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第6話
四章
「依頼された魔物の気配は消滅しました!」
「そのようだな」
「お疲れ様っす~」
魔力レーダーを確認し、剣を鞘に納めて一息つく。夜通し魔物討伐でさすがの自分も疲労困憊だ。ヴァルドさんは――冷静な表情だ。疲れていないのだろうか。
「今日の魔物も、数が多かったっすね」
「こんなものだろう」
ヴァルドさんは遠くを見つめた。その横顔はアシェくんのことを想っているような表情だった。早く会いたいんだろうな。
「依頼主に報告に向かう。帰還準備を進めていてくれ」
「わかりました!」
ヴァルドさんは、依頼主である村長が待つ小屋へと向かった。あとは討伐完了の報告書を国に提出すれば、報奨金が受け取れる。危険な仕事ではあるが、頑張る甲斐があるものだ。
「――魔力レーダーで確認してもらった通り、魔物討伐は完了した。それと森に張り巡らされた魔石に魔力を補給しておいたが、今後は定期的に補給を依頼するように」
「ありがとうございました」
「一晩中討伐してくれたのに、こちらから何もお礼をしないなんて申し訳ねえ。ちょっと待っててくれ」
依頼主である若い村長が、討伐終了したのを確認すると、どこかへと行ってしまった。小屋に彼の妻と二人きりになる。そんなことより早く帰宅したいのだが。
「あの……ありがとうございます。ヴァルド様」
「いいえ」
依頼されたから仕事をこなしただけだ。窓の外に顔を向ける。
「一晩、戦っている姿をずっと見ておりました……。また、いらっしゃってくれませんか……? 魔物が来なくとも……」
彼の妻は突然、オレの手を握った。思わず手を振り払い、一歩後ろへ下がる。この目は、あの時と同じ――
「ヴァルド騎士団長さん! これ、持って行ってください! うちの村で育てているりんご! 甘くて美味しいですよ!」
「ありがとう……」
彼の妻はこちらをじっと見ながら微笑んでいた。……なんとも嫌な気分だ。
過去の記憶が呼び起こされる。オレが小さい頃――アシェよりも幼かった頃だ。世話係の女性に、よくわからないままに触れられたことがある。何か決定的なことがあったわけではない。しかし、あの時の世話係の息遣い、肌を触られた感触は未だに脳裏に焼き付いている。
あの時から、女性と関わりたいと思わなくなった。あの目を向けられると、あの時のことを思い出し、いまだに気分が悪くなる。だからひたすら魔物討伐に励み、気づけば騎士団長という立場にいた。これからも同じように生きていくのだと思っていた――アシェと出会うまでは。
「……では」
「村の者に伝えておきます! 助かりました!」
籠に詰め込まれた大量のりんごを受け取る。アシェがきっと喜ぶだろう。アシェの反応を予想し、思わず微笑みそうになる。小屋を出て、帰還準備を進める騎士団員に声をかける。
「撤収するぞ!」
「すごい量のりんごっすね! この村が育てているりんご、かなり美味しいらしいですね! アシェくんが喜んでくれそうっす!」
「……そうだな」
「ヴァルドさん? 何かありました?」
「大丈夫だ。帰還するぞ」
リオットがりんごを受け取り、荷台に乗せる。オレたちは馬を操り、森を後にした。そういえばアシェは馬に乗ったことがあるだろうか。そんなことを考える。
アシェはオレを慕ってくれているが、オレ自身、アシェの存在に救われている。彼が側に居ることが心地良くて、既に当たり前になっている。――きっと、気付いてはいないだろうな。
「健診終わり。お疲れ様」
「ありがとうございます。ルシアン先生。掃除、しますか? ぼく今日は勉強終わりです。だからお掃除できます!」
「うーん」
ルシアン先生は悩んでいる。医務室はまたごちゃりと書類が山積みだ。掃除は、ぼくが出来ることの一つだ。
「まだこのくらいなら大丈夫だろう。君は好きなことをしていな。遊んでいて構わないんだよ」
書類の山を眺めながら、ルシアン先生はそうぼくに言った。
「……わかりました」
遊ぶ。何をしよう。またヴァルドさんとぼくの部屋の掃除でもしようかな。でも今朝もお掃除したから、あまりするところがないかもしれないや。
ヴァルドさんが少し遠くの討伐の依頼を受けて、丸二日経過した。今までずっと一人だったはずなのに、ヴァルドさんがいないだけでなんだか寂しい。
恥ずかしいけどぬいぐるみを抱きしめて眠っていた。早く帰って来ないかな。
「ヴァルドくんが帰って来なくて寂しい?」
「えっ?」
図星を突かれてどきりとする。でもこくりと頷く。
「ヴァルドくんもだと思うよ」
「そう……かなぁ?」
ヴァルドさんはみんなに慕われていて、カッコよくて、尊敬される騎士様だ。そんなヴァルドさんがぼくがいなくて寂しいなんて、思うのかな。分からないや。すると騎士団庁舎に鐘の音が鳴り響く。討伐に行った第三騎士団の人たちが帰ってきた音だ。
「大きな怪我人の報告は受けてないけど、迎えに行こうか」
「うん!」
本当は走ったら危ないけど、ぱたぱたと玄関へと向かう。ぼくは胸が高鳴るのを感じていた。
「ヴァルドさん! みんな!」
騎士団庁舎につくと、鐘の音を聞いて集まったのか、アシェやルシアン、待機していた騎士たちが集まってきていた。
オレを見つけ、ぱたぱたとやってくるアシェ。頭を撫でたいが一日戦闘していて、服も身体も汚れている。風呂の後にするか。待機していた騎士に馬を引き渡し、アシェの元へ向かう。するとアシェは気にせず、オレに飛びついてきていた。思わず口元がほころんでしまう。
「アシェ。汚れるぞ」
「おかえりなさい。みんな無事で、良かった!」
アシェはオレの顔を見上げて微笑んでいた。
「アシェくん。ただいまっすー! お土産があるっすよ」
荷台に積まれたりんごをリオットは運んでいた。すっかり忘れていたな。
「リオットさん! おかえりなさい。わあ。りんごだあ」
「一人では危ないだろう」
「大丈夫だよ」
オレの側を離れて、リオットからりんごを受け取るアシェ。両手でりんごの入った籠を持ち、身体が見えなくなりそうだな。しかしにこり、と笑っている姿が見える。
「かなりの量だ。食堂の料理長に渡して、何か使えないか聞いてみるか」
「うん」
「そうっすね!」
アシェと共に食堂へ向かおうとしたが、彼はくるりと振り返る。
「ぼく、りんご運ぶよ! ヴァルドさんはいっぱい休んでね」
それだけ言い残すとアシェは食堂へと向かっていった。
もう少し戯れたかったが……。
「……」
「なんか寂しそうっすね。ヴァルドさん」
「そんなことはない」
「お疲れ様。怪我人はない? 特に連絡来てなかったけど」
のんびりと声をかけてきたのはルシアンだ。
「あぁ。大きな怪我人は出なかった。そちらは問題なかったか?」
「うん。警備も見回りも問題なく終わっていたよ」
「軽い怪我なら自分たちでも治せるんっすけどね。治癒魔法使い一人はやっぱ、同時に依頼が入るとキツいっすね」
今回同じ日程に警備の依頼と日々の見回り。そして魔物討伐の依頼が入った。今回の魔物は危険性の少ないものだとわかっていたことと、人数が多い方にルシアンを置いた方がいいと判断して、残ってもらった。
「いずれ増やすべきだとは思うがな……」
「ただでさえ治癒魔法使いは少ないですからね。それにルシアンさんと、うまくやれる人ってなると相当限られるっすよね」
「僕は第一騎士団にいた頃よりはマシだから、一人でも構わないんだけどね」
当の本人は呑気なものだ。……ともかく風呂に入りたい。事務仕事も残っているが、自身の汚れを落とすのが先だろう。
「あの。料理長さん」
今の時間、食堂は開いてない。料理の仕込みをしている、料理長に声をかける。以前何か仕事がないか探している時に、お皿洗いを手伝ったことがある。そのお礼にと言って、試作品のデザートをもらっちゃったんだ。大きい手のひらで、美味しい食事をたくさん作ってくれる、すごい人なんだ。
「アシェくん。どうしたんだい?」
「ヴァルドさんたちが、りんごをもらったみたいです。何か使ってもらえますか?」
籠に入ったたくさんのりんごを料理長に見せる。
「一人で持ってきたのかい? どれどれ。これは、討伐依頼を受けたところからもらってきたりんごか! なるほど良い品質だねえ」
料理長は籠を受け取り、まじまじとりんごを眺める。料理長がりんごを持つと、なんだかりんごが小さく見えるや。
「全部使って良いのかい?」
「ヴァルドさんが、使って欲しいって……」
「よしきた! 限定デザートにアップルパイを作ろうか」
「アップルパイ……!」
ショーケースで見たことがあるものだ。こんがりしてて美味しそうだったな。
「今日中に作るから楽しみにしてくれよ!」
料理長はパチンとウインクをしてくれた。大量のりんごは料理長に引き取られて、中にいた調理スタッフに渡された。
「はい。あの、皮剥き手伝います」
皮剥きはたくさんやってた。だからりんごの皮剥きだって、ぼくもできるんだ。それに今日はもう、何にもお仕事がないから。
「ありがとう。でも大丈夫だ。調理スタッフがいるからな! アシェくんは、ヴァルドさんのところに行ってやりな。ここでアシェくんを拘束するわけにはいかねえよ」
料理長は、ははっと大きく笑って、嬉しそうに手を振った。ぼくは手を振りかえして、言われた通りヴァルドさんのところに向かうことにした。ヴァルドさんとたくさんお話がしたいな。本当はずっとそう思ってたんだって気付いた。危ないから走っちゃダメなんだけど、ぼくは駆け足で、ヴァルドさんの――ぼくの部屋へと向かっていた。
執務室も覗いてみたけどいなかったから、ヴァルドさんはやっぱり部屋にいるのかな。ノックしてから扉を開ける。
「アシェ。りんごは渡せたか?」
中にはズボンだけ履いて頭をタオルで拭いているヴァルドさんの姿。お風呂に入ってキラキラピカピカしている。
「うん! あのね、アップルパイを作ってくれるって」
「それはいいな。夕食が楽しみだな」
「うん!」
二人掛けソファーに座るように促される。身体を拭き終わったヴァルドさんは、部屋着を身に纏い、ソファーの隣に座った。
「ヴァルドさん。疲れてない?」
「……少し疲れた。魔物自体は大したことはなかったんだがな。依頼先が遠いもんで、帰還に時間がかかってしまった」
ヴァルドさんはぼくの肩をぎゅっと抱き寄せる。ソファーに座るとなんでだか、ぼくのことをよく抱きしめてくれる、お気に入りの場所だ。
「ちゃんと一人でも風呂に入れたようだな」
「わわっ。匂い嗅いでる?」
言われた通り、お風呂にもちゃんと浸かったし、お湯で身体と頭も洗った。
匂いを嗅がれてるとわかると、なんだかぶわりと顔が熱くなる。
「寂しくなかったか?」
「……お勉強したり、図書館のお手伝いしたり、お掃除してたから、寂しくなかったよ」
「そうか。アシェは忙しいな」
寝ている時は一人だったから、本当は夜は寂しかった。勉強やお仕事やお掃除で、一人じゃないって気を紛らわせていたんだと思う。
「オレは少し、寂しかったがな」
ヴァルドさんも、寂しかったんだ。ぼくは寂しくないって言った方がいいのかなって思ったんだ。だって、ヴァルドさんはたくさん魔物討伐に行かないといけない。だから、ぼくが寂しいって言ったら、ヴァルドさんは優しいから――
「ぼく、ほんとは一人で寝るのが寂しかった」
ぼくのことをたくさん、気にかけてしまうかもしれないから。でも自然と言葉が溢れてしまっていた。ずっとずっと、一人で寝てたのに。固い床でシーツと呼ばれる布にくるまって眠っていた。お義母さんに怒られても、叩かれても、残り物のご飯がもらえるだけで、嬉しかったのに。今はもっともっと幸せで。ふかふかのベッドが心地良くて。みんなで食べるご飯が美味しくて。もうそれを知ってしまった。ここに居ていいって言ってもらえたのが、本当に嬉しいんだ。なのにそれ以上、欲しいなんて。
「……アシェも寂しかったのか。安心した」
「え?」
安心? なんでだろう。でも、言って良かったのかもしれない。ヴァルドさんはにこりと笑った。
「……眠い。少し眠る。十分経ったら起こしてくれ」
「ええっ? ヴァルドさん?」
「ここに、居てくれよ……」
ヴァルドさんは眠気が限界なのか、ぼくに寄りかかりそのまま器用に眠ってしまっていた。このままだとヴァルドさんの身体が痛くなってしまう。ひざまくらにしてあげると、ヴァルドさんは安心したように身をゆだねてくれた。十分……。近くにある時計で時間を確認した。
顔を下に向けるとすっかり眠っているヴァルドさんの姿。身体がぽかぽか温かいな。討伐に行ってそのまま帰って来て、きっと疲れてるかもしれない。
「おやすみなさい」
ぼくがいつでもヴァルドさんの枕になるから、ゆっくり眠ってね。
ヴァルドさんがぼくの膝で眠ってて気持ち良さそうで。でもぼくまでちょっとだけ眠ってしまうなんて……! 十分経ったら起こしてって頼まれていたのに。
時計の針は十分どころか三十分も過ぎている。ヴァルドさんを急いで起こしにかかる。
「ヴァルドさん。三十分経っちゃった。お、起きて……!」
膝の上のヴァルドさんの肩を軽く揺らす。するとゆっくり目を開いた。
「ごめんなさい。三十分経ってた。ぼくもちょっと眠っちゃった……」
「……」
怒られるかな。時間も守れないなんて。少し身を縮めると、ヴァルドさんは両手を広げてぼくのことを抱え始めた。
「え? ヴァルドさん?」
「もう少し寝る。アシェも一緒に寝たらいい。報告書はあとで、まとめることにするか……」
ぼくはヴァルドさんの腕にすっぽり収まったまま、ヴァルドさんはまた眠りについてしまった。こうやってされるとぼくはまた、眠たくなっちゃうんだ。
「いいの? ぼくも眠っちゃうからね……」
ぼくは背中に手を回されて、まるで抱き枕にされているようだ。温かくて気持ちよくて。そのままぼくも再び眠りについてしまった。
「重かったろ。悪いな。少しスッキリした。報告書を仕上げないとな」
ヴァルドさんは身体を伸ばして立ち上がっていた。時計の針はもうすでに一時間以上経っているようだった。でもヴァルドさん、元気になったように見える。良かった。ぼくは目を擦ってから少し伸びをした。
「ぼくもたくさん眠っちゃった。えへへ」
「アシェはたくさん寝て、もう少し身長を伸ばそう」
ここに来てからぼくは毎日たくさん食べるようになった。でも身長はなかなか伸びない。ずっとチビのままだ。
「しかし、向こうじゃゆっくり眠れなかったから助かった。やはりアシェがいると違うな」
ヴァルドさんは小さく笑っていた。ヴァルドさん、帰還してからもまたお仕事があるなんて。ぼくもお手伝い出来たらいいのにな。ベッドの上にあるぬいぐるみが視界に入る。そういえばお話ししたいことがあったんだ。
「あ、あのね。ヴァルドさん。前に綿が出ちゃったうさぎのぬいぐるみ。直したんだ。あとヴァルドさんの騎士団の替えの制服、ボタンが取れちゃったの付けておきました!」
ヴァルドさんがくれた、うさぎのぬいぐるみを見せる。大事な物だからベッドの近くに飾っているんだ。制服はクローゼットの中にしまってあるけれど。
「直してくれたのか。助かるよ。アシェは器用だな。……また、行きたいか? メルセバ」
「うん! グラッツさんや、ユージンさん。シリルにも会いたい!」
商業都市メルセバでは色々あったけど、今までぼくにはいなかった友達ができた。お話ししてくれる人ができた。大切な場所だ。それに、ここにはないお店が見れて、とても楽しかったんだ。部屋着から、クローゼットにある騎士団の制服に着替えるヴァルドさん。微笑みながら、ボタンを確認してくれてる。
「アシェのおかげで、休みが待ち遠しい」
「え?」
「いや。少し仕事を片付けてくる。夕飯は一緒に食おう。それまで……自由にしていてくれ」
「はい。わっ」
ヴァルドさんはぼくの頭を撫でると、執務室へ向かった。自由に……。今日はもう頼まれたお仕事はないし、お勉強も終わった。何をしよう。騎士団庁舎を見て回ろうかな。
とことこと騎士団庁舎を一人で歩く。廊下は広くてぼくの足音だけが響いている。窓枠に手をかけて外を眺めた。ふわりと入る風が心地いいな。みんな、ぼくにすごくすごく優しくしてくれる。仕事はもらえるけど、以前と比べると少しだけ。もっと頼んでいいのにな。あとは好きなことをする時間。
『君は好きなことをしていな。遊んでいて構わないんだよ』
『アシェくんは――ヴァルドさんのところに行ってやりな』
『それまで……自由にしていてくれ』
みんなぼくにはお仕事より、遊ぶことを求めている。どうしてって思うんだ。ぼくはみんなの役に立ちたい。役に立たないといけない。お義母さんに言われたみたく、もう、帰ってこなくていいって言われたくないから――
「……もっと、みんなの役に立ちたいな」
「アシェくん。こんなところでどうしたんじゃ?」
「わわっ!」
突然名前を呼ばれて、驚いて振り返る。ふさふさのお髭。ノーマン館長だ。
「あ。えっと。ヴァルドさんに自由にしてていいって言われたので、騎士団庁舎をお散歩……してみようかなって……」
どうしてだろう。だんだん自信がなくなってくる。
「ふむ。……アシェくんも一緒におやつでもどうじゃ? 休憩たいむじゃ」
「え、はわ、はい……」
ノーマン館長はなんだか嬉しそうに、食堂へとぼくの手を引いて歩いていくのだった。
「ノーマン館長」
「なんじゃ?」
ノーマン館長に手を引かれて、食堂へ向かう。太陽の光が窓に反射して、少し眩しい。顔を俯かせる。
「ぼ、ぼく。遊んでばかり。いいの?」
ノーマン館長はくるりと振り向き頭をわしゃりと撫でた。
「ええ?」
「いいんじゃよ。寧ろもっと遊んで欲しいぐらいじゃ。今まで一人で頑張ってきたんじゃろ?」
「でも……」
「アシェくんは遊ぶことが仕事じゃ。たくさん遊んでたくさん学び、ここで楽しく過ごして欲しい。それがヴァルドくんの望みでもあり、アシェくんと一緒に過ごすわしらの願いじゃ」
遊ぶことが仕事。そんなこと考えたこともなかった。お義母さんに家のことは全部やるように言われていた。ちゃんとやらなかったらご飯は抜き。楽しみは外に捨てられていた本をもらって、こっそり読むこと。ずっとずっとそうだったのに。
「賢いアシェくんなら、できるじゃろ?」
「うう……はい」
またぼろりと涙が出そうになって必死に堪えた。いつまでもぼくは、泣き虫のままで、お義母さんやレオン義兄さんの言葉に囚われたままだった。
「ゆっくりでいい。あともう一つ。ヴァルドくんが忙しい時はわしとも話してくれないか?」
「え?」
「アシェくんと話すと元気になるからのう。それにアシェくんが来ると、エレナくんはクッキーを出してくれる確率が高い」
ノーマン館長は甘いものに目がない。エレナさんのクッキーはとっても美味しいもんね。ぱちりとノーマン館長はウインクをした。
「はい。エレナさんのクッキー美味しいです」
「そうじゃろ。あと、何度も言っておるが、敬語じゃなくていいんじゃぞ? 孫だと思わせてくれたら嬉しいのう」
孫。じゃあノーマン館長はぼくのお祖父ちゃん。そんな存在、今までいなかったから、そう言ってくれたことがとてもうれしく思えた。
「うん。ありがとう。ノーマン、館長……」
お祖父ちゃんなんて言おうとしたけど、ちょっと恥ずかしくて言えなかった。ノーマン館長はにこりと笑った。
「今、勤務時間なんじゃが、お腹が空いてしまってのう。エレナくんに図書館の方を任せてきたのじゃ」
「えへへ。エレナさんに怒られちゃう」
「大丈夫。デザートを持ち帰る約束をしたから怒られはせんよ。そのくらいでいいんじゃよ、アシェくんも。さあ行こう」
ノーマン館長の言葉で単純だけど、心が軽くなった気がした。遊ぶことが仕事。きっとそれは本を読むことの他に、楽しいことがもっとたくさんあるってことだ。
「ぼくもデザート。ヴァルドさんに届けてもいい……?」
「勿論。喜ぶじゃろうな。甘いものは疲れた身体に良く効くからのう」
二人でくすくすと笑った。雲に隠れたせいなのか、さっきよりも太陽は穏やかな光になっていた。
食堂につくと、騎士団の人たちが何人か休憩をしているようだった。見回りが終わって、休憩をしている人たちだ。その中に――
「ルシアン先生!」
「おや。アシェくんにノーマン館長。こんにちは」
「医務室の番人と食堂で遭遇出来るなんてのう」
「腹が減ったのでね。昼食です」
ノーマン館長と一緒にルシアン先生の側に行く。昼食といってももうおやつの時間だ。ルシアン先生のご飯の時間はとっても不規則なんだ。テーブルにはシチューとサラダ、食べかけのパンが置かれていた。
「ぼく。ノーマン館長とおやつ食べに来たんだ」
「おやつか。いいね」
ノーマン館長と一緒にルシアン先生の隣に座り、ルシアン先生をじっとみつめる。
「僕がヴァルドくんに怒られるよ」
ルシアン先生は困ったようにぼくをみつめた。どうして怒られるんだろう。理由を聞こうとしたらキッチンの方から声をかけられる。
「アシェくん!」
「料理長さん」
キッチンから出てきて、料理長はこちらに向かってきてくれていた。
「アップルパイ出来たよ。食べて行かないか?」
「た、食べたい!」
「アップルパイなんてメニューにあったかのう?」
首を傾げるノーマン館長にヴァルドさんが、もらってきたりんごのことを伝える。
「第三騎士団を出迎えに行った際、アシェくんが何か受け取っているなと思ったが……りんごを受け取っていたのか。いいのうアップルパイ! ホイップクリームものせてもらえるかのう?」
「ノーマン館長の頼みとなれば仕方ない。今用意するから待っていてくれ。……三つでいいのか?」
僕も? とルシアン先生は言っていたけど、食べるって言ってくれた。
「ヴァルドさんと……約束してたエレナさんの分もいいですか?」
「五個だな。みんなに宣伝しておいてくれよ! 限定メニューだが、評判が良ければ材料の入荷を検討しよう」
「はい!」
料理長はキッチンへと戻っていった。アップルパイ楽しみだな。りんごもあんなにつやつやで美味しそうだった。きっともっと美味しくなる気がする。
「楽しみじゃのう!」
ノーマン館長はもっとウキウキと声を弾ませていた。
「待たせたな。限定のアップルパイだ」
ことりとテーブルに置かれる。アップルパイにホイップクリームがちいさく飾り付けられている。焼き立てなのか、香ばしい匂いが漂っていた。
「いい匂い……! 美味しそう! ありがとうございます」
「ゆっくり食べてくれよ」
料理長は嬉しそうに見ながら、キッチンの方へと戻っていった。フォークを手に持ち、アップルパイに突き刺す。サクリと音がなって、中に入っていたりんごとクリームが少しだけ飛び出してくる。ドキドキしながらアップルパイを食べてみる。
「ん……!」
「こりゃあ、美味いのう。絶品じゃ」
「焼き立てなのがたまらないね」
美味しくて美味しくて、言葉が出なかった。焼き立てアップルパイはさくさくで甘くて、口の中がすごく幸せな気分になった。
食べてしまうのが勿体無くて、フォークを持つ手が止まってしまう。
「アシェくん?」
「ヴァルドさんにも早く、食べてもらいたいな」
ノーマン館長はホイップクリームと一緒に食べていたアップルパイを、ごくんと飲み込む。
「そうじゃな。今ヴァルドくんとエレナくんの分も作ってくれてるようじゃ。出来たら持って行ってやりなさい」
「はい!」
食堂には香ばしい匂いがふわふわと漂っていた。
ヴァルドさんの分のアップルパイを受け取り、ノーマン館長とルシアン先生とお別れした。ヴァルドさんにコーヒーを用意したくて、部屋でコーヒーを淹れてから、アップルパイをトレイに乗せて執務室へと向かう。廊下にはぼくの足音がぱたぱたと響いていた。ふふ。なんだかメイドさんみたいだ。カッコいいかな。
そう思ったのも束の間。ぼくの両手にはアップルパイとコーヒーの置かれたトレイ。バランスが不安定で、扉をノックすることが出来ない。これじゃメイドさん失格だ。
「どうしよう……」
床に置きたくないし、大きい声で呼んで通信中だったら大変だ。トレイを持ったまま、どうしようかとうろうろしていると、突然執務室のドアが開いた。
「アシェ」
ヴァルドさんだ。困ったように笑いながら手招きをしてくれた。執務室のドアが閉められる。
「ど、どうして分かったの?」
「ドアの外の気配を感じて、アシェだろうかと思ってな。願望も入っていたがな」
「願望……? あ、ヴァルドさん。料理長がアップルパイを作ってくれたんだ。焼き立てなんだよ。コーヒーも用意しました」
「用意してくれたのか。ありがとう。ちょうど区切りがいいところだ。休憩する」
ヴァルドさんはペンを置いて、椅子から立ち上がった。ぐいっと身体を伸ばしている。
「こちらに置いておきます。……メイドさん、みたい?」
来賓用の二人掛けソファーの前にあるテーブルにトレイを置く。ぺこりとお辞儀をしてメイドさんの真似事をしてみる。
「そのメイドさんは、ご主人より先におやつを食べたようだな?」
「わっ」
二人掛けソファーに腰を下ろしたヴァルドさんに、腕を引かれて胸元に引き寄せられる。
「頬に食べかすがついてる。立派なメイドさんにはまだ遠いな」
「あ、うう……」
ヴァルドさんはにこりと笑って頬に手を触れていた。カッコよくなりたかったのに、失敗しちゃった。ぼわりと顔が熱くなる。
「……持って来てくれてありがとうな。アシェも何か飲むといい」
「ぼ、ぼくはヴァルドさんにアップルパイを渡しに来ただけの、メイドさんなので……」
「そうか。次は一緒に食べような」
「はい……」
ヴァルドさんに見つめられて、なんだか恥ずかしい。ぼくはただ小さく返事をすることしかできなかった。
「アップルパイ、美味い。限定メニューなのはなんだか勿体無いな」
ヴァルドさんはすごく美味しかったのか、ぱくりと一気にアップルパイを食べてしまった。
「また食べたいね」
ヴァルドさんはコーヒーを口に含んでこちらをちらりと見る。
「アシェ、コーヒー淹れられるようになったんだな」
ヴァルドさんは嬉しそうにぼくに声をかけた。
「ルシアン先生がたくさん飲むから、淹れ方教えてもらったんだ」
「……ほう」
ヴァルドさんは動きをぴたりと止めて、ソファーで足を組む。どうしたんだろう。ぼくは隣に座るヴァルドさんを見上げる。
「随分仲良しになったんだな。ルシアンと」
「え? ルシアン先生眠気覚ましにコーヒー飲むんだって。ヴァルドさんもいっぱい飲むから、作れるようになったら、ヴァルドさんが喜ぶかなぁって……」
「そうか。……コーヒー美味いよ。また淹れてくれるか」
ヴァルドさんは少し悩むような顔をしていたけど、すぐに微笑んでくれた。
「うん! また持ってくるね」
良かった。上手に淹れられて。コーヒーの匂いがふわりと漂う。ぼくはまだ苦くてコーヒーが飲めないけど、いつかヴァルドさんと一緒に飲めるようになりたいなって思った。
今日はお勉強が終わってから、お昼ご飯をヴァルドさん達と一緒に食べてお腹がいっぱいだ。ヴァルドさんは仕事で討伐の任務や見回りに出ていない日以外は、ぼくと一緒にいつもご飯を食べてくれる。どんなに忙しくても、書類を終わらせて来てくれる。一人でも大丈夫って言いたいけど、本当は一緒に食べたいから言えなかった。一緒に食べるご飯が美味しくて、楽しいから。お昼が終わったら、また自由な時間だ。最近は騎士団庁舎の中を歩き回っている。色々発見があって、楽しいんだ。中庭に視線を向ける。
「あっ」
中庭には小鳥が、誰かが落としたパンを持って行こうとしていた。あんなに近くで小鳥が見れるなんて。なんだか可愛い。近付いたら逃げちゃうだろうから、しゃがんで遠くからじっと見つめる。小鳥は器用にパンを咥えて羽ばたいていった。すると今度は別の小鳥がぼくの側に飛んできた。首を傾げながらぼくのことを見ている。
「バレちゃったのかな」
ポケットから、リオットさんが渡してくれたビスケットの袋を取り出す。『栄養満点でオススメっす!』って渡してくれたんだ。何枚か入っているうちの一枚を取り出す。半分細かく砕いて、地面に置いたら小鳥は器用に啄んでいた。サクリ。残り半分のビスケットを食べてみる。お腹いっぱいで、こんなに幸せで、これ以上ぼくは、どうしたら恩返しが出来るのかなってたくさん考えるんだ。すると小鳥はいくつか啄むとパタパタと飛んでいってしまった。お腹いっぱいになったのかな? ふと気がつく、この匂い。――雨の匂いだ。
「わあ」
ぽつぽつと雨が降ってきたかと思うと、雨足が強くなる。雨宿りに騎士団庁舎に戻ろうとしたが、洗濯物が干されたままだ。走って洗濯物の方へ向かう。騎士団のみんなの服は洗って、掃除、洗濯係の人が干してくれる。急な雨だから係の人はまだ気付いていないのかもしれない。急いで物干し竿に括り付けられた紐を片方外す。もう片方を外しに行こうと身体を翻す。
「わ、ぷ」
ぽすんと胸元に身体が当たる。ヴァルドさんだった。傘を持っているから、雨が当たらなかった。
「執務室から見ていた。今日は突然の雨とはな。洗濯物を取り込んでくれたんだな」
「う、うん……」
中庭は執務室の窓から確かに見える。ヴァルドさんが傘を持ってきてくれるなんて。ヴァルドさんと一緒にもう片方の紐を外す。すると、洗濯係の人が走ってきてくれていた。
「すみません」
「突然の雨は予想出来ないだろう。汚れてないか見ておいてくれ。それとこのタオル一枚使っていいか?」
「はい」
洗濯係の人は、残りの洗濯物を受け取り、作業部屋へと戻っていった。風が吹いて、くしゅん。とくしゃみをしてしまう。
「強い雨だ。風邪をひく」
ヴァルドさんにタオルを肩からかけられて、そのままぎゅっと抱きしめられる。
「歩きにくいよ?」
「……全く。ココアでも飲むぞ」
「お仕事中じゃ……」
「少し休憩だ。アシェの持っているビスケットと一緒にな」
「うん。ビスケット、美味しいんだ。一緒に食べよ?」
ビスケット持っているってなんで分かったんだろう。中庭で食べていたの、見ていたのかな? なんて。でもヴァルドさんと一緒に食べたいから、いっか。って思ったんだ。ぼくはヴァルドさんとぼくたちの部屋へと向かった。
くしゅん。
「アシェ? 大丈夫か?」
さっき洗濯物を取り込もうとして、一瞬だけど雨に打たれてしまった。ヴァルドさんはタオルで身体を拭いてくれた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ。ココア、淹れるね! ヴァルドさんもココア? それともコーヒー?」
「……。ココアにする」
少し悩んで、ぼくの方をじっと見つめてからヴァルドさんはそう答えた。ヴァルドさんに美味しいココアの作り方を以前教わったんだ。魔導コンロの上に鍋を用意する。ミルクとココア、それからハチミツも。
「早くアシェのマグカップを買わないとな。次の休みに見に行こう」
「いつものヴァルドさんの使ってないマグカップで、いいよ?」
戸棚にしまわれたマグカップを二つ取り出す。一つはヴァルドさんがいつも使っている真っ黒のマグカップ。もう一つは以前、とりあえずこれを使ってくれ。と渡してくれた物。なんだって嬉しいんだ。
「いや。買い物の予定を立てたい」
ヴァルドさんはなんだか嬉しそうに、予定表を確認していた。
鍋のココアが沸騰したのを確認してハチミツを垂らす。ゆっくり混ぜ合わせるとココアの出来上がり。二つのマグカップにそれぞれ注ぐ。トレイに乗せて、ヴァルドさんが座ってる二人掛けソファーの前のテーブルに置く。そしてヴァルドさんの隣にぽすりとぼくは座った。
「……今日はメイドさん、やらないのか?」
「や、やらないよ!」
以前のメイドさんの真似っこが、なんだかヴァルドさんは気に入ったみたいで、度々言ってくる。よく考えたらメイドさんは女の人。男の人は執事さんだった。恥ずかしい。
「……ココアです、よ?」
「頂こう」
ココアを少し押し出すと、ヴァルドさんは飲んでくれた。ぼくもココアをこくりと飲む。美味しく出来て良かった。ポケットからビスケットの入った袋を取り出す。
「ビスケット、リオットさんに貰ったんだ。はい、どうぞ」
「そうだったのか。ありがとう」
二人でサクリとビスケットを齧る。甘いココアとビスケットが、とても合う気がした。
「書類仕事は億劫だが、アシェとこうやって休憩出来るなら、いいものだ」
「……えへへ。ココアもコーヒーもいつでも作るよ」
役に立っているみたいで嬉しい。ココアをもう一口飲む。
「まあ……それも助かるな」
ヴァルドさんはこちらを見て、苦笑していた。その後ぼくはなぜだかヴァルドさんに、肩をぎゅっと抱きしめられていた。
カーテンの隙間から溢れる朝の光で目が覚める。今日も隣で眠るアシェの様子を眺めようと思ったが、アシェは近くにいなかった。昔はオレより早く起きて、掃除や洗濯をやろうとしていたが、まだ寝てていいと無理矢理寝かせていた。最近はオレより遅く起きることが多くなったはずだが。トイレにでも行ったのだろうか。遠くから物音がする。
「アシェ?」
「……ヴァルドさん。おはようございます」
アシェは箒を持って、笑顔で微笑んでいた。心なしか目がとろんとしている。
「……どうしたんだ? まだ寝てていい」
「ううん。お掃除するの」
時計はまだ朝の五時をさしている。そんなに早くアシェにしてもらう仕事はない。むしろ、成長のためにもっと眠っていて欲しいくらいだ。
「アシェ。今日は図書館で勉強する日だろう。掃除なんてしなくていい。たまにやってくれてるだけで、充分だ」
「ううん」
今日はやけに強情だな。箒でゴミを掃くのを止める様子はない。ベッドから出てアシェの方へと向かう。
「アシェ」
「い、やだ」
腕を掴もうとするが、首を振り近寄ろうとはしない。顔が真っ赤だ。もしかして――
「あっ!」
強引に頭を掴み、顔を寄せる。アシェのおでこに自身の額を当てる。
「……熱がある。混乱しているのか?」
「大丈……、は、わっ!」
アシェを抱え上げてベッドまで連れて行く。身体が熱い。かなり熱がありそうだ。まだ確実に寝ているだろうが、ルシアンに診てもらおう。
「そ、掃除できるよ。ご飯も作れる……」
「アシェ。ここはオレの部屋だ。以前いたところではない。熱でも働かされていたのか……」
アシェはぼんやりとオレの目を見つめる。あの義母達だ。アシェの体調なんて、構いはしなかっただろう。思わず拳を握る。
「ここでは熱で働かせるようなやつはいない。アシェは今日、ゆっくり休め。わかったか?」
「ヴァルドさん……。お勉強は……」
「元気になったら再開すればいい。今日はいい子で眠れるか?」
「……はい」
ベッドに寝かせて布団を肩までかける。熱で頭が混乱してしまったのだろうか。
「薬と……お粥を作ってもらおう」
「……うん……」
オレの手を頬に当てると、アシェはすりすりと顔を預けてきた。
「ここでは安心して眠ってくれ」
アシェは安心したのか、目を瞑り小さく寝息を立て始めた。過去の記憶はそう簡単には消えないだろう。この生活がアシェにとって、幸せだと思える記憶になってもらえればいい。これからもずっと。――傲慢だがな。そのくらい、アシェがいる生活がもう当たり前になっている。ここに居る皆がきっとそうだろう。魔導通信でルシアンに連絡をする。やはり眠っていたのだろうルシアンは、寝ぼけた声で『時間外労働だよ……』と呟いていた。
ぱちり。目が覚める。ふわふわのベッドの上だ。いつもの高い天井。時計の針は――
「あ、あれ、え……っ」
がばりと起きあがろうとしたが、頭がふらつき重くて持ち上がらない。少し浮かんだ頭は、柔らかい枕の上に重力によって引き戻される。時計の針は起きる時間をとっくに過ぎてしまっていた。
「アシェ! 目が覚めたか」
「ヴァルドさん……?」
いつもなら執務室でお仕事している時間だ。それなのに部屋にいる。よくみたら書類が山積み。もしかして、書類をこっちに持ってきて、お仕事してくれているの?
「ルシアンに診てもらったが、風邪の症状が出ているらしい。ゆっくり休めば良くなるとのことだ。良かったよ」
ルシアン先生。いつのまにか来てくれたんだ。ベッドの脇のテーブルには、薬がいくつか置かれていた。ヴァルドさんは書類を書く手を止めて、ぼくの方へやってくる。
「そこの薬を飲ませるように頼まれている。それから飯を食おう。まだ何も食べられてないからな」
ぼんやりする頭で返事をする。ヴァルドさん、忙しいのにぼくなんかのために。ぼくもちゃんと動かないと。早く治して、役に立たないと。
「食堂でごはんもらってくる……」
ベッドから降りようとすると、ヴァルドさんは慌ててぼくの身体を抑えて止めていた。
「フラフラの身体で歩かなくていい。全く。……お粥を作ってもらってある」
ヴァルドさんは小さな鍋を持ってきたかと思うと、ベッドに腰を下ろした。
「身体を起こせるか?」
ヴァルドさんが支えてくれて、ぼくはゆっくり身体を起こす。目の前にはトレイが置かれて、その上には小さな鍋が置いてある。ヴァルドさんが蓋を開けてくれる。ふわり。と湯気が漂い、温かさと美味しそうな匂い。黄色いつやつやのたまごがなんだか眩しい。
「たまご、のおかゆだあ……」
「料理長にアシェの食べやすい物を作ってもらった。熱いから、気を付けて食えよ」
ヴァルドさんはお粥を一口掬い、少し冷ました後にぼくの口元へと運んでくれる。
「口を開けてくれ」
「ぼく、一人で食べられ……んう」
お粥はゆっくり口の中に入れられた。こくりと飲み込む。
熱があること、分かってた。でも、そんなことはお義母さんには関係ない。早く起きてレオン義兄さんのご飯を作らないと、掃除をしないと、怒られる。機嫌が悪くなったら、ぼくはご飯を食べられなくなる。だから熱でも必死に動かないといけないんだって思ってた。でもここはヴァルドさんの部屋。一緒に暮らす場所。熱があっても、寝てていいって言ってくれて――
「アシェは泣き虫だな」
ぼろりぼろりと涙が出る。
「お粥美味しい。ヴァルドさん、ありがと……」
「作ってくれたのは料理長だがな。こうやって食べさせられるのは、オレの特権だ」
「特権……? あ、む」
ヴァルドさんが食べさせてくれた初めて食べたお粥は、本当に美味しかった。
いつもはなかなか治らない風邪も、すぐに治っちゃうだろうなって。そう思ったんだ。
「アシェくん、大丈夫かい?」
部屋のノック音が聞こえたので扉を開ける。ルシアンだ。
「あぁ。薬も飲ませた。今は寝ている」
「治癒魔法でも治せるけど、まだ幼いうちは身体の抵抗力をつけておいた方がいい。少し診るよ」
「頼む」
ルシアンはベッドに眠るアシェの様子を確認し、夜の分の薬をオレに渡した。
「夜の分の薬を届けにわざわざ来てくれるなんて、すまないな」
「渡し忘れてたから。念の為見に来ただけだよ」
面倒くさがりのルシアンがまた来てくれるだなんてな。仕事熱心で何よりだ。こういう時は頼りになる男だ。
「あと、元気になったら医務室の掃除を手伝ってもらいたいからね」
「……自分でやれ」
前言撤回。日頃から片付けろと言っていたんだがな。オレは小さくため息をつくのだった。
「アシェくん。大丈夫っすか!?」
扉を開くと、入って来たのは騒がしい男、リオットだ。
「今日はお昼一緒に食べられる日だったのに、アシェくんがいないと思ったら風邪だなんて。料理長から色々受け取ってきたっすよ」
「ん、リオットさん……?」
リオットの声でアシェの目が覚めたようだ。オレはペンを置き、アシェの方へと向かった。
「風邪にはフルーツがいいらしいっすよ! あの村でもらったりんごはもうなくなっちゃったけど、このりんごも美味しいっすよ」
「あ、ありがとう。嬉しい」
アシェはゆっくり上半身を起こして、りんごを受け取る。
「眠ってるアシェを起こすな……。しかしフルーツはありがたい。礼を言う」
「いいんですよ。ヴァルドさん!」
なにやら上機嫌なリオットだ。りんごの入った籠をサイドテーブルへと置く。
「ではこのあと見回りなので失礼するっす!」
「見回り、頑張ってね。リオットさん」
リオットはアシェに手を振り、部屋を後にした。アシェはりんごを手に取り微笑んでいる。
「りんご、もらっちゃった。えへへ……」
「皮を剥いてやる。まだ寝てろ」
「……うん」
アシェの持っているりんごを受け取る。少し手が触れる。もう一度触ると、手に熱が籠っていた。アシェにきゅっと手を握られる。
「ヴァルドさんの手、ひんやりしてて気持ち良いな」
「アシェの手が熱いんだ。これを食ったら薬を飲もう。すぐ良くなる」
名残惜しいが手を離す。弱っているアシェより、元気に笑っているアシェが見たい。そう思った。
「……ごめんなさい。ヴァルドさん」
「何がだ」
「お仕事邪魔して、ごめんなさい。役に立たなくて……」
アシェはぽつりぽつりと呟いた。誰もそんなことは思っていない。しかし今までの境遇から、そう考えざるを得ないんだろうな。
「……次の休み、オレに付き合ってもらう。マグカップを買いに行こう。だから、早く治すんだぞ」
アシェはベッドの上からぼんやりと頷き、こちらを見つめていた。
目が覚める。真っ暗。今何時? だんだんと頭が覚醒してくる。時計は――三時。いつの三時? あれ? 外も真っ暗。太陽はないから朝の三時? ベッドから身体を起き上がらせようとしたら、今度は物理的に身体が動かない。――ぼくはヴァルドさんにぎゅっと抱えられていた。抱き枕にするみたいに。
「あっ、ヴァルドさん……!?」
「ん……? すまんな。また勝手に掃除するなどと言われたら堪らないからな」
そんなこと……言った気がする。頭が混乱して、そうしないとって思ったんだ。
「熱は下がったのか?」
頭に額を押し当てられる。とっても距離が近いよう。また熱が上がってしまいそう。
「薬が効いたようだな。良かった」
「うん……。こんなにすぐ良くなるの、初めて」
「ルシアンの薬はよく効くからな。まだ寝ていろ」
「ん……」
薬もだけどきっと、ヴァルドさんがいてくれるからだ。ヴァルドさん、ずっとずっとだいすき。――なんてね。熱が出て、変になっちゃったのかな。
「ありがとう、ヴァルドさん……一緒にいてくれて」
「いいんだ」
ぼくは目を瞑る。額に何か、当たったような気がした。もうきっと、いつもみたいに元気になれそう。また起きるのが楽しみだなんて、ヴァルドさんのおかげだ。ヴァルドさんにもっと気持ちを伝えたかったけど、眠くなってそのまま意識が遠くへといってしまった。
そして今度は六時に目が覚めて、また抱き枕みたいにぎゅってされていることに、ぼくは再び驚くことになるのだった。
「アシェ、これはどうだ?」
「え、えっと……」
今日は非番だ。アシェの風邪もすっかり良くなったので、約束通り近くの街へ買い物に来ていた。以前から購入したいと思っていた、アシェ専用のマグカップを買うためだ。この店は様々な食器が並べられ、珍しいデザインの物も置かれている。店内は楽しそうに商品を見ている客で、賑わっていた。アシェにマグカップを手に取らせると、じっとマグカップを見つめていた。
「どうした?」
アシェはパッと顔を上げてこちらを見上げる。
「今日、ヴァルドさんのも一緒に買ってもいい? ぼくのセリカ、使いたいんだ。この間コーヒー飲んだ時、少し欠けちゃってたよね?」
まだ少ないアシェの給料……もとい、小遣い。使わせてやるべきだろうか。ノーマン館長の言葉を思い出す。『アシェくんにはお金の使い方もきちんと、学ばせてあげるべきじゃ。上手に使えない子になってしまうからのう』そう言いつつ、ノーマン館長どころかリオットたちまで、アシェにいくつもの文具や本をプレゼントしていたようだが。全く。
「分かった。オレのも頼む」
アシェは元気良く返事をして、棚のマグカップに顔を向けていた。今日はオレが買って渡すつもりできたのだが、アシェからのプレゼントだと聞いて、欲しくなってしまうだなんてな。
アシェは本当に元気で明るくなった。まだまだ泣き虫なところはあるが、騎士団の皆とも仲良くやれているし、毎日楽しそうだ。オレ自身、帰るとアシェがいることが何よりも楽しみになっていた。
「買ってくる! あのね、かっこいいのがあったんだ」
「分かった」
かっこいいものか。アシェの選んだ物ならなんだって使う。アシェは大事そうにマグカップの入った箱を持ち、販売員に渡していた。店内も混雑してきた。先に外に出て待っているか。
振り返ろうとすると、近くに居た女性とぶつかってしまう。
「きゃっ」
「……! すまない」
軽くぶつかった拍子に女性は尻もちをついてしまっていた。周囲に気を配っていなかったオレのミスだ。仕方なく、手を差し伸べる。
「ありがとう、ございます……」
「いや」
突然尻もちをついた女性は、店内でもかなり目立つだろう。何事か、と周囲の視線が向けられた。女性にじっと見つめられて、心がざわつく。反射的にあの目と関わりたくはないと思い、女性が立ち上がったのを確認して、足早に店を出る。
「あ、ちょっと待って。お名前を……もう!」
女性は他の男性に心配そうに声を掛けられていたが、一目見てから顔を背けていたようだった。店の外でふうと息を吐く。するとカランという音と共に、出て来たのは小さな少年、アシェだった。
「ヴァルドさん、買って来たよ! あのね! ……どうしたの?」
「いや」
アシェがこちらをじっと見つめる。アシェに見つめられるのは構わないが、今はなんとなく見られたくはなかった。もう昔の話だ。今はもう常にアシェが隣にいて、楽しく忙しない日々を過ごしている。ずっと封印し、忘れていたことだ。
「大丈夫だ。すまないな。少し休むか。ココアでも飲むか?」
「ココア……! ココア、ぼく好き」
えへへ。と笑顔で近くのベンチにアシェは向かった。アシェを見ていると心が洗われる。
――どうでもいいことなど、忘れられるくらいに。
「アシェ。ココアだ」
「あ、ありがとう」
ヴァルドさんにココアを渡されて人通りが少ない、ベンチに腰を下ろす。ココアからはふわりと湯気が漂い甘い匂いが心地良い。でもヴァルドさんの様子が少しだけおかしい。ちらりとヴァルドさんの方を見る。無言でコーヒーを飲んでいるようだった。何かあったのかな。
尻もちをついていた女の人は見えた。でもヴァルドさんが出て行った後、店内を普通に歩き回っていたみたいだったけど……。
「ヴァルドさん。どうしたの?」
「いや……少し嫌なことを思い出してな。彼女は何も悪くないんだがな」
ヴァルドさんはベンチに座って、遠くを見つめていた。
「嫌なこと……?」
聞いていいのか分からなかった。でも自然と口から言葉を発していた。
「昔……アシェより小さかった頃。女性に関わることで――嫌なことがあってな。それ以来、女性が少し苦手なんだ」
騎士団庁舎には女の人がほとんどいないから、分からなかった。ヴァルドさんはそんな気持ちをずっと抱えていたなんて。
「アシェはよくオレのことを〝カッコいい騎士様〟と言ってくれるが、そんな大層なものではない。いつまでも過去に囚われているんだ」
少し冷たい風が吹く。ココアの入ったカップを握りしめる。
「……ヴァルドさんは過去に囚われていても、全部含めて〝カッコいい騎士様〟だよ!」
ヴァルドさんの服をぎゅっと握る。
「商業都市メルセバで、魔物討伐してたのカッコよかった! あとね、一緒にご飯食べてくれるのも嬉しい。お話しをしてくれるのが嬉しいんだ。一緒に眠ってくれることも。優しく声をかけてくれるのも……」
「アシェ……?」
ヴァルドさんはこちらを見つめている。
「みんな苦手なものも、怖いものもある! ヴァルドさんにだって。だから女の人が苦手ならぼくに言って! いつでもヴァルドさんのこと、護るから!」
手をいっぱいに広げる。もっと大きくなったら、もっともっとヴァルドさんのことを護ることができる。きっとそうだ。ヴァルドさんはぽかんとぼくの顔を見てから、くすりと笑った。
「頼もしいな」
「なんで、笑うの?」
「いや。でも今は――アシェ。お前のおかげでオレは救われている。そう気付いたんだ」
「そう、なの?」
まだ何も出来てないのに、どうしてだろう。救われたのはぼくの方だ。ヴァルドさんが優しくしてくれなかったら、ちゃんと話を聞いてくれなかったら。ぼくはあの日で、命が尽きていたかもしれない。
「これからはヴァルドさんが嫌なことはぼくがやる。だから言ってね! そうしたらきっと、大丈夫だよ。えへへ」
「ありがとうな。アシェ」
「わわっ」
ヴァルドさんにぎゅうっと抱きしめられる。人は通ってないとはいえ、外。ちょっとだけなんだかいけないことをしているみたいで、ドキドキする。
「もう大丈夫だ。アシェがいるからな」
「うん! ヴァルドさんと、一緒にいる。ヴァルドさんのこと、護るからね」
ヴァルドさんの服の袖をまたぎゅっと握った。抱きしめられてると、暖かくて身体がぽかぽかするんだ。こんな気持ち初めてだ。
「……五年経ったら――」
「え?」
ぽつりとヴァルドさんは呟いた。なんて言ったんだろう。顔を上げる。
「……いや。そろそろ帰るか」
「うん!」
ヴァルドさんはぼくの方を見て、笑顔を取り戻していた。
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