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第15話 名前
帝は本当に【おかしい】。
それは帝の狂気を示す時に良く言われていた。
父である先帝を残酷に殺した帝という意味で。
今上帝は【おかしい】。
でなければあんな残酷に父親を殺せるものか。
ヒソヒソと人々は言ったものだ。
幽閉とは名ばかり。
僅かな食糧だけを与えて餓死させた。
いや、でも。
先帝が今上帝の母親をそうしたのは有名だ。
先帝は前王朝の血を引く、今上帝の母親を恐れた。
そこから生まれる子供も。
今上帝が身分の低い皇子とすり替えられていなければ、母親と共に、すり替えられた皇子と一緒に餓死させられていたはずだ。
今上帝は母親の仇として父親を殺しただけだ、と。
いや、でも。
兄皇子達の、妻や妾を目の前で犯したのは?
今上帝の母親は餓死するまで、兄皇子たちの慰みものとなっただろ。
やり返しただけだ。
いや、兄皇子達も幼い弟皇子も、姉皇女達も妹皇女達も無惨に首をはねて、首で塚をつくり晒したのは【おかしい】。
いや、そもそも、前王朝の血を引く母親の一族郎党を先帝と兄皇子達が【そう】したのが始まりだ。
高貴な前王朝の姫を和平のために娶り、皇子を産ませて油断させ、皇子の100日の祝いの席で、一族郎党を皆殺しにした。
屋敷1つ残さなかった。
生きたまま焼き殺し、その焼死体で塚をつくり、それを姫に見せつけ、皇子達が慰みモノにしたのだ。
冷宮に送られ、姫は皇子達に嬲られ餓死した。
当然姫がそだてていた乳のみ子も死んだ。
でもその子は姫の子ではなかった。
姫の出産とほぼ同時期に先帝の身分の低い側室が子を産み落とし死んだ。
その死の騒ぎに紛れて姫は自身の子供とその子を取り替えさせていたのだ。
前王朝は直系男児が産まれなかったため、姫君との婚姻により現王朝が戦ではないカタチで跡を継いだはずだった。
でもそれは油断させ、皆殺しにして国を乗っ取るためだった。
そして、ただ一人生き残った皇子は、母と一族の仇をとり、帝国を奪い返したのだ。
その残忍さはその生い立ちのせいだと、市井の者達は噂する。
臣下を気に入らなければ殺し、妻や妾を奪い犯し、自分の妻子でさえも殺すことさえある今上帝はそれでも、帝国に生きる市井の人々には人気があった。
「税を無闇に取り立てないし、貴族や権力者を殺してもも我々を殺しには来ないのが今上様だ」
恭しく市井のもの達は言い合う。
粛清や見せしめ、不快だからと今上帝が殺して回るのは貴族階級ばかりで、先帝のように飢饉や災害で苦しむ民を見捨てたりもせず、上がるばかりの税もなく、むしろ税は前王朝の頃程度に免除された。
市井には名君。
貴族達には残忍な帝だった。
【おかしい】だと。
どこがだ。
貴族達は散々俺たちから奪って来たんだ。
奪われる側になるといい。
帝が臣下に残忍であることは皮肉なことに市井の人々が慕う理由にもなった。
【おかしい?】
【狂ってるだと?】
だとしても。
市井の者達は帝を愛していた。
でも。
今。
今上帝は【おかしい】。
どう考えてもおかしい。
少年宦官にもそれはわかる。
何故ここに帝がいるのか。
ここは少年宦官の部屋なのに。
清潔ではあってもみすぼらしい部屋の、古びた椅子に座るのは、帝だけが許された特別な黄色の絹と金糸で刺繍された衣を着た帝なのだ。
常服という、実務用の衣を着ているとは言え、皇帝専用の模様が刺繍されたその黄色の絹は、この部屋にふさわしいものではない。
途方にくれたように立ち尽くす少年宦官は、新しく清潔ではあるが粗末な木綿の単衣しか着ていない。
あくまでも少年宦官の衣服は皇帝のお召の時に着せられる皇帝との御目見え用のものであり、この小さな離れと庭にいる時はこの姿なのだ。
困ったように少年宦官が立ち尽くすのが許されるは、愛玩宦官が帝への礼すら適応されない、【愛玩品】扱いだからであり、臣下や民であれば絶対にありえない。
愛玩宦官はモノだからこそ、帝の前での淫らな姿態も、乱れた姿も、哀れに喚く言葉も許されているのだ。
とにかく何故ここに帝がいるのか少年宦官は分からなかった。
自分の寝台でその前夜帝に与えられた快楽以上のダメージを回復させていたはずだった。
医師から回復のための薬湯とそこ此処に塗り込める軟膏はこの部屋に入る前に与えられ、それを飲み、塗り、ここへ帰り泥のように寝ていたのだ。
誰もお召がある時以外は入ってこない、寝台と小さなテーブルと椅子だけの部屋で。
目が覚めたら誰かがテーブルの前の椅子に座ってこちらを眺めてて。
驚いて飛び起きたら、それが帝で。
寝ていた寝台からも飛び出して、今、オロオロと立ち尽くしている。
ここに居るべきお方ではない。
こんなところに。
少年宦官の部屋などに。
少年宦官は後宮内に居ることは許されてるが、後宮内外の者達と必要以上は関わることを許されていない。
これは愛玩宦官が権力と結びつくことを万が一でも防止するための決まりだ。
愛玩品であることを以外はどんなに寵愛されても許されないのだ。
だから、帝の【ホンモノ】の愛玩宦官は、貴族や豪商の愛玩宦官ようにどこへでも連れ回されることはない。
あくまでも、帝の後宮内での愛玩品で、持ち出し禁止なのだ。
性具的な扱いなのだ。
それでも生きた高価な装身具として、歴代帝達は、宮廷での夜会などで見せびらかすこともあったが、今上帝はそれを好まなかった。
だから帝に呼び出されるまでは、後宮内の一角の小さな離れと小さな庭、ここで少年宦官は慎ましく暮らしている。
老女が一人世話役として与えられてはいる。
もちろん帝が使うモノなので、常に後宮内の医師のチェックも、食事管理もされているし、帝の呼び出しの度に帝の湯屋を使うことを許されてはいる。
が、扱いとしてはお手つきになった下級女官以下の扱いであり、身分としては、奴婢以下になる。
だから、帝と会うのは帝が一人寝る用の寝所、せいぜい専用の湯屋、だけであるはずだったのだが。
なのに帝はここにいる。
「ここで寝てるのか」
帝が部屋の中を珍しげに見回していた。
パクパクと口を開けたがなんと言えばよいのか少年宦官は分からない。
混乱しているのだ。
思い出したように、跪こうとしたが、手だけでそれを止めて、帝は寝台を指さしそこに座れと命じた。
椅子は1つしかなかったからだ。
少年宦官はオロオロしながらそこに座った。
「普段はここで何をしてるんだ」
帝がなんでそんなことを聞くのかも少年宦官には分からない。
「お召しをまってます」
そう両袖を上げて顔を伏せて答えるが、その答えは間違っていたらしく、帝の機嫌が悪くなり、少年宦官は途方にくれる。
「そういうのではない。ここで、どう過ごしている。寝て食べる以外では」
機嫌は悪いが、出来る限り苛立ちを隠そうとしている声で言った。
少年宦官は慣れてきたが、寝所での姿を知らない臣下なら、死ぬほど驚くはずだ。
あの帝が誰かに気を使っているのだと。
「寝て食べてるだけです。後は花に水をやってお庭があるのでそこを歩きます。後はお庭で踊ったり歌ったり」
少年宦官は素直に言った。
医師から夜伽を問題なく務めるために、歩くことや運動を命じられていた。
だから小さな庭をぐるぐる歩きまわった。
小さな小さな庭には、樹木はなかったが、一応小さな花壇があり、そこの世話は許されていた。
身支度用の小さな井戸から水をやり、小さな庭を囲う塀の中から空をみて。
愛玩宦官として性技は帝の注文で仕込まれなかったが、行儀や楽しませるための歌や踊りは仕込まれた。
その、歌や踊りの練習をした。
食事や掃除に老婆が訪れる以外は誰も来ないその部屋には、それでも、鳥は飛んできたし、虫も来た。
花も確かに咲いていた。
裸足で踊る足に土は優しかったし、誰にも聞かれない歌も、時に鳥が一緒に歌った。
帝は踊らせなかったし、歌わせなかった。
それより鳴かせて乱れさせる方が良かったから。
でもだから自分のために踊り歌ってた。
「それだけか?」
帝の表情は。
読めない。
そう答えて良かったのかも分からない。
「十分です」
でも少年宦官は心からそう答えた。
狂った妾の子だと、虐められることはなかったし。
侯爵の血を引くものとして最低限の扱いは受けても、そこにいてはならないことを空気から責められることもない。
ここは静かで。
それで良かった。
帝は何か言おうとして、言葉が出てこないようだった。
だが椅子から立ち上がり、今度は寝台にすわる少年宦官の隣りに腰掛けた。
少年宦官は不安になる。
この寝台では夜伽には狭すぎる。
それにここでは。
したくなかった。
ここでだけでは愛玩品では無くなれたから。
でも仕方ないとも思っていた。
自分はそういうモノだから。
帝によって淫らにされてはいても、愛玩品として仕込みはされて来なかったから、この状況に上手く対応出来なくて、ただ密接するほど近い帝の身体の熱に身体を強ばらせる。
「怯えるな。ここではしない。ここはお前だけの部屋だ」
帝は驚くほど優しい声で言った。
「欲しいモノはないか?」
帝は少年宦官の顔を覗き込む。
その目の色に少年宦官は戸惑う。
何故傷ついたみたいな色があるんだろう。
「なにも、なにも。ここは静かで人が居なくて、いいです」
心からから言った。
ここは安心できた。
ここででは身体を奥まで犯されることもない。
誰かの自分を蔑む言葉も目もない。
来てくれる老婆は優しい。
たまにこっそりお菓子をくれる。
「そうか」
そうとだけ帝は言った。
いつものように抱き寄せようとも、髪に触れて来ようともしなかった。
だけどその目が欲望とは違う熱で少年宦官を見つめてくる。
それに戸惑う。
そんな目で見られたことが無かった。
ただ1つの者であるかのような目。
母親も自分を見なかった。
厄介モノだった。
正室は夫の子供としてきちんと扱い守ってくれたが、あれは義務だった。
こんな目は知らなかった。
「名前は」
ぽつんと帝は言った。
愛玩宦官は驚く。
知らないはずがない。
愛玩宦官には納品される完成時に宝石の名前を所有者が与えるのだ。
藍宝という名前を与えられていた。
藍色の深い静かな石の名前を。
帝の好きな石なのだろう。
「藍宝」
と言いかけると、帝は首を振った。
「本当の名前だここに来る前の」
帝の言葉に少年宦官は固まる。
愛玩宦官は過去を捨てなければならない。
その名前はもう奪われた。
過去と繋がってはならない。
愛玩品と成り下がった人間を出したことは、家の恥となる。
決して決してそれは言ってはいけないのだ。
泣きそうになる。
それは守ってくれた正室であり、名分だけとは言え【母】であった正室を裏切ることになる。
母親と呼べるのはそれでも少年宦官にはあの人しかいない。
裏切れない。
「言えないのだな。それもそうか」
帝は驚くべきことに責めはしなかった。
でも切なく言った。
「オレはお前の名前が呼びたいが、それもお前を追い詰めるのか」
見つめるだけで、触れても来ない。
この部屋ではそうなのだと。
「じゃあお前がオレの名前を呼べ」
帝は言った。
帝の名前を呼ぶのは大罪だ。
少年宦官は目を見張り、怯える。
「大丈夫だ。オレの秘密の名前だ。隠されてた名前だ。お前だけが知ればいい」
帝は言って、少年宦官の耳元でその名前を囁いた。
死んだ母親である姫君が、産み落としてすぐに手放した子供に秘密の名前を与えた。
すり替えた子が本当のいつか本名を名乗るからこそ。
すり替えた子供を息子の名前で育てるからこそ。
いつかの時まで自分が自分であれるように、と隠し名を与えた。
いつかその本名を取り戻すまで、すり替えられた先の名前に魂を縛られないよう、乳母にだけ伝えた母と息子のためだけの名前。
その乳母は死にその名前を知るものはもういない。
「【 】」
秘密の名前を帝はささやき、それを少年宦官に呼ばせた。
その名前を呟いた少年宦官の唇を眩しげに帝は見つめて、小さな声で言った。
「口付けていいか」
聞かれて驚いた。
そんなこと言われたことがなかったから。
でもおっかなびっくり小さく頷く。
本当に嫌ではなかった。
聞かれたことも選んだこともなかったけど、今選んで嫌ではなかった。
ただ触れるような口付けをされて、それ以上はなにもされなかった。
もう一度名前を呼ばされただけだった。
帝は笑った。
こんな顔が出来ることに少年宦官は驚いた。
そんな。
そんな。
まるで傷ついてきた少年ような脆くて優しい笑顔。
「ここにはもう来ない」
帝は立ち去る前にそう約束してくれた。
それが最大の思いやりなのだと。
少年宦官は理解した。
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