き。
「すげえな……。」
今年は鮭が不漁だと聞いた。
普通に買えば、結構な値段がするはずだ。
ありがたい。
ありがたいのだが。
「…………。」
一人で食うには、少し多い。
冷凍すればいい。
それで済む話だった。
でも。
新鮮な鮭。
新鮮なエビ。
新鮮なホタテ。
冷凍するのが勿体ない。
もう一度、袋の中を見る。
「……あ。」
ふと、隣の住人を思い出した。
*
午後二時。
ピンポーン。
「はーい。」
少しして、ドアが開いた。
「あら。」
「こんにちは!」
「こんにちは~。こんな早い時間に珍しいわね。どうしたの?」
「これ。」
輝は袋を持ち上げた。
「今日、練習場でコーチからもらったんですけど。」
「なあに?」
「北海道から送ってきたらしくて。鮭とエビとホタテ。」
「えっ!?」
はじめの目が変わった。
「ちょっと見せてちょうだい!」
「はい。」
袋を覗き込む。
「まあ~! いいの!? ホタテまで入ってるじゃない!」
「俺一人じゃ多いんで。」
「冷凍すれば食べられるでしょ?」
「いや、まあ、そうなんですけど。」
輝は少し頭を掻いた。
「この前、二回も飯もらったんで。冷凍するのも勿体ないし、お返しっていうか。」
「あら~。そんなの気にしなくていいのに。」
そう言いながら、はじめはもう一度袋を見る。
「…………。」
「?」
「鮭とエビとホタテかぁ。」
明らかに何かを考えている。
「……シチューね。」
「え?」
「これ、シチューにしたら絶対美味しいわよ。」
「ああ。うまそうっすね。」
「牛乳あったわよね。玉ねぎもある。にんじんもあるし、バターも小麦粉も……。」
「はじめさん?」
はじめが顔を上げた。
「入りなさいよ。」
「え?」
「せっかくだもの。一緒に作って食べましょ。」
「いいんすか?」
「あなたが持ってきたんじゃない。」
「あ、じゃあ……。」
輝は靴を脱いだ。
「お邪魔します。」
「はーい。どうぞ~。」
隣に住み始めて、まだそれほど経っていない。
初めて、輝は隣の部屋へ入った。
*
「へえ……。」
「なに?」
「いや。」
六畳の部屋と、小さなダイニングキッチン。
特別広いわけではない。
ふかふかの厚手のカーペット。
テレビは無いんだ。
壁を埋めるように壁面収納が作られて、本や服が畳んで整理されてる。
小さなテーブルが付いたクッションの上には、艶消しのピンク色をしたMacBook neo。
なんか、同じ造りの部屋とは思えないな。
「パソコン、ピンクなんすね。」
「可愛いでしょ?」
「あ、はい。」
「なによ、その間。」
「いや、似合ってます。」
「でしょ?ならよし。」
はじめは壁際から折り畳み式のキッチンカウンターを出した。
広げると、小さなキッチンにもう一つ作業台ができる。
「これ便利なのよ。一人ならキッチン狭くても困らないんだけど、今日は具材も多いし、
二人いるから。」
「なるほど。」
「じゃ、やりましょ。輝くん、玉ねぎとにんじんお願い。」
「はい。」
「玉ねぎは適当に。にんじんも食べやすいくらいで。」
「皮、剥きます?」
「剥かないわよ。」
「いいんすか?」
「よく洗えば大丈夫。そもそも、もうかなり綺麗な状態で売ってるし。その方が栄養も
取れるでしょう。」
「へえ」
「じゃ、お願いね。」
「了解っす。」
輝が野菜を洗う。
その隣で、はじめは鮭を取り出した。
軽く塩を振る。
「これは?」
「ちょっと冷蔵庫へ。」
皿ごと入れる。
次はエビ。
頭を外す。
殻を剥く。
背わたを取る。
「それ捨てます?」
「捨てないで。」
「出汁取るんすか?」
「あ・と・で・ね?」
頭と殻は別の皿へ。
身には片栗粉をまぶして、軽く揉む。
水で洗い流し、水気を切った。
「そんなことするんすね。」
「汚れとか臭みが取れるのよ。」
そこへ白ワイン。チリ産のシャルドネだ。
「あ、酒。」
「魚介だからね。」
次はホタテ。
殻から外していく。
「輝くん。」
「はい?」
「ワタ、大丈夫?」
「ワタ?」
「ホタテの。ちょっと苦味あるけど。」
「あ、大丈夫です。食えます。」
「じゃ、そのままね。」
「苦手だったら取るんすか?」
「そりゃそうよ。あなたも食べるんだから。」
「ああ。」
一枚。
二枚。
三枚。
そして。
「…………。」
はじめの手が止まった。
「どうしました?」
「これ。。。」
まだ殻についたホタテを一つ持ち上げる。
「全部シチューにするの、勿体なくない?」
「え?」
戸棚を開ける。
出てきたのは、小さなガストーチだった。
「なんすか、それ?」
「トーチ。」
「トーチ!?」
「小さいバーナーみたいなものね。」
ホタテに醤油を少し。
「ちょっと離れてて〜。」
ボッ。
「うおっ。」
青い炎が表面を舐めた。
醤油が焦げる。
香ばしい匂いが立ち上がる。
「ん~。いい匂い。」
「そんなの持ってるんすね。」
「便利よ?」
火を止める。
箸でつまむ。
「いただきまーす!」
「あ、食うんだ。」
「ん~~。」
はじめは満足そうに目を細めた。
そして、さっき開けた白ワインを見る。
「…………。」
グラスを出した。
「飲むんすか?」
「だって開いてるもの。」
「料理に使うんじゃなかったんすか?」
「使ったわよ?そしてまだ使うわよ。」
白ワインを注ぐ。
「飲む?」
「俺はいいっす。」
「あら、そう。」
一口。
「ん~。合う〜。」
「はは、めっちゃ楽しんでますね。」
「だって、こんないいもの持ってきたの、あなたじゃない。」
「俺?」
「そうよ。ありがとう。」
輝はクスリと笑った。
「どういたしまして。」
*
玉ねぎを切る。
にんじんを切る。
その横では、はじめがエビの頭と殻をアルミホイルへ並べていた。
「それ、やっぱ出汁っすか?」
「これはまず焼くの。」
塩。
胡椒。
オリーブオイル。
乾燥オレガノ。
高温にしたオーブントースターへ。
しばらくすると、香ばしい匂いがしてきた。
「できた~。」
「すげえ良い匂い。」
「でしょ?」
はじめは頭を一つ取る。
「ここね。ミソが美味しいの。」
ちゅ、と吸う。
そして白ワインを流し込む。
「ん~~。」
「また飲んでる。」
「合うんだもの。」
「殻も食べるんすか?」
「食べないわよ〜。」
当然でしょ、という顔をされた。
「じゃあ捨てる?」
「捨てない。」
「どっちなんすか。」
「明日のお味噌汁」
「これで?」
「頭も殻も砕いて煮ると、いいお出汁が出るのよ。」
「へえ。じゃあ俺も――。」
「これはダメ。」
「え?」
「あたしが口つけちゃったでしょ。人には出せないわよ。」
「ああ。」
「明日のあたし用。」
「最後まで使うんすね。」
「だって、美味しいのに勿体ないじゃない。それに二丁目に捨てるものなしってね。」
輝は、?って顔をした。
食べ終わった頭と殻は、きちんと別にしておいた。
*
冷蔵庫から鮭を出す。
表面に出た水分をキッチンペーパーで拭き取る。
少し大きめの一口大。
アルミホイルを広げる。
鮭。
エビ。
ホタテ。
塩。
胡椒。
オリーブオイル。
白ワイン。
「また酒?」
「美味しくなるのよ〜。」
ホイルを包み、楊枝で上に穴を開ける。
ぷす。
ぷす。
「これで低温でゆっくり蒸し焼き。」
「鍋にそのまま入れないんすか?」
「最後に入れるわよ。魚介、煮すぎたら勿体ないじゃない。」
「なるほど。」
トースターへ。
「じゃ、こっちね。」
鍋にオリーブオイル。
輝が切った玉ねぎを入れ、軽く塩。
少し透き通ってきたところで、にんじん。
炒める。
「そろそろいいわね。」
バターを入れる。
中火。
溶けたところへ、小麦粉。
ぱらぱら。
「どんくらい入れるんすか?」
「適当よ。」
「適当。」
「全体に絡めばいいの。」
混ぜる。
野菜が薄く小麦粉をまとった。
「あっ!」
「なんすか?」
「小麦アレルギーじゃないわよね!?」
「今!?」
「違う?」
「ないですけど!」
「なら大丈夫。」
「入れる前に聞きません?」
「忘れてたのよ〜。」
牛乳を少し。
混ぜる。
また少し。
混ぜる。
白い液体が、少しずつとろみを持っていく。
「おお!」
「ほらね。」
「シチューになってきた。」
「ホワイトソース別に作らなくても、これでいいのよ。」
さらに牛乳。
混ぜる。
「で、これ。」
はじめが取り出したのは、クラムチャウダーのスープの素だった。
「それ使うんすね。」
「そりゃ、便利なものは使うわよ。」
「なんか全部一から作りそうなのに。」
「なんでよ。楽して美味しいなら最高じゃない?」
スープの素を入れる。
軽く煮る。
味見。
「ん~。」
塩。
胡椒。
もう一度。
「うん。いいわね。」
鍋の方は、これでほぼ完成らしい。
輝がトースターを見る。
「魚介待ちっすね。」
「そうね。じゃ、その間にガリトー作りましょ。」
「ガリトー?」
「ガーリックトースト。」
「略すんだ。」
「長いじゃない。」
バゲットを渡される。
「これ切って。」
「斜めっすか?」
「まっすぐでいいわよ。輪切り。」
「はい。」
輝がバゲットを切っている横で、はじめはマーガリンを小鉢に取った。
「これもお願い。」
「何入れるんすか?」
ニンニクのチューブ。
乾燥オレガノ。
乾燥タイム。
三つ渡される。
「ニンニクは好きなだけ。」
「好きなだけ?」
「ええ。ただし、入れすぎると明日、人前に出られないかもね?」
「俺、明日も練習なんすけど。」
「じゃあ自己責任で。」
「えーっ。」
輝は少し考えて、ニンニクを絞った。
「そんくらい?」
「好きにしていいわよ。」
「じゃあ、もうちょい。」
「あら。攻めるわね〜。」
「ニンニク、好きなんで。このくらいなら大丈夫っしょ。」
「知らな~い。」
オレガノとタイムは、まだ入れない。
「小鉢、手に持って混ぜてみて。」
「手に?」
「うん。」
混ぜる。
「あ、柔らかくなった。」
「マーガリンだからすぐなのよ。」
「なるほど。」
「それ、パンに塗って。」
切ったバゲットへ塗る。
仕上げに、オレガノとタイムを振りかける。
「こんな感じ?」
「上出来。準備おっけー。」
「焼かないんすか?」
「トースター使用中でしょ。」
「あ、そっか。」
「順番、順番。」
ガリトーは、しばらく作業台の端で待つことになった。
*
「そろそろね。」
はじめがトースターを開ける。
アルミホイルの上側を切り開く。
湯気。
「うわっ。」
鮭。
エビ。
ホタテ。
白ワインと魚介の汁が、ぐつぐつしている。
「ここから最高温度。」
「まだ焼くんすか?」
「表面だけね。」
温度を上げる。
数分。
鮭の表面に焼き色。
エビも香ばしく色づく。
ホタテの縁にも、わずかな焦げ目。
「よし。」
取り出す。
「うまそう……。」
「でしょ?」
ホイルごと鍋へ持っていく。
「汁も入れるんすか?」
「これが美味しいんじゃない。」
魚介も。
蒸し汁も。
全部、白いシチューへ。
そっと混ぜる。
鮭を崩さないように。
「はい。完成。」
「シチューって、こんな作り方するんすか?」
「知らないわよ。」
「え?」
「あたしはこう作るの。」
「なんすか、それ。」
「美味しければいいじゃない。」
空いたトースターへ、今度はガリトー。
焼けるまでの間に、二人で洗い物を済ませた。
「じゃ、このカウンター片付けちゃいましょ。」
「食うとき使わないんすか?」
「使わないわよ。これは作業用。」
はじめがそう言って、畳み壁際へ戻す。
「じゃあ、どこで食うんすか?」
「ここ。」
「ここ?」
はじめは部屋へ行き、棚から大きな布を持ってきた。
薄手のインド綿。
カーペットの上に、
ばさっ。
広げる。
「……床?」
「そうよ。」
その上に、ランチョンマットを二枚。
「はい。食卓完成。」
「テーブルないんすね。」
「一人なのに邪魔じゃない。」
「まあ、確かに。」
「それに。」
はじめは布の端を整えた。
「こっちの方が楽しいじゃない?」
「楽しい?」
「ピクニックみたいで。」
輝は床を見た。
インド綿。
二枚のランチョンマット。
「……ああ。」
座ってみる。
「なんか分かるかも。」
「でしょ?」
トースターが鳴った。
「あ。ガリトー。」
「俺取ります。」
「熱いから気をつけてね。」
こんがり焼けたバゲットから、ニンニクとハーブの匂いがする。
海鮮シチュー。
ガリトー。
簡単なサラダ。
はじめは白ワイン。
それらを、二人でインド綿の上へ運んだ。
*
「いただきまーす。」
「いただきます!」
輝がスプーンを入れる。
まずはシチュー。
「…………。」
「どう?」
「うまっ!」
「ほんと?」
「めっちゃうまいっす!」
「あら~。良かった。」
鮭。
ふっくらしている。
エビ。
弾力がある。
ホタテ。
食感が良い。
「これ、煮てないから食感残ってるんすね。」
「そうそう。」
「旨いな……。」
今度はガリトー。
かりっ。
「あ、これもうまっ。」
「自分で作ったんでしょ?」
「ほぼ混ぜて塗っただけじゃないですか。」
「でも作ったのはあなたよ。」
もう一口。
輝は少し考えてから、ガリトーの端をシチューにつけた。
「あ。」
「それ美味しいわよねぇ。」
「うまっ。」
「でしょう?」
もう一度。
たっぷりつける。
「明日、ニンニク大丈夫かしらねぇ。」
「今言います?」
「入れたの自分じゃない。」
「好きなだけって言ったの、はじめさんですよ。」
「自己責任とも言ったわよ?」
「言ったなぁ。」
二人で笑った。
輝は床に座り直す。
インド綿の上。
目の前にはシチュー。
手にはガリトー。
「これ、結構いいっすね。」
「なにが?」
「こういう食い方。」
「ピクニック?」
「はい。」
「でしょ~?」
はじめは嬉しそうに白ワインを飲んだ。
「テーブルなんてなくても、ご飯は食べられるもの。」
「でもランチョンマットは敷くんすね。」
「そりゃ敷くわよ。」
「そこはちゃんとしてる。」
「なによ、それ。」
また笑う。
しばらく、二人とも黙って食べた。
気まずい沈黙ではなかった。
ガリトーを割る音。
スプーンが皿に触れる音。
ときどき、白ワインのグラスが床に置かれる音。
「でも。」
「ん?」
「なんか変な感じっすね。」
「なにが?」
「この前まで、こういうの。」
輝はシチューを指した。
「タッパーでもらってたじゃないですか。」
「ああ。」
「今日は作ってるとこからいるから。」
はじめは少し考えた。
「そうねぇ。」
「こんな感じで作ってたんすね。」
「いつも途中でホタテ炙ってワイン飲んでるわけじゃないわよ?」
「それは分かります。」
「今日のこれはあなたのおかげ。」
「俺、もらったの持ってきただけっすけど。」
「それを持ってきてくれたんでしょ?」
「まあ。」
「だったら、あなたのおかげよ。」
はじめはグラスを少し持ち上げた。
「ごちそうさま。」
「いや、俺の方がごちそうになってるんですけど。」
「あら。」
少し考える。
不器用なウィンクをしながら。
「じゃあ、お互い様ね。」
輝も笑った。
「ですね!」
*
翌朝。
午前六時。
はじめは、いつものように目を覚ました。
湯を沸かす。
昨日取っておいた、エビの頭と殻。
自分でミソを吸った頭も一緒だ。
これは人には出せない。
だから、自分だけの朝ご飯。
軽く砕いて、鍋へ。
煮出す。
昨日とは違う香りが、キッチンに広がった。
濾す。
味噌を溶く。
「ん~。」
一口。
「あら、美味しい。」
朝食を並べる。
納豆。
卵。
豆腐とオートミールのご飯代わり。
そして、いつもより少しだけ贅沢な味噌汁。
「いただきます。」
一口。
「……昨日より美味しいかも。」
隣の部屋から、物音がした。
少しして、玄関のドアが開く。
スクーターのエンジン音。
今日も輝は、練習へ行くらしい。
はじめは味噌汁をもう一口すすった。
昨日もらったものが、
まだ少しだけ、
今日の朝に残っていた。
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