2 / 8

第2話

二章 第三騎士団 目が覚める。隣では、アシェが静かに寝息をたてて眠っていた。あれから、一週間。少しずつここの暮らしに慣れてきてはいたが、未だ涙を流すことは多い。 アシェをベッドに寝かせ、仕事をしていると、泣きながら眠っていることに気が付いた。さすがに見ていられなくて、一緒に眠ってやると、アシェが泣きながら眠ることは、次第に減っていった。それ以来、隣で眠っている。しばらく新しい部屋は空かないだろう。ベッドは広いし、何の問題もないだろう。 「ヴァルドさん」 「よく眠っていたな。おはよう」 「お、はよう……」 ぼんやりと眼を開き、アシェはオレのシャツをきゅっと握った。 「起きたらね。ヴァルドさんがいるの、すごく嬉しいんだ。夢を見ているみたい」 アシェはまだ十歳。ずっと寂しかったのだろう。 「夢ではない。ずっと、一緒に居てやる」 頭を撫でて胸元に抱き寄せてやる。まだしばらく、一緒に眠る日々が続きそうだな。もう少し、こうしていたいところだが仕事の時間だ。 「アシェはまだゆっくり眠っていていいぞ」 「ううん。目が覚めたよ」 パッとベッドから降りて、早速着替えようとしている。クローゼットを開けた。彼にはオレのクローゼットを半分使わせているが、まだ騎士団員用の部屋着しかない。早くこのクローゼットを埋めてやりたい。 「着替えたら食堂に行くぞ」 「はい」 何にでも、はいと返事をするのはアシェの癖だ。義母にそうするように言われていたのだろう。少しずつ気を張らなくても良いと伝えられたらいいが。 「アシェ」 着替え終えたアシェを引き寄せる。 「わ。なあに?」 「裾が捲れている」 「わわっありがとう」 軽く裾を直してやる。騎士団の部屋着は小さいサイズでもまだ大きかったようだ。しかしいずれ身体は成長するだろう。少しずつ。ここが安心できる場所だと教えてやりたい。軽く背中を押して、二人で食堂へと向かった。 「いい朝っすねー」 いつもは混んでいる食堂も、朝早いせいか人はまばらだ。あの晩、アシェくんを虐げていた義母たちには、しっかりと報いが下された。あんな環境で何の罪もないアシェくんが、健気に生きていたんだと思うと、胸が痛む。あの場にいた全員、アシェくんが一人でどんな思いをしてきたのか、ルシアンさんの魔法の効果で痛いほど理解した。 あの後、奴らは辺境の土地へと追放されたと連絡が来た。労働力として上手く使われているようだ。幻覚が消えないとまだ騒いでいるらしいが、魔法の効果はもうなくなっている。何かあったら知らせるようにヴァルドさんは伝えたようだが、追放先では労働力さえもらえればなんでもいいらしい。 まあヴァルドさんはアシェくんを奴らから引き離せたので、もうどうでもいいと思っているかもしれないな。これからはここで、楽しく生活して欲しい。自分に出来ることは何でもするつもりだ。騎士としても、仲間としても! 「あ、アシェくん! ヴァルドさん!」 食堂に向かってくるアシェくんとヴァルドさんを発見した。手を振ると、アシェくんは小さく振り返してくれた。アシェくんは団の支給服を着ている。一番小さいサイズを用意したけど、それでもやや大きめだ。 「おつかれさまっす。席、確保しておきました!」 先回りして席を確保した自分は優秀な部下である。 「この時間ならそこらじゅう空いてるけどな。アシェ。ここから選べ」 「うん」 ヴァルドさんはアシェくんにメニュー表を渡す。ここの食堂のご飯はかなり美味しい。みんなの栄養管理のためにプロの料理人が常駐していて、日替わりのメニューも用意されている。毎日三食ここで食べても一切飽きることがない。食費も浮くし。アシェくんは、ここで食事をした翌日、嘔吐してしまった。ルシアンさんによると、たくさん食べ慣れていないため、胃がびっくりしてしまったらしい。それ以来、アシェくんには身体に優しい専用メニューが用意されている。 「ハンバーグがある。食べていいのかな」 「ここに載ってるなら、もう食べていいんだろう」 「この、ハンバーグが入ってるのが食べたいな」 アシェくんはハンバーグもオムライスも食べたことがなかったらしい。アシェくんの義兄、レオンはあんなにまるまる太っていたのに、アシェくんはガリガリ。義母はレオンにだけ作り、与えていた様だ。でもここで食べるハンバーグの方が絶対に美味しいし、笑顔になれるはずだ。 「自分も今日はハンバーグにするっす」 「一緒だね」 アシェくんはここの環境も少しずつ慣れてきた様だ。 「あ。野菜スープも付いてるって書いてある。ここの野菜スープ、すごく美味しいんだ。ぼくが作ったのよりも、美味しかった」 以前、朝食はアシェくんが毎日作っていたらしい。まだ十歳。義母よりも早起きさせて作らせていた。義兄の好き嫌いも多く、好みのものじゃないと叩かれることもあったらしい。 「アシェは作れるだけで十分偉い」 「えへへ」 ヴァルドさんに褒められて、アシェくんは笑顔を見せる。従兄弟に十歳になった子がいるが、火の近くにいるだけでも、危なっかしくて見てられないのに。それを当たり前のようにさせる環境……。そしてこれからも、彼の普通と、愛情を注がれてきた子供達の普通が、違うんだということを理解させられるかもしれない。 「お待たせしました」 「わ、あ」 アシェくんのために作られた、メニューが届けられる。アシェくんは笑顔だった。その笑顔を見て、彼の幸福をこれから取り戻していきたい。そう強く思った。 「わ、あ」 ぼくの目の前にハンバーグプレートが置かれる。ハンバーグに、パンやサラダ、それにスープも付いている。ふわりと、ハンバーグからはとても美味しそうな匂いが漂っていた。 「ヴァルドさんもハンバーグセットにしたんすね!」 「そういう気分だった」 ヴァルドさんもリオットさんも、同じハンバーグだけど、ぼくのハンバーグ五個分くらいの大きさだ。 「い、いただきます」 ナイフとフォークが準備されているので、握ってみる。どうやって切ったらいいのかな。 「貸してみろ」 ヴァルドさんが、横からぼくの両手を掴み、切り方を教えてくれる。 「ありがとう……」 「こんなもんか」 フォークに刺されたハンバーグはぼくの口元に運ばれる。 「あ、」 「熱いから気を付けろよ」 「ん……」 お肉が口の中ですぐにとろける。ハンバーグ、こんなに美味しかったんだ。 「とっても美味しい……」 お義母さんは、『穀潰しに食べさせるものは無い』と言って、ぼくには一度も作ってくれなかった。穀潰しという言葉の意味を、最初は分からなかった。でも本で調べたら、ぼくのことが、書かれていた。 「良かった。本当に美味しいっすよ。ここのハンバーグ」 「ゆっくり食えよ」 「ん……」 ヴァルドさんとリオットさんが一緒に、同じ物を食べてくれる。ぼくが食べるのはお義母さんとお義兄さんが居ない時だ。残ってたものがあれば、それを一人で食べる。それが、当たり前だった。 「泣くな、アシェ……」 ヴァルドさんはまたタオルで顔を拭いてくれた。泣きたくないのに、ぼろぼろと涙が溢れてしまった。せっかくのハンバーグがしょっぱくなっちゃう。 「美味しい。一緒に、食べられるの、嬉しい……」 「これからも一緒に食べてやる」 「ヴァルドさんが忙しい時は自分がいるっすよ」 「リオットだけに任せるようなことは、滅多にないようにする」 ヴァルドさんのハンバーグは一口で半分くらいなくなっていた。やっぱり涙は止まらないけど、一緒食べてくれるのが嬉しいなって思った。 「アシェ。今日は健康診断の日だ。忘れるなよ」 「はい」 アシェはもぐもぐとハンバーグを頬張りながら頷いた。以前ルシアンにアシェの定期検診をするように言ってある。騎士団員達も月一で行っているが、アシェは週一で行っている。責任を持つと言ったんだ。このくらい普通のことだろう。 「今日は午前が武器訓練だったな。先に進めていてくれ」 「分かったっす!」 リオットは敬礼で返す。その後朝食を食べ終えて、アシェが美味そうに食べるのを横目で眺めていた。 「――数値の方は徐々にだけど回復しているよ。食事の効果と睡眠もよく取れているからね。治癒魔法のおかげで細かい擦り傷や、背中の打撲もすっかり良くなってるみたいだ」 ルシアンが手元の書類を確認しながら言う。 「ありがとうございます。ルシアン先生。もうね、全然どこも痛くないんだ」 アシェは自身の身体を見回す。ルシアンの治癒魔法で一部の傷は治せるが、心や栄養不足までは対処しきれない。こればかりは徐々にやっていくしかないが、アシェは以前よりも元気そうだ。 「それは良かったよ。にしても、ルシアン先生……いい響きだね」 「勝手に呼ばせたんだろう」 「君たち誰も呼ばないからね。少しは敬ってほしいよ」 「それから今日、専門の理容師が騎士団庁舎にくる。アシェの髪を切り揃えてもらおう」 アシェの髪は毎日梳いているが、かなり伸びている。切り揃えるくらいが、アシェには似合うだろう。 「……痛く、ない? 自分で切ったら、ハサミで耳のところから血が出ちゃって、ちょっと怖い」 「向こうはプロだ。怪我なんてさせない。少し切り揃えた方が見た目も良くなるし、軽くなる。どうだ?」 「わ、分かった」 アシェはこくりと頷いた。 「偉いな。きっと格好良くなるだろう」 「ほんと?」 頭を撫でてやると、アシェが首を傾げた。 「幼心を弄んで……」 ルシアンは苦笑する。 「本心だが」 少し髪を整えただけでも、可愛らしくみえるんだ。事実だろう。 「ルシアン先生は、切らないの?」 「僕は長いのに慣れてるからね」 ルシアンはいつも長い髪を適当に結んでいる。 「面倒なだけだろう」 「まあ、そうだね」 ルシアンはひらひらと手を振った。魔法実験がしたいらしい。アシェを連れて医務室を出るか。 「行くぞ。アシェ」 「ルシアン先生。ありがとう」 「ん、またね」 アシェは小さくお辞儀をすると、医務室の扉を開けた。そしてそのままくるりと振り返る。 「理容師さんに切ってもらうの、ぼく初めて」 髪を整えることなんて、あの環境では、やってもらえなかったのだろう。何も与えてやらないなんて。こんな、優しい子に。 「……行こう」 アシェの背中を押して、医務室の外へと向かった。 騎士団庁舎の中庭に今日は理容師さんが来ているみたい。そこに向かう途中の廊下。ヴァルドさんは団員の人に呼ばれて行ってしまった。少しここで待っていてくれ、と言われたのでぼくは待っているんだ。ふと、窓ガラスに映るぼくの姿と目が合う。 『掃除もできない役立たず。せめて汚らしい顔ぐらい隠しておきなさい』 「あ……」 脳裏にお義母さんの言葉がフラッシュバックする。鏡に映った自分の顔が、やけに白くて気持ち悪かった。髪をぐちゃぐちゃにして、その顔を見えなくする。ちゃんと掃除したのに『手抜き』って言われて、食事はなし。ぼく、頑張ったんだ。 お腹が空いて、その前の日も食べられなかったから。 『調子に乗るなよ。血も繋がってないくせに』 あの時レオン義兄さんが床にジュースをこぼした。でもぼくがこぼしたって。アシェが欲しがるからって。ぼく、欲しいなんて一言も言ってない。ジュースなんてぼく、もらえないもの。でもお義母さんは、ぼくを平手で叩いた。いつだってそうだった。ぼくのせいにすれば、レオン義兄さんは怒られないから。 『ほんといらないな、お前』 でも、どこに居たらいいの?お義母さんにも、レオン義兄さんにも、ぼくは、いらないって言われて。じゃあぼくはどこに、居たら―― 「アシェ」 振り返るとヴァルドさんが、そこに居た。 「待たせてすまなかった。中庭に行こう。……どうした? 髪がぼさぼさだな」 ぼくは自分の顔がなんだか見れなくて、髪をぐちゃぐちゃにしてしまった。 「ご、ごめんなさい……」 顔を伏せる。真っ白な顔を見られたくなかった。ヴァルドさんは手で髪を整えてくれる。 「……。健康診断で疲れたな。ココアでも飲むか」 「え? でも……」 「少し休憩だ。行くぞ」 ヴァルドさんに手を引かれる。ぼくはヴァルドさんみたく、かっこよくなりたいんだ。みんなに頼られて、強くて優しくてかっこいいヴァルドさんみたいな、騎士様に。 もう〝いらない〟って言われないために……。 「全く。アシェはまだ子供だろう」 「え、わ、あ!」 ヴァルドさんに再び抱っこされる。ヴァルドさんはスラリとしてるのに力持ちだ。 「アシェは泣き虫だったと記憶しているが。何か思い出したのか? 我慢しなくていい」 背中を撫でられると、ぽろりと涙が出てしまった。ヴァルドさんと、ずっと一緒にいたいな。そんな想いが涙になって、こぼれ落ちていった。 アシェの顔が真っ青だった。嫌なことでも思い出したのだろうか。 「ご、ごめんなさい」 「いいんだ。甘い物が飲みたい気分だったからな」 子供なのに、気を使いすぎだ。この時間、食堂は開いていない。自身の部屋の卓上に設えられた、小さな魔導コンロに鍋を乗せる。部屋にストックしてあるココアを取り出して、ミルクを注ぎハチミツを垂らす。疲れた時には甘い物だ。 「かき混ぜてみるか?」 「うん」 「熱いから気を付けろよ」 「はい」 横でじっと見ていたアシェに、ココアの入った鍋を木製のスプーンでかき混ぜるように伝える。甘い香りが室内に広がる。 「甘い匂いがする」 「ココア、好きか?」 「飲んだことない。でも、美味しそう」 「……甘くて美味いぞ。疲れた時に飲んでいる」 混ぜ終えたので二つのマグカップにココアを注ぐ。そのうちアシェ専用のマグカップを買わないとな。 「湯気が……」 「よく冷まして飲めよ」 「あ、ありがとう」 マグカップを受け取ったアシェは、両手でしっかり抱えてふーふーと息を吹きかけ、一口。 「あ、熱っ。あ、甘い。美味しい!」 「感想が忙しいな。美味いだろう」 アシェの素直な反応に、つい口元がほころぶ。 「さっき何を見ていたんだ?」 「窓ガラスのぼくと、目が合って。お義母さんはぼくと目が合うと、嫌な顔をするから……」 義母たちの呪縛はそう簡単に解けないだろう。アシェはマグカップの縁をじっと見つめている。 「オレはアシェを、義母や義兄と引き離したのは間違っていないと思っている。ここにはあいつらはもう来ない」 「はい」 「ここがアシェの、新しい居場所だ。……まだまだ未熟だった団員たちの面倒をずっと見てきたオレが、アシェを見捨てると思うのか?」 問いかけに対してアシェは首を横に振る。 「思わない。……ヴァルドさんは憧れの、騎士様」 ふっと息を吐いて、マグカップを置く。 「それは買い被りすぎだ。まあいい。ひとつアシェに、お願いしたいことがある」 「はい」 アシェは身体を乗り出して、まっすぐこちらを見つめてくる。何か期待しているような、役に立ちたいと思っているような――そんな瞳だった。 「……甘えていい」 「え?」 「アシェはよく頑張った。これからはオレに、甘えてくれ」 妙なことを言っただろうか。アシェは首を傾げている。 「ヴァルドさんのお願い。聞く! でも甘えるって?」 「そこはのちのち……自分で考えてくれ」 「? はい」 子供らしさを取り戻させるために言ったが、妙なお願いをしてしまったかもしれない。 「〝甘える〟ぼく、本で読んだんだ。結婚している女の人が他の男の人を好きになっちゃうお話に書いてあった。意味がよくわからなかったんだけど、甘えてっていっぱい出てきて」 「それは参考にしなくていい。その小説はまだアシェには早い」 「……?」 アシェの以前の部屋にあったものだ。ゴミ捨て場から拾ってきたと言っていた、恋愛小説。何もわからずに読んでいたんだろうな。教えることが山ほどありそうだ。だが、楽しみでもあり、そんなアシェをたくさん可愛がりたいと思うのは、おかしな話だろうか。 「――こんな感じでいかがでしょうか。少しだけ短めにして軽さを出してみました」 初めて理容師さんに、髪の毛を切ってもらった。お義母さんに、邪魔くさい髪って言われた。レオン義兄さんに髪を引っ張られた。だから自分で切ることにした。でもハサミが上手く使えなくて、耳を切ってしまった。それ以来怖くて髪が切れなくって伸びっぱなしだった。今まで長かったのなら、長いままの方が落ち着くだろうって、ヴァルドさんが言ってくれた。ぼくもルシアンさんと同じで、長い髪の方がなんだか落ち着く。長さはそんなに変わってないのに、理容師さんに切ってもらった後は、なんだか全然違う。髪が軽くてすごくさらさらして見える。 「あ、ありがとう、ございます……」 「アシェ。すごく良くなったな」 「えへへ……」 ヴァルドさんが褒めてくれる。みんな優しい。髪を引っ張ってこない。長い髪のままでも何も言わないんだ。 「アシェは泣き虫だな」 ここにきてからすぐ涙がぽろぽろ出てしまう。どうしてだろう。ぐいっと袖で拭く。ヴァルドさんは理容師さんに、お礼を言ってから、椅子に座っていたぼくを下ろしてくれる。 「いい髪型だ。アシェらしい」 ヴァルドさんの赤みのかかった金色の瞳がぼくを見据える。 「あんまり男っぽくないよね」 「ルシアンなんかアシェより長いんだ。何も問題ないだろう」 「うん。髪が長くても、ルシアン先生、カッコいい」 「……そうかもな。これから訓練場に行くぞ」 「うん!」 灰色の髪がさらりと揺れて、ちょっとだけ心が軽くなったような。そんな気がしたんだ。 「ヴァルドさん。お疲れ様っす! アシェくん。髪切り揃えたんすね! かっこいいっす!」 「えへへ」 屋外の訓練場に着くと、リオットがすぐに気づいて声をかけてきた。他の団員たちからも次々に声が飛ぶ。各々、得意な剣、槍、弓などを手に、特訓に励んでいる。騎士団の主な仕事は、日替わり当番制で街の警備や日々の訓練を行う。それに加えて、魔物討伐の依頼が来たときは、必要な人数をそろえて出動することだ。 「アシェくん弓を試してみるかい?」 「槍もかっこいいぞ!」 団員たちがわらわらとアシェの周りに集まってくる。各自の武器の魅力をアピールしたいようだ。 「アシェを囲うな」 「早めのスカウトですよー」 団員たちを軽く散らせる。アシェは先日模擬刀の素振りを数回試しただけで、貧血を起こしぶっ倒れた。身体に必要な栄養が足りてないんだ。まだ無理をさせるわけにはいかない。 「ったく持ち場に戻れ。アシェ。お前はまず体力作りから始めた方がいい。騎士団の訓練はアシェには早すぎる」 「うん……。何かぼくもお手伝いがしたいな」 「そうだな」 無理はさせたくない。けれど、本人がやりたいと言うなら、やらせてやりたい。何か出来ることは―― 「武器の手入れなんかどうです? ヴァルドさん。少しくらいなら教えてあげられますよ」 やってきたのはザナック・ローレス。騎士団付きの整備士だ。普段武器の整備と手入れ、そして趣味で素材を使って何やら色々な物を作っている。細かい作業が得意で、器用なので何かと助かる場面は多い。 「そうだな。頼めるか」 「もちろんですよ」 ザナックは手入れ用の布とオイル、防具のパーツをアシェに渡してやっていた。やり方を簡単に教えると、アシェは真剣な顔で頷いた。アシェは役立たずなどではない。むしろ、これからいろんなことを覚えていける子だ。それに物覚えもいい。 「おれのもいいですか?」 「アシェくん。こっちも」 「頼みすぎだ。自分でやれ」 アシェは基本的に、いつもオレの側にいる。こうして訓練場に顔を出すのは、団員たちにとっても新鮮なのだろう。どうにもアシェに構いたくて仕方がないようだ。 ザナックに手入れの仕方を教わるアシェが視界に入る。目が合うと楽しそうな笑顔を向けていた。そんなアシェの無邪気な様子が可愛らしいと思ってしまうなんて、オレも他の団員たちと同じか。気づけば、自然と笑みを浮かべていた。 アシェを引き取ったのは、騎士として放っておけなかったからだ。そして徽章を盗まれたのはオレの失態だ。そんなことがなければ、彼が身代わりにされることもなかっただろう。しかし、アシェが勇気を出してここへ来なければ、彼の酷い現状に気付くことも出来なかった。 「……」 今はただ、こうしてアシェが笑っているのが、嬉しい――だなんてな。 ここ騎士団庁舎の一角には、団員達や一部会員の者が利用出来る図書館がある。最初にアシェを案内した場所だ。本が好きなアシェはこの図書館に目を輝かせていた。今までは義兄の本をこっそり読むか、ゴミ捨て場にあった本を持ち帰って読んでいたらしい。アシェの以前住んでいた部屋に置かれた、ジャンルがバラバラの本。読みたい本すら、彼は選べなかったんだ。 「オレは仕事に使う資料を探してるから、好きな本を読んでてくれ」 「うん……!」 ぱたぱたと嬉しそうに図書館を見て回っている。オレは司書から頼んでおいた書籍を受け取る。もうアシェは選んできたのか、書籍を手に取りオレの隣にやってきた。 「こんなにたくさん本を読めるなんて、嬉しいな」 「あぁ。たくさん読んでいい。約束しただろう」 「うん……!」 頼んでおいた書籍を広げ、書き写す。数行の資料が欲しかっただけなんだがな。こういう時間も悪くはない。 「アシェは本を良く読んでいるが、文字は書けるのか?」 アシェは首を振る。 「書けない。本読むのは好きだったから、読んで覚えたんだ」 「やはりそうか……」 あの環境ではそうなるのも仕方がない。 「ではアシェ。文字の書き方を覚えよう。ここの書籍を使って勉強するんだ。文字を書けるようになれば、アシェのためにもなるだろう」 アシェは嬉しそうにこくりと頷いた。 「まず、教えるために――」 「ヴァルドさん。すみません」 図書館の扉が開く。ヴァルドさんが団員さんに呼ばれている。 「アシェ、ここで少し待っててくれ」 「うん」 ヴァルドさんは呼ばれて図書館を出ていった。ヴァルドさんの隣に居るとなんだか安心する。役に立ちたいなって。そう思うんだ。文字を書けるようになったら、役に立てるかもしれない。 「あの本が見当たらないとな?」 「はい。あの棚にあるはずなんですけど。貸出記録も出ていませんし」 ふさふさの髭を生やした館長と女性の司書さんが話している。 「他の人が違うところに持っていっちゃったのかしら。貴重な魔導書なのに」 魔導書。確かぼくが見ていた棚に、全然違うジャンルの本が入ってた棚があったかも……。さっき見ていた棚の方に移動する。やっぱりあった。これかな。本を手に取る。違う本があったから覚えていたんだ。 ふと、思い出す。レオン義兄さんが明日授業で使う本がないって騒いでた。だからぼくは大変だと思って、探したんだ。もしかしたらと思って見たら、レオン義兄さんが気に入ってるソファーの隙間に入ってたんだ。だから渡した。あったよって。そうしたら『お前が盗んだんだろ! 泥棒アシェ!』その本で叩かれて―― 「あれ、アシェくん。その本――」 司書さんに声を掛けられる。 「あ……」 何か言わないと。また、あの時みたく、泥棒って言われて、叩かれて―― 「すごい! 見つけてくれたのね。ありがとうアシェくん。館長。見つかりました!」 「…………」 「どうしたの? アシェくん。話を聞いていてくれたのね。助かったわ」 「あ、ありがとう、ございます。信じて、くれて……」 何も言ってないのに、司書さんはぼくのことをひとつも疑わなかった。ぼくが隠したんじゃないかって、思われなかった。 「こちらがありがとうよ。よく見てくれてるのね。凄いわ。さすが、ヴァルドさんが気に入っただけあるわ」 「え……?」 気に入った? ぼくみたいな役立たずを? 「こらこら。見守っておやり……」 「すみません。館長。私たちここで長く勤めてるから、ヴァルドさんのことよく見てて」 「エレナさん……」 館長から静止の声が入る。 「すみません! アシェくん、ゆっくりたくさん読んでいってね」 司書のエレナさんは本を受け取り、館長さんの元に戻って行った。みんなが言っていること。よく分かんないや。でも、ここで本がたくさん読める。いっぱい読んで、文字も書けるようになって、ヴァルドさんの役に立てるように頑張ろうって思ったんだ。 「第三騎士団はみんな、あんなに優秀なのに平均年齢が他の騎士団より若いのよね。その中でもヴァルドさん。威厳があって強くて……若くして騎士団長に抜擢されたの。驚きよね」 「いげん?」 「堂々としてかっこいいってことよ。魔物討伐率もトップクラス。ハイスペックすぎて、誰も近寄らせない。いや、近寄れないわ」 エレナさんにいっぱい声を掛けられる。ヴァルドさんが褒められるのは、何故だかぼくもすごく嬉しくなるんだ。 「ヴァルドさん、すごい」 「そう。そうなのよ! なかなかこの凄さを語れる人がいなくて。あ、私はただのファンよ?外から見ていたい。眺めていたいファンなの。個人として認知はされたくないの」 にんち? よくわからないや。でもにこにこ話しかけてくれて、なんだか元気が出てくる。 「あの、ここの本、全部戻し終わりました」 「ありがとう。アシェくん。館長は最近視力が悪くなってしまって、見づらいみたいで、ほぼ私一人でやっていたの。助かるわ」 「ううん。いっぱい本触れるの、嬉しい」 「もちろん頼んだからにはご褒美があるわ。美味しいクッキーがあるの。アシェくんもたくさん食べて」 「エレナさん。一方的に喋りすぎじゃあ」 「すみません、館長。つい」 「アシェくん」 館長が大きな髭を触りながらこちらに近寄る。 「ありがとう。エレナさんが騒がしいかもしれないが、良ければまた来ておくれ。知識は君のためになるからの。アシェくんの境遇は知っておる。少しでもここを好きな空間だと思ってくれると嬉しいのう」 エレナさんが後ろで、ごめんねと言うように手を合わせている。 「はい」 「それから、先ほどの話じゃが、ヴァルドくん一人じゃ荷が重いじゃろう。視力は衰えたが、教えることくらいは出来る」 「え……?」 「わしが君に文字を教えるとしよう。騒がしいのはおるがのう」 「わ、私は大人しくしています。今、紅茶とクッキー用意してきますね!」 エレナさんはパタパタと事務所の中へと入っていった。 「やっぱり騒がしいのう」 「あ、ありがとうございます。館長さん」 「ノーマンじゃ。アシェくん。君の未来はまだまだこれからじゃよ」 手を差し出される。こんなこと。みんな優しくしてくれる。こんな世界が、あるんだ。恐る恐る手を出すと、優しく握り返してくれた。 「よしよし。泣き虫じゃのう……」 「……はい」 頭を撫でられて、ぽろりと涙が出ていた。 「アシェ。遅くなった――」 戻るとアシェは館長、女性司書に囲まれてクッキーを頬張っていた。 「ヴァルドさん。おかえりなさい」 この短時間に何が……。 「ヴァルドくん。彼の読み書きのことじゃが――」 話を聞くと、ノーマン館長自らアシェに文字を教えてくれるとのことだ。しかも彼は魔法学院に勤めていた元教師。これほど心強いことはない。 「ありがとうございます」 「もっと頼ってもらってええんじゃよ。ヴァルドくんは自身の仕事もあるんじゃからな」 「……そうですね。助かります」 「将来有望じゃからの。どれ、学ぶためのスケジュールを作っておいた方が効率がいいかのう。エレナさん」 「はい!」 司書のエレナはすぐに立ち上がると、それぞれのスケジュールを取り出して、魔導タイプライターでカタカタと時間割を組み始めた。 「ノーマン館長の休日はアシェくんもお休み。それからヴァルド団長の休日も一緒にお休みにしましょう。それから――」 「エレナさん。すごい」 「任せておいて!」 「頼む」 凄い速さでスケジュールが組まれていく。数分後には司書エレナの手で、アシェのスケジュールが組み上がっていた。 「こちらでいかがでしょうか?」 「ありがとう……エレナさん。よろしくお願いします。ノーマン館長」 「よろしくな。アシェくん」 アシェはもらったスケジュールを大事そうに受け取った。学院に通えなかった彼からしたら、相当嬉しいことだろう。 「頑張れよ。アシェ」 「うん……!」 アシェはこちらに微笑みを浮かべていた。 「お届けに参りましたー」 「えへ、へ」 部屋で仕事を進めていると、アシェは騎士団庁舎にある共同風呂からほかほかの身体で戻ってきた。初めはオレの部屋にある風呂を使わせていたが、今は慣れてきたのでリオットたちが順番に風呂の手助けをしてくれている。 「き、気持ちよかった。お風呂、温かくて。泡のお風呂もあったんだ」 「良かったな。リオット助かった」 「いいえ! じゃあおやすみアシェくん」 「お、おやすみなさい」 手を振るリオットの後ろ姿を見送ってから、執務室の扉を閉める。 「こっちに来い。風呂は慣れたか?」 「うん。お風呂いっぱいあって楽しい」 膝に乗せてまだ少し濡れた髪を拭いてやる。アシェからはシャンプーの香りがふわりと漂っていた。以前の風呂ではお湯を使うことを禁じられていたらしい。濡れたタオルで拭いていたようだ。なので風呂に苦手意識があったようだが、徐々に風呂が気持ちいいことを学んでいっている。 「ヴァルドさんのお部屋のお風呂も大きいから、楽しい」 「どっちがいい?」 「えーと」 共同風呂のが種類がある。オレの部屋は個人風呂なので大きいのが一つだけだ。 「ど、どっちも」 アシェは辿々しく答えていた。髪を軽く拭き終え、膝から下ろそうかと思ったが、重くもないのでそのままだ。 「お仕事、いっぱい?」 「もう少しで終わる」 書類を覗き込むアシェを左手で支えて、右手でペンを走らせる。 「随分いい匂いになったな」 「リオットさんが、シャンプーいっぱい使わせてくれたんだ」 「そうか。寄りかかっていいぞ」 「ぼく、邪魔じゃ……」 「邪魔ではない」 アシェの身体を胸元に抱き寄せる。 「みんな。優しくて。夢じゃないといいなって、何回も思うんだ」 「寝てもこの夢は覚めない。眠っていいぞ」 「ううん。ヴァルドさんのお仕事終わるまで、起きてる……」 目がとろんとしている。すぐに寝てしまいそうだな。アシェが少しずつ笑顔を取り戻す姿をみるとこちらの心も洗われる。早く仕事を終わらせてしまおう。 ペンを走らせていると、アシェはそのままこてりと眠ってしまっていた。 「やっぱりな」 アシェはオレの腕の中で、静かに寝息を立てていた。なんて軽い、重みだろうか。机の上にはエレナ司書にもらったスケジュールが大事に折りたたまれていた。アシェが置いたのだろう。スケジュールを手に取る。 「アシェの休みは――」 アシェとオレの休みを合わせて、スケジュールを組んでくれたエレナ司書には頭が下がる。休みを確認して、オレは残りの仕事を片付けることに専念した。 「アシェ。ベッドで寝るぞ」 「んぅ」 仕事を終わらせたので、そろそろ寝るとするか。アシェを抱き上げそのままベッドに連れていく。まだまだ軽すぎるな。 「ぼく、歩く……」 「この方が早い」 アシェをベッドに寝かせて、隣に横になる。すっかり一緒に寝ることに慣れてしまったな。教育にいいのかは分からないが。 「あのね……」 アシェが目をとろりと開けて、こちらを見上げる。 「なんだ?」 「ぼく……ずっと聞きたかったんだ。剣だけで魔物を倒した騎士様のお話しの続き。最後まで、読めなかったから。ヴァルドさん、知ってる……?」 「あぁ」 アシェは彼の義兄が持っている『魔法の使えない勇者』の本のことを言っているのだろう。義兄の本をこっそり読んでいたと言っていたな。子供達に人気で、ベストセラーにもなった本だ。 「あの話はな。結局勇者――騎士は魔法が使えないままだったんだ。でも、周りの力を借りて、魔王討伐に成功したんだ」 「魔法、使えないままだったの?」 「あぁ。騎士は魔法が使えないことを皆に告白したんだ。しかし誰も騎士を責めなかった。その騎士だって完璧ではないんだ。そして皆が協力し、魔物を倒すことができたんだ。その後世界に平和が訪れる。そんな話だ」 「魔法使えなくて、怒られなかったの? 役立たずって言われなかったの……?」 魔法が使えない。血も繋がっていない。アシェには何ひとつ非がないにも関わらず、それでも義母と義兄は――幼い彼を、まるで〝いらない子〟のように扱ってきた。 「魔法だけが全てではないんだ。魔法が使えなくても、いろんな生き方がある」 「そう、なんだ。魔法使えなくても、生きてて、いいんだね」 「当たり前だ」 ぽろりと涙を流すアシェの目元を指で拭ってやる。魔法が使えなくても構わないと。誰かがアシェに、そう教えてやるべきだったんだ。周りにアシェの理解者が居たならば。あのときオレに〝殺して〟などと頼まなかったはずだ。アシェは、何も悪くないんだから。 「お話し聞けて、良かった」 「天国にいたら聞けない話だ」 「うん。ヴァルドさん、ありがとう……」 眠ったようだな。寝息を立てている。アシェが今後魔法を使えなくとも別に構わない。しかしアシェの中では、義母や義兄に刷り込まれたせいで、魔力がない=役立たずとなっているんだろうな。そんなはずはない。魔力がなくともアシェは、生きていてくれればいい。いろんな生き方があるんだ。 「おやすみ。アシェ」 アシェの髪をさらりと撫でてやる。館長に子供向けの小説を置くよう、頼んでおくか。 「悪いな。手伝ってもらって」 「いいんですよ。ヴァルドさん!」 「わあ」 オレの部屋で作業するのは、騎士団付きの整備士ザナック・ローレスだ。普段武器の整備や手入れ、武器作りを得意としているが、今日は彼に時間を作ってもらい、オレの一室をアシェの部屋へと改装してもらっていた。 「い、いいの? ヴァルドさんの部屋なのに……」 「軽く片付けただけで、アシェくんの部屋が出来ましたね。あと机と椅子。余っていたやつを綺麗にして持ってきました。高さも少し低く削ってみたんですが、まだ大きかったみたいですね」 その部屋にはアシェ用に椅子と机が置かれた。最低限のものしかないが、これから増やしていけばいいだろう。これから文字を学んでいくんだ。オレの部屋は余っていたし、アシェに使うことができれば充分だ。 「あ、ありがとう。ザナックさん。ヴァルドさん」 「まだ部屋は空かないだろうからな。オレの部屋と一緒ですまないな」 「ううん。ヴァルドさんと一緒。嬉しい」 「懐かれてますなー。ヴァルドさん」 「普通だろう」 ザナックはにやにやとこちらを見る。まあ懐かれて悪い気はしないが。 「今日の作業分は別手当で申請しておく」 「助かります。これで新しい素材試せます! アシェくんのことで何かあったらいつでも頼って下さい」 「あぁ。頼りにしている」 アシェを早速椅子に座らせてみる。椅子が高いのか足が宙ぶらりんの状態だ。しかしいずれ成長するだろう。 「嬉しい。机も椅子も」 アシェの以前の環境では、義母や義兄の不用品を重ねて机として無理矢理使っていた。大事そうに机を撫でている。 「この本棚はザナックが作ってくれた物だ。アシェの好きな本を入れていくといい」 「ありがとう。ザナックさん」 「いいってことよ! 余ってた木材があったからな!」 本棚にはアシェが持ってきた、冒険の本が一冊だけ差さっている。今まで読んでいた本は図書館で借りたものか、オレの部屋にあったものだからな。 「しかし、この本棚がいずれいっぱいになったら……俺は涙が止まらなくなるかもしれねえです」 「リオットといいお前といい、涙脆いやつばかりだな」 「リオットもですか? にしても、ベッドの材料が足りなかったのは、申し訳なかったなぁ」 「そこまでさせられない。充分だ。ベッドはのちに購入する」 「というか一緒に寝ててもいいんじゃないですか? アシェくん小柄ですし」 「いつまでもそういうわけにはいかないだろう」 アシェと眠るのは、悪くないんだがな。彼もいずれ一人で寝たくなるだろう。 「まだ寂しいと思いますけどねえ」 ふと以前の物置と呼ばれていた彼の部屋を思い出す。ベッドなどなく、床に薄い布をひいて丸まって寝ていたであろう、彼の姿が思い浮かぶ。 「まあ……まだいいか」 まだ泣きながら寝ていることもある。しばらくは一緒に寝てやることにするか。 『おい! アシェ!』 『わっ。なあに? レオン義兄さん』 今日も部屋で丸くなっていると、いつものように突然レオン義兄さんが入ってきた。 『魔法見せてやるよ。ちょっと来い』 魔法。ぼくは何回練習しても使えない。レオン義兄さんと同じようにやっても、ぼくには何もできない。あんまり見たいものでもないけど。 『早くしろよ!』 『は、はい』 『なんだその汚ねえゴミ』 『ゴミじゃないよ。あっ』 ぼくの本を指差したかと思うと、レオン義兄さんはぼくの本をひったくった。ゴミ捨て場で拾った本。だけど、ぼくにとってはゴミじゃない。 『か、返し……』 ギロリと睨まれて、声が萎んでしまう。反抗しない方がいい。レオン義兄さんと過ごしていて、学んだことだ。痛いのは嫌だもの。レオン義兄さんはぼくの本を一つ持って、階段を降りて下に向かった。ついてこいと言われたから、大人しくついて行く。 『見ててね、ママ』 『あ……』 レオン義兄さんは義母さんの前で、ぼくの本を掲げた。もしかして……。 『今日も魔法で……すごいって言われてさ。見せてあげる。ほら!』 レオン義兄さんは魔法で、手に持っていたぼくの本に火の魔法をかけていた。 『まあ、すごいわ。レオンちゃん!』 『……や、やめてよ!』 『なんだよ!』 『あっ』 ぼくはレオン義兄さんに燃やされた本を取り返そうとしたけど、ドンって突き飛ばされた。床に尻餅をつく。 『明日試験があるから練習しておきたくて』 ぼくの本は火の魔法で一瞬のうちに燃えて、黒焦げになっていた。ぼくは床に落ちた、本だった物をじっとみつめる。灰になって床にぱらぱらと崩れ落ちたそれらは、レオン兄さんの足で踏まれていた。どうしてこんな、ひどいことをするの? でも言えないんだ。言ってもぼくは、叩かれるだけ。痛いだけ。怒られるだけ。 『なんだ? アシェ。文句でも――』 「アシェ」 「わ、あ!」 ヴァルドさんに突然抱っこされる。ぼくはヴァルドさんに連れられて、街の大きな本屋さんまで来ていた。騎士団庁舎の図書館も広いけど、もっともっと大きい。それに文房具とか、喫茶店とかもある、なんだかオシャレな場所だ。ヴァルドさんは今日ここに、取りに来る物があるんだって。 「気になる本はあったか?」 「え……っと」 ヴァルドさんにぎゅっと抱っこされる。ちょっとだけ、恥ずかしいよ。でもいっぱい本が並んでて、きっとみんなには見えない。 「アシェの部屋の本棚を埋めたい。それともオレが決めていいのか?」 「えっと、えっとね。ぼ、冒険の本……」 抱っこから下ろされて、ひとつ指をさす。読んだことのない、表紙がカラフルでかっこいい本だ。 「これか。分かった」 「アシェくん。これはどうっすか?」 「これなんかも良さそうだよ」 リオットさん、ルシアンさんがぴょこりと顔を出す。二人ともこの本屋さんに来る用事があったんだって。ヴァルドさんはため息をついていたけれど。 「アシェに決めさせているんだ。自分たちの用事はどうした」 「欲しかった魔導書はもう購入したよ」 「自分は何かいい本がないか見に来ただけっす。あ、帰りに喫茶店でスイーツでも食べに行きます?」 「リオット。お前は見回り途中だろう……。アシェ、これはどうだ?」 ヴァルドさんにリオットさん、ルシアンさんが持って来てくれた本を渡される。動物の本と、魔法使いの本と、戦いの本。どれも面白そう。 「全部読んだことないや。面白そう」 「分かった」 ヴァルドさんはカウンターにいる人にその本を渡していた。もしかして、買うのかな。リオットさんもルシアンさんも何故だか満足げだ。ヴァルドさんはカウンターの人とお話しした後、その本とは別に小さな箱を受け取っていた。 「アシェ。今日ここに来たのは、これを取りにきたからだ」 ぼくの両手よりも大きくて細長い、頑丈そうな箱だ。 「開けてみてくれ」 「はい」 ヴァルドさんに手渡されたので、蓋を開けてみる。 「これ……ぼく……の?」 箱の中には、綺麗な藍色の万年筆。そして革で出来た栞が入っていた。ぼくのだと思ったのは、二つともぼくの名前〝アシェ・エクリュ〟って彫られていたから。 「アシェの物だ。ここでアシェの物を作って渡したいと思っていた。使ってくれ」 「ありがとう……。ヴァルドさん」 ぼくの物。ぼくだけの物だ。胸がきゅうってなって、もらった箱を抱きしめる。 「ヴァルドさん! アシェくん泣いてるじゃないっすか!」 「……ちょっと過保護かもしれないけど、これが普通だって思えるようになるといいよね」 「アシェ。泣くな。帰りにパフェでも食べよう」 「……ぱふぇ?」 ヴァルドさんにタオルで顔を拭かれる。でも涙が止まらないんだ。 「団長の戻りは遅いって伝えておくよ。ほら、君は早く見回りに行きなよ」 「ちょっとルシアンさん! アシェくん。今度自分ともパフェ食べに行きましょうね!」 「うん!」 ルシアンさんと一緒に本屋さんを出るリオットさんが、本屋さんの人に静かにって注意されてた。 ちょっとだけ、笑っちゃったんだ。 「少しくらい、いいだろう。甘い物を食べてくるか。行くぞ」 「……うん!」 ヴァルドさんが手を引いてくれる。ヴァルドさんが優しく握ってくれた手が、まるでぼくを優しく導いてくれるみたいだった。ヴァルドさんたちが一緒にいてくれる。だからもうね、寂しくないんだ。 近くの喫茶店に入り、アシェに食べさせてみたいと思っていたパフェを一つ注文する。自分はコーヒーだ。人気商品なのかそんなに時間が立たずとも、パフェはアシェの前に置かれた。アイスに小さなチョコケーキ、フルーツがふんだんに盛り付けられており、アシェの顔が隠れてしまうほどの大きさだ。 「すごい。大きい。こんなに、食べられないよ」 ゆっくり単語を区切って喋る。アシェの癖だ。義母に怒られないような単語を選んで、話してきたのだろうか。 「オレも少し食べてやる。アシェのせいで、甘いものを食すことが増えてきてしまったな」 オレ自身甘い物は好んで食べない。しかし、アシェと出会ってから自然と甘い物に目を向けるようになった。アシェが甘い物を食べる時、目を輝かせて喜ぶのだ。そんな姿はずっとみていられるほどだ。 「ヴァルドさんは……どうしてぼくなんかに、こんなに、優しいの?」 アシェに上目遣いでじっと見つめられる。そんなに疑問に思うことだろうか。 「身寄りのない人間をウチで受け入れるのは、よくあることだ。それに、騎士団に入る者はいつもこの黒剣で試される」 「ヴァルドさんの、真っ黒の剣?」 「あぁ」 アシェはオレの腰の黒剣をじっと見つめ、そっと指を伸ばしかけて、慌てて引っ込めた。これは最初に出会った時、アシェに振り下ろした剣だ。 「大抵は斬るべき何かがあるものだが――アシェにはそれがなかった。だからこそ、育ててみたいと思ったんだ」 この黒剣を通して、オレはその人の心の状態を見ることができる。心の中にある邪悪や迷いは、黒い霧のようなモヤとなって映し出されるのだ。入団するのに、完全な人間であれとは言わない。オレにだって斬るべき場所はいくつもあるだろう。 アシェを黒剣越しに見た時、何も見えなかった。彼の心はあの時、ただあの義母や義兄のために身代わりになるので、殺して欲しい。それだけを考えていたのだろう。そんな彼を放っておけない。そう思ったんだ。 「黒剣越しに見える邪悪なモヤを理由に、気に入らない者を追い出してきた。そのせいで、一部からは〝冷徹騎士〟などと呼ばれるようになってしまった」 コーヒーを一口飲み、話を続ける。 「そいつは、別の場所で厄介ごとを起こして、処罰を受けたらしい。なので間違ってないと思っている。……まあこんな話どうでもいいな。食べないのか?」 「あ、う……」 アシェが下を向き、もじもじとしている。なんだ。照れているのか? 「ぼく、何もないよ。役立たずってずっと言われていたもの」 アシェは自身の服の袖をぎゅっと握っていた。役立たず。アシェがよく口にする言葉だ。義母達に言われ続けていたのだろう。 「そんなことはない」 「ぼく、ヴァルドさんみたくカッコよくなる。もっと勉強して、ヴァルドさんの役に立つからね」 「……それは楽しみだな。パフェのアイスが溶けてしまうぞ」 「あ、わわ……」 アシェはスプーンを手に持ち、溶けかけていたアイスを掬い、口に頬張る。相変わらず目を輝かせて、美味そうに食うものだ。 「美味しい。甘い! ヴァルドさん、も!」 スプーンを差し出されたので、アシェの手を取り、口に含む。やはり甘いな。まあこんなに、アシェを可愛がってしまうことになるとは。それだけは予想外だったがな。 「魔法もね、ノーマン館長に教えてもらったんだ。ぼくにも、魔法が使えるって」 「そうか」 文字の練習と共に、魔法までもう教えているとは。やはり見込みはあるようだ。アシェは嬉しそうに手のひらをみつめて、ふふっと笑った。残ったコーヒーを飲み干し、以前ノーマン館長に言われたことを思い出す。 『彼の魔力の様子を見たんだが、まだ固く閉ざされているようじゃな。だが魔力がないわけではない。条件さえ満たせば、解放されるじゃろう』 ノーマン館長はうんうんと頷いていた。魔力が解放されないのは、環境のせいだったのだろう。そういうことは、多々起こりうる。 『素直ないい子の面倒を見るのは楽しいのう。日々の楽しみじゃよ』 ノーマン館長はにこりとこちらを見た。それはオレも同じだ。小さく頷く。 『じゃがな……』 ノーマン館長は声を顰める。 『アシェくんは……義母達に〝魔力がない役立たず〟とずっと言われて来たようじゃな。だから〝魔法を使えるようにならないといけない〟無意識にそう思っているようじゃの』 『……そうですね』 度々アシェが言う、役に立ちたいという言葉。義母に言われ続けて来た言葉が原因だろう。魔法を使いたいのも、オレの役に立ちたいからだろうか。 「ぼく、がんばる!」 アシェは両手をグッと握っていた。 「……まあそんな話をしたが、別にアシェが魔法を使えなくても構わないんだ」 「え?」 パフェの器越しにアシェが悲しげにこちらを見つめる。言い方が悪かっただろうか。 「黒剣はオレがやっている――ただの儀式のようなものだ。あまり深く考えるな」 アシェはこてりと首を傾げる。なんて伝えたらいいのだろうか。 「アシェがオレの隣で笑顔でいてくれたら、それでいい」 魔法が使えなくても、色んな生き方がある。それはここまで生きて来て学んできたことだ。アシェはぼわりと顔が赤くなり、ふるふると首を振った。 「ぼくもヴァルドさんの笑ってるところ、ずっと見ていたいな。大きくなっても。ずーっと!」 えへへ。とアシェは笑った。大きくなっても、か。アシェの成長する未来でも、オレの隣にいることを望んでくれている。それがなぜだか嬉しく思えた。 「……パフェは美味かったか?」 「とっても! 初めて食べたんだぁ」 空になったパフェの器が店員によって下げられた。随分食べられるようになったな。 「そろそろ行くか」 椅子から降りようとするアシェ。再び抱き上げそうになるが、外なので見守るだけに留めておく。 「わ。く、クリームが服についちゃってる!」 「全く」 思わず笑ってしまう。アシェの成長が、楽しみだ。 「ふむ。大分上達したのう」 「えへへ」 今日はノーマン館長に図書館で、文字の読み書きを教わっている。文字を書くのはとても楽しい。ノートとペンをヴァルドさんが渡してくれた。大事に使うんだ。 「おっと。昼食の時間じゃ。食堂に行くかの。ヴァルドくんが待っているじゃろう」 「はい」 騎士団庁舎では一日三食食べるのが当たり前になっている。以前は食べられない日もあった。なのに今は三食どころかおやつがもらえる日もある。ううん。ほぼ毎日、おやつがあるんだ。椅子から降りる。どこも椅子が大きいので、よいしょって降りないとまだ降りられない。 「エレナくん。昼食に行こうか」 「はい。閉めますね」 エレナさんは、本の整理を中断して休憩中の札に変えた。三人で食堂に向かう。 「あ。ヴァルドさんだ」 「アシェ」 ヴァルドさんが図書館まで迎えに来てくれた。ぱたぱたと走ってヴァルドさんの元に向かう。 「勉強は進んだか?」 「うん。上達したって、ノーマン館長が言ってくれたんだ。今、食堂に行こうとしてて」 「そうか。ありがとうございます。ノーマン館長」 「いいんじゃよ」 ノーマン館長は微笑みながら手を振っている。 「それと、アシェにもう一つ用事があるんだ。早めに飯を食べてしまおう」 ヴァルドさんに優しく背中を押されて、食堂に向かうことになった。 「あれじゃの。エレナくん。これは、以前教えてもらった……」 「尊い、ですか?」 「それじゃ。尊いのう」 「分かります……」

ともだちにシェアしよう!