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第2話 今まで通り
「おい。ちょっと止まれ」
朝、教室に入ろうとしたところで、俺は幼馴染の肩をつかんだ。
「何?」
「寝ぐせ」
「え、どこ?」
「後ろ」
こいつは自分の頭を触ったけれど、当然そこには届いていない。
「右?」
「もっと左」
「ここ?」
「全然違う。じっとしてろって」
仕方なく手を伸ばして、跳ねている髪を押さえる。
「水つけないと無理だな、これ」
「じゃあお願い」
「なんで俺が」
「今やってくれてるじゃん」
「お前さあ……」
言いながら、結局一緒に手洗い場まで行った。
これも別に珍しいことじゃない。
俺とこいつは、家が近い。
小学校も中学校も一緒で、高校まで同じになった。
待ち合わせなんて決めなくても、朝になるとどちらかが相手の家の前にいる。
忘れ物をすれば貸す。
遅刻しそうなら起こす。
テスト前は一緒に勉強する。
俺が風邪をひいたときはプリントを持ってきてくれたし、こいつが体育着を忘れたときは、俺が家まで取りに戻った。
まあ、最後のは俺が甘やかしすぎたと思う。
「できた」
「ありがと」
「明日からちゃんと鏡見ろよ」
「うん」
絶対見ない返事だった。
昼休み。
俺が弁当を食べていると、向かいにいたクラスメイトが急に言った。
「そういやお前、昨日告られたんだって?」
思わず箸が止まった。
「なんで知ってんだよ」
「隣のクラスの子だろ?」
「話広がるの早すぎない?」
「こういうのは早いんだよ」
隣にいたやつまで笑う。
「で、どうしたの?」
「断った」
「えー、もったいな」
「知らねえよ」
「けっこうかわいい子じゃん」
「だから何だよ」
俺が卵焼きを食べようとすると、向かいのやつが身を乗り出してきた。
「じゃあ、なんで断ったの?」
「別に」
「何だよ。聞かせろよ」
「好きなやついるから」
言った瞬間、少しだけ恥ずかしくなった。
でも、こいつらに相手まで分かるわけじゃない。
たぶん。
「え、マジ?」
「誰?」
「同じクラス?」
「言うわけないだろ」
「部活の知り合い?」
「違う」
「じゃあ誰だよ」
「しつこいな」
適当に追い払おうとしたところで、別のクラスメイトがため息をついた。
「まあ、誰でもいいから早く付き合ってくれよ」
「何でお前が困るんだよ」
「困るだろ。お前に告ってる女子が諦めないじゃん」
「は?」
「お前みたいなのがいつまでも空いてると、女子がそっち見てるんだよ。俺らに順番回ってこねえんだって」
思わず笑った。
「順番って何だよ」
「あるだろ、なんとなく」
「ないだろ」
「あるって!」
「お前それ、女子に聞かれたら怒られるぞ」
「だからここで言ってんだろ」
周りも笑う。
馬鹿な話だ。
俺も笑いながら、ふと教室の後ろを見た。
幼馴染がいた。
友達と話している。
……と思ったけれど。
目が合った。
すぐにそらされた。
なんだ?
「ほら、食べないなら卵焼きもらうぞ」
「やめろ」
俺は弁当を守る方に戻った。
そのときは、特に気にしなかった。
放課後。
いつものように、俺と幼馴染は一緒に学校を出た。
「コンビニ寄る?」
「寄る」
「また唐揚げ?」
「まだ何も言ってないじゃん」
「どうせ買うだろ」
「買うけど」
「ほらな」
「好きなんだからしょうがない」
駅前のコンビニに入る。
幼馴染は予想通り、レジ横の唐揚げを買った。
俺は飲み物だけ。
店を出ると、こいつはすぐ袋を開けようとした。
「待てって」
「何?」
「手、汚いだろ。さっき階段の手すり触ってたじゃん」
「見てたの?」
「見えるだろ、隣歩いてたんだから」
「細かいなあ」
「いいから先に拭け」
ポケットティッシュを渡す。
幼馴染が笑った。
「お母さんみたい」
「じゃあ返せ」
「ごめんごめん」
こいつが手を拭いている間、俺が唐揚げの串を持つ。
「はい」
「ありがと」
受け取る。
いつも通り。
何年もやってきたことだ。
少し歩いたところで、幼馴染が言った。
「ねえ」
「ん?」
「昼の話」
一瞬、何のことか分からなかった。
「昼?」
「好きな人いるってやつ」
心臓が少し跳ねた。
「ああ」
聞いてたのか。
やっぱり。
「誰?」
「何でお前まで聞くんだよ」
「いいじゃん」
「よくない」
「同じクラス?」
「さあ」
「部活の人?」
「違う」
「じゃあ誰?」
「もういいだろ」
言えるわけがない。
だって。
目の前にいる。
唐揚げ食ってるこいつだ。
小さいころからずっと一緒で、家族同士まで知っている。
何年も当たり前みたいに隣にいたやつに、
好きです。
なんて。
無理だろ。
「ねえ、本当に誰?」
幼馴染がまた聞いた。
「しつこいって」
「教えてよ」
「嫌だ」
「何で?」
「恥ずいから」
「俺にも?」
「お前だから嫌なんだよ」
言ってから気づいた。
まずい。
幼馴染が足を止めた。
俺も二歩くらい進んでから止まる。
「……それ、どういう意味?」
「別に」
「別にじゃ分かんない」
「言葉通りだよ」
「俺には言えないってこと?」
「そうだよ」
「何で?」
「だから恥ずいって言ってるだろ」
「じゃあ、俺の知らない人?」
「もういいだろ!」
少し強く言ってしまった。
幼馴染が黙る。
やばい。
怒ったか?
「……悪い」
そう言おうとしたときだった。
「その人と、付き合うの?」
「え?」
「好きな人」
さっきまでより、声が小さい。
「まだ何も言ってないし」
「じゃあ、これから言う?」
「分かんない」
「付き合いたい?」
何だこれ。
面接か?
「お前、今日どうしたんだよ」
笑ってごまかそうとした。
でも、幼馴染は笑わなかった。
「嫌なんだけど」
「……何が?」
「お前が、その人と付き合うの」
頭が止まった。
「なんで?」
聞いてから、心臓が速くなる。
まさか。
いや。
そんな。
幼馴染は唐揚げの袋を握ったまま、しばらく何も言わなかった。
目をそらす。
また俺を見る。
「……俺、お前のこと好きだから」
今度こそ、何も考えられなくなった。
車の音がする。
近くを自転車が通る。
誰かが向こうで笑っている。
なのに、その言葉だけがやけにはっきり聞こえた。
「……何言ってんの?」
やっと出たのが、それだった。
「だから」
幼馴染の顔が少し赤くなる。
「俺、お前が好き」
「いや、だって俺ら」
「幼馴染?」
「そう」
「知ってるよ」
「男同士だし」
「それも知ってる」
「じゃあ……」
その先が出ない。
幼馴染が俺を見る。
「でも、お前が誰かと付き合うの嫌」
「……」
「その人の方が俺より大事になるのも嫌」
胸の奥が、ぎゅっとなる。
うれしい。
たぶん。
いや。
ものすごくうれしい。
でも、まだ言えない。
顔が熱い。
「だから」
幼馴染が息を吸う。
「俺じゃ駄目?」
ずるい。
そんな聞き方。
無理に決まってる。
断れるわけない。
俺は顔をそらした。
「……ずるい」
「何が?」
「俺が言おうと思ってたのに」
「え?」
幼馴染が固まった。
「何?」
「だから」
もう逃げられない。
さっきまであんなに言いたくなかったのに。
こいつが先に言ったら、俺だけ黙っているのも変だ。
「昼に言ってた、好きなやつ」
自分の靴を見る。
「……お前」
返事がない。
怖くなって顔を上げる。
幼馴染が口を開けたまま、俺を見ていた。
「何だよ」
「ほんと?」
「こんなことで嘘つくかよ」
「いつから?」
「知らん」
「知らないの?」
「気づいたの最近だから分かんねえよ」
「そっか」
急に笑った。
いつもの笑顔。
その顔を見たら、俺まで少し力が抜けた。
「じゃあ付き合って」
「急だな」
「だって両想いなんでしょ?」
「まあ……そうだけど」
「やった」
すごくうれしそうだ。
そんな顔されると、こっちまで笑ってしまう。
「何笑ってんの?」
「お前が笑ってるから」
「うれしいし」
「俺も」
言ったあと、二人とも少し黙った。
恥ずかしい。
こういうことを普通に言えるやつだと思っていなかった。
自分も。
相手も。
歩き出す。
少しして、俺は気になったことを聞いた。
「なあ」
「何?」
「付き合うって、何すんの?」
幼馴染が俺を見る。
「何って?」
「だから、恋人になったら何するの?」
「うーん」
本気で考えている。
「今まで通りでよくない?」
「それ付き合う意味ある?」
「あるよ」
「どこが違うんだよ」
幼馴染が少し笑った。
「俺がお前の恋人になる」
心臓が変な音を立てた。
「……急にそういうこと言うなよ」
「何で?」
「恥ずいだろ」
「顔赤い」
「赤くねえよ」
「赤いって」
「暑いんだよ」
「今日そんな暑くないけど」
「うるさい」
幼馴染が楽しそうに笑う。
腹が立つ。
でも、嫌じゃない。
こいつは唐揚げをもう一つ食べた。
「ねえ」
「何」
「口についてる?」
見る。
端に衣がついていた。
「ついてる」
「取って」
「自分で取れよ」
「さっきまで取ってくれてたじゃん」
「それご飯粒だろ」
「同じじゃん」
「違うだろ」
「恋人なんだから取ってよ」
「さっそくそれ使うな」
「じゃあ幼馴染として」
「もっと意味分かんねえよ」
それでも結局、指で取ってやった。
「ありがと」
「もう自分でやれよ」
「はいはい」
たぶん明日も、俺はこいつの寝ぐせを直す。
忘れ物をしたら貸すし、また唐揚げを買ったら手を拭けと言う。
こいつも俺に数学を教えるし、風邪をひいたらプリントを持ってくる。
昨日までと、たぶん何も変わらない。
でも。
隣を歩いているこいつは、今日から俺の恋人だ。
そう思ったら、急にむずがゆくなった。
「なあ」
「何?」
「明日も一緒に行く?」
幼馴染が不思議そうに俺を見る。
「今まで毎日一緒だったじゃん」
「そうだけど」
「行くよ。普通に」
「……そっか」
「何その聞き方」
「別に」
俺が少し先を歩くと、すぐ後ろから足音が追いついてくる。
横に並ぶ。
いつもの距離だ。
近すぎるとも思わなかった距離。
でも今日は、少しだけ意識する。
結局、これでいいんだと思う。
今まで通り。
ただ、今までより少しだけ、うれしい。
** 今まで通り (完)
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