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第7話

「はい。ヴァルドさん。マグカップだよ」 小さな箱を開けると入っていたのは、アシェの選んでくれたマグカップ。それはアシェの物と色違いでお揃いのものだった。取っ手の部分がハートになっている。まるで夫婦や、カップルが使うようなものだ。 「アシェの言っていたカッコいいマグカップって……」 「ぼく、これがカッコいいなって思ったんだ!」 お揃いとは予想していなかったな。思わず微笑んでしまう。 「持つところが他のと違うから、カッコいいなって。これ、嫌だった……?」 「ありがとう。大切に使う」 嫌なわけはない。少し、恥ずかしいと思ってしまうのはまだまだ未熟だからだろうか。 割れないように、大事に使わないとな。 「良かったあ。コーヒー、飲みますか?」 「頼む」 「うん!」 ぱたぱたとマグカップを持って、簡易キッチンに向かうアシェを見守る。アシェといると本当に心が洗われる。これほどまでに愛おしいと思うなんてな。お湯の準備が出来たようで、アシェの元へ向かう。 「座ってて大丈夫だよ?」 「あぁ。〝メイドさん〟の仕事だったか」 「め、メイドさんは、もうやらない……。執事さん、だよ」 アシェはぼわりと頬を赤く染めた。また見たいんだがな。 「アシェもコーヒーでいいのか?」 「ぼくもヴァルドさんと同じの、飲んでみるんだ」 コーヒーが注ぎ終わり、テーブルの上にお揃いのマグカップが置かれた。コーヒーの匂いがふわりと漂ってくる。オレも、そしてアシェもブラックコーヒーのようだ。 「無理するなよ」 アシェはコーヒーをふーふーと冷まし、一口。 「あ、うう……。に、苦い……っ!」 アシェは口を押さえている。砂糖やミルクを淹れるように言おうと思ったが、アシェの反応を見てみたかった。意地悪だっただろうか。 「ブラックはまだ早いだろう。アシェはまだまだ子供だな」 砂糖とミルクをアシェに渡す。以前、彼のために用意したものだ。 「うう……。ありがとう。一緒の、飲みたかったなあ」 アシェは砂糖とミルクを受け取り、コーヒーに混ぜている。しかしまだ、飲めないだろうな。 「……でもきっと飲める様になるね。ご、五年後くらいに」 五年後。アシェは十五歳だ。その歳に彼は、成人を迎える。 「……そうだな。楽しみに、待ってる」 「うん!」 アシェはぐいっと飲み干そうとしていたが、やはりまだ苦いようで口を押さえていた。思わず頬が緩んでしまう。この先もこういう穏やかな時間が続けばいい。しかし―― 「五年は長いな……」 「え、え?」 アシェはマグカップを持って、オロオロとこちらを見ていた。五年間、彼に手を出さずにいられるだろうか。――なんてな。 「アシェくんの義母と義兄が、追放先の更生施設でまた騒ぎを起こしたって聞いたんですけど、本当っすか?」 「あぁ。更生施設でも大人しくしていなかったようだ」 アシェがいたことで抑えられていた義母と義兄の怒りの矛先が、今度は周囲へ向いてしまったようだむしろ、アシェがいたおかげで、周囲への被害は最小限に抑えられたとも言える。 「今は義兄の魔力は制限をつけさせ、義母は施設での監視で、行動を制限させるように指示を出してある」 書類をめくりながら、心の奥で安堵する。アシェがこのことを知らなくて良かった。関わっていたら、また自分を責めていたに違いない。書類には、さらに胸がざわつく記述があった。義母が何度も何度も怒り狂ったように『アシェ』と名前を呼んでいたこと。『私は何も悪くない』とも―― 「だか辺境の労働施設には屈強な作業者が多い。義母らが騒いでも、上手く扱っているようだ。大したものだ」 「さすがっす……。それにもうアシェくんには二度と彼等と会わせたくないっすね」 「あぁ」 アシェにはもう彼等と会わせるべきではない。辛い傷をまた、思い出すだけだ。 リオットが書類を置き、部屋を出ていくと、執務室に再び静けさが訪れる。仕事を進めていると、執務室にノックの音が響く。 「ヴァルドさん。お昼の時間だよ」 いつのまにか昼食の時間になっていたようだ。勉強帰りであろう、書物を持ったままのアシェだ。外出先で帰れない時以外はアシェと共に食べる約束をしている。その方が飯も美味い。 「今行く。少し待ってくれ」 「はあい」 執務室に入り、二人掛けのソファーに座って待っている。アシェはオレを待つ時はここによく座っている。 「あのね。今日ノーマン館長に褒めてもらったんだ。それでエレナさんにもクッキーもらった。ご褒美って! でもね、ノーマン館長が教えてくれたから半分こしたんだ。そしたら明日また作ってくるってエレナさんが言っててね。えへへ」 「楽しいか? 勉強」 きょとりとオレの顔を見上げる。するとアシェは目を輝かせた。 「楽しいよ! いっぱいわかるの、楽しい!」 「良かった」 「わ、あ。もう、ヴァルドさん」 二人掛けのソファーに腰を下ろし、アシェを引き寄せる。彼もそうなることがわかっていたのだろう。抵抗することなく身を委ねる。その手はオレの手を優しく握っている。 「ヴァルドさんにぎゅってされるの好き。心の中がほわってするんだ」 「いつでもしてやる」 「お昼ご飯の時間がなくなっちゃうよ。ふふ」 アシェはそう言いつつも手を握って離さなかった。義母たちのことを早く忘れさせてやりたい。しかしすぐに傷は癒えないだろう。アシェは少しずつ前に進んでいる。オレの側で見守ってやりたい。これからも。 「アシェ」 「なあに?」 「一緒にいような」 「……! うん! ずっと一緒にいる!」 ――アシェとずっと一緒にいてやりたい。再び、心の中でそう願うのだった。 「ルシアン先生。この書類はこっちで大丈夫ですか?」 「あぁ。ありがとう」 今日はお勉強が終わって、午後からルシアン先生の医務室の片付けを手伝っていた。医務室の机に大量にあった書類は、少しずつ片付けられている。掃除は得意だ。書類の整理が終わったので、雑巾を絞って窓拭きに取り掛かる。するとルシアン先生に服の袖を掴まれる。 「その辺で休憩にしようか」 「分かりました」 「アシェ。居るか」 するとガラリと医務室の扉が開く。ヴァルドさんだ。ルシアン先生はなんだか眉を下げて苦笑いしていた。 「執務室に来てくれないか」 くるりと翻して、ヴァルドさんは執務室へと向かっていった。どうしたんだろう。いつもは一緒に行ってくれるのに。 「行っておいで。こっちはもう大丈夫だから」 返事をしてから雑巾を置いて、執務室へと向かった。廊下にヴァルドさんの姿はもう見えなくなっていた。ここに来て数ヶ月。なんだか騎士団庁舎がもう、ぼくの居場所のようになっていた。これからもそうだったらいいな。ずっとここにいたい。役に、立つから。 執務室に入る前にノックをする。数回ノックすると、ヴァルドさんから入れ。と声が聞こえる。ドアの向こうから聞こえる鋭い声。恐る恐る扉を開けると、部屋の奥の大きな机の前に――ヴァルド・ノイシュタット騎士団長が座っていた。あの時と、同じように。 「アシェ」 ぼくのことをじっと見つめるヴァルドさん。でも逆光で表情はよく見えない。 「――最初は責任感からだった。徽章を盗まれたのは俺の責任でもあるからな。アシェのような子を放っておけなかったんだ」 あの日のことだ。ぼくはこくりと頷く。あの日、ぼくはレオン義兄さんの身代わりに殺してもらって罪を償って終わりにしてもらおうって。そう思ってた。でも―― 「ありがとう。ヴァルドさん。一緒に居てくれて」 ぼくは幸せな時間をいっぱいいっぱいもらった。生きてていいって言ってもらえた。今までにないくらい幸運なことだ。だからもう、何を言われても怖くない。 「……まだアシェは十歳。成人年齢には程遠い。――こんな形でアシェを繋ぎ止めていいのか分からない。でもアシェに、これを持っていて欲しいんだ」 ヴァルドさんは片膝をついてぼくの左腕を取る。ヴァルドさんの大きな手がぼくの手首を包み込んだ。左手首に嵌められたそれは、シルバーでできたブレスレットだ。真っ赤な魔石が埋め込まれている。 「この魔石のついたブレスレット、聞いたことあるか?」 本で読んだことがある。〝ずっと一緒にいる〟という誓いのために、自分の魔力のこもった石を渡すって―― 「ヴァルドさん、ぼくと、ずっと一緒にいてくれるの……? いいの……?」 「あぁ」 ヴァルドさんはぼくのことをじっと見つめる。 「これからもオレの側でずっと、支えてくれないか?」 ヴァルドさんの側でずっと。ぼくはヴァルドさんの顔を見る。逆光で見えなかった表情は今ならしっかりと見える。何故だか不安そうな表情。ヴァルドさんはとっても優しい人だ。 ぼくのことをいっぱい考えてくれていたのかもしれない。 「ずっと支える。ずっとヴァルドさんの側にいるよ。こんなかっこいいもの、ぼくには似合わないよ。何にももらえなくていいから、ぼくをヴァルドさんの側に居させてください」 ぼくの方こそお願いしたいんだ。ヴァルドさんをずっと支えていきたい。ぼくだってヴァルドさんのこと護りたいんだもの。それに優しくしてくれた第三騎士団の人たちみんなにも、恩返ししなくちゃなんだ。 「……全く。そこはもらっておいてくれ」 ヴァルドさんにそのままぎゅっと抱きしめられる。ヴァルドさんから抱きしめられるの、大好き。ぼくもヴァルドさんの背中に手を回して、服をぎゅっと握った。 「ぼく、魔石作れないのに、ずるいよ。ぼくも渡したいのに」 「いつまでも待ってやる。楽しみだな。その日が来るのが」 ぼくとヴァルドさんは顔を見合わせてくすりと笑った。 「この魔石にはオレの魔力が込められている。アシェが迷子になってもすぐ探せるからな」 「また魔物騒動に巻き込まれても大丈夫だね」 「もうあんなことはごめんだがな……」 ヴァルドさんはあの時のことを思い出して苦笑していた。ぼくの左手首にはシルバーのブレスレットが太陽に当たって、きらりと光り輝いていた。 「おや。もう今日の課題が終わったようじゃな」 今日はアシェくんに勉強を教える日。気付けばわしの中で、日々の楽しみにもなっていた。魔法学院で子供達に教えていた頃が思い出される。アシェくんも幼い頃から通えていたら、きっと立派に魔法が使えるようになっていただろう。まあ無理に魔法を引き出す必要もない。 それに彼には身の回りの勉強を先に教えてやるべきじゃろう。そうして彼へ教える勉学は今日で最終ページを迎えた。しかしまだまだ教えることはある。そう。二冊目に突入するのじゃからな。 「次は新しい書物を取り寄せよう。また勉強頑張るのじゃぞ。アシェくん」 アシェくんは、はい! と元気良く返事をする。彼はたくさん書き込まれたノートをぱらりと捲り、眺めている。アシェくんをこちらで引き取れて、教育することが出来て良かった。可愛くて仕方がないので、わしの孫にしたいところだが、先約がいるからのう。 「ノーマン館長。あの、使い終わった本はもらってもいい?」 「もちろんじゃ。これはアシェくんの物じゃからな」 アシェくんに彼の本とノートを手渡す。その本の表紙は、指先の跡で少しくたびれていた。 「アシェくん、ノーマン館長お疲れ様。クッキー食べます? 焼いてきました」 「もちろん食べるぞ、エレナくん」 事務所からエレナくんが顔を出す。クッキー。食べるに決まっているではないか。アシェくんと一緒に、エレナくんがいる事務所へと向かった。もうすでに中には紅茶のカップが用意されていた。真ん中には色とりどりのクッキーが置いてあるようだ。 「相変わらず美味しそうじゃ」 「今紅茶入れますから座っていて下さい」 エレナくんは事務所の隅にある魔導コンロでお湯を沸かしていた。すると図書館の受付の方から声が聞こえていた。どうやら誰か返却しにきたようだ。 「ぼく、見てきます」 「アシェくん。すまんのう」 眼鏡をかけて向かおうとしたが、アシェくんが先に動き出し受付へと向かってくれていた。 以前受付のやり方を教えたからだろう。 「やはりわしの孫にしようか……」 「ノーマン館長何かおっしゃいました?」 首を振る。ただの老人の戯言だ。――でもまだしばらくは、面倒見ていても構わないだろうか。 「よう。アシェくん。先日借りた本返しにきたんだ。返却頼めるか?」 元気な返事とともに出てきたのはいつもの女性司書――ではなく、アシェくんだった。そういえば司書の仕事も手伝っていると言っていたな。こんなにちっこいのに、よく頑張っているものだ。アシェくんに手を差し出されて、借りていた本を三冊手渡す。武器や素材の資料だ。ちゃんと期限内に返却しないと、女性司書にうるさく言われるからな。 「終わりました。また借りに来てください」 アシェくんは返却作業を終えたらしい。印刷物を確認し、こちらを振り向く。 「ありがとうな。アシェくん、新しいボードゲームを作ってみた。また後で来てくれよ」 最近は余った素材でアシェくんにおもちゃを作ってやるのがマイブームである。元々作ってみたかったんだが、遊ばせる相手もいなかったからな。騎士団連中に試作品のお子様パズルを渡しても仕方がない。 そういえば以前作ったリバーシが、予想外に流行っているらしい。食堂でよく遊んでいる連中がいるとのことだ。その後、新しいパズルなんかを作って渡してみたが、アシェくんは大喜び。ヴァルドさんと一緒に完成させたんだ。と口元を綻ばせながら言っていた。 「ボードゲームやりたい! ヴァルドさんと行っても良い?」 「もちろんだとも。ヴァルドさんをまた負かしてやるよ」 アシェくんはふふっと笑っている。ヴァルドさんは昔からボードゲームをしてこなかったらしいが、徐々に実力をつけているのが恐ろしいところだ。用事は済んだので図書館を出る。 アシェくんに手を振られて、軽く振り返した。思わず頬が緩んでしまう。こんな気持ちは久しぶりだ。 ザナックさんは手を振って図書館を出て行った。用事が済んだら、ザナックさんの元へ向かおうっと。すると事務所から呼ばれたのでそちらへ戻る。事務所の扉を開けると紅茶の甘い匂いが漂う。テーブルには紅茶とクッキーが綺麗に並べられて用意されていた。 「わあ。クッキー美味しそう」 「アシェくん受付ありがとうね。たくさん食べてね」 「はあい!」 さくり。とクッキーを頬張る。甘くてサクサクで美味しい。ふと横を見ると、ノーマン館長はもう自分の分を食べ終えていた。ノーマン館長は甘いものが大好きなんだ。 「ノーマン館長。ゆっくり食べてくださいよ!」 「いつも美味しいから止まらなくてのう……」 ノーマン館長はふさふさのお髭についてしまったクッキーを急いで払って苦笑していた。みんなで一緒に食べるクッキーと紅茶。とっても幸せな気分になれるんだ。 「――あったあった。この書類だ」 「しっかりして下さいっすよ!」 必要な書類をルシアンさんから受け取りに来たら、思いの外時間を食ってしまった。アシェくんが来てから片付くことがあるものの、すぐ散らかってしまう。困ったものである。すると医務室の扉がガラリと開く。小さい身体が視界に入る。アシェくんだ。 「ルシアン先生! ノーマン館長からこの本を渡すように言われました」 「おや、アシェくん。ありがとう。ノーマン館長見つけてくれたんだね」 ルシアンさんはアシェくんから本を受け取った。治癒魔法関連の本のようだ。 「とりあえずこの書類は預かるっす! 今後気をつけて下さいよ」 「悪かったって言っているだろう」 残念ながら謝罪は一言も聞いてはいない。 「……そうだアシェくん、ちょうどいいところに! これ」 アシェくんにも用事があったことを思い出す。騎士団庁舎にアシェくん宛の郵便物が届いていたのだ。アシェくんに渡すように言われたのだ。アシェくんにその手紙を渡す。少し触れただけでもわかる上質な紙に、封には蝋で押された紋章まで。あの紋章は確か―― 「あれ? シリルからお手紙だ!」 「シリル?」 「うん。シリル・アルベール。商業都市メルセバで友達になったんだ!」 アシェくんはいつのまにかすごい人と友達になったようだ。魔石の発掘から加工、販売まで手掛ける一大財閥――アルベール家。……一体何が書いてあるのやら。 「ありがとう。リオットさん」 「自分は届けただけっすよ。良かったっすね!」 アシェくんはこくりと笑顔で頷いた。本当にアシェくんは笑顔が増えた。最初に会った頃はあんなに怯えていたのに、今はすっかり立派な第三騎士団の一員だ。そしてヴァルドさんにも変化が起きた。いつもしかめ面だった彼はアシェくんを見て微笑むことが多い。まあそれを伝えると睨まれてしまうけれど。ヴァルドさんのためにも、騎士団員のためにもアシェくんにはここにずっといて欲しい。そしてルシアンさんのためにも。……医務室がなかなか片付かないからだ。将来騎士になるのか。それとも魔法が開花するのか。楽しみだが、アシェくんには好きな道を行ってもらいたい。 「後輩騎士も悪くないっすけどね~」 「何をぶつぶつ言っているんだい。君は……」 気がつくとアシェくんは医務室から出て行ってしまっていた。そういえば執務室に向かうと行っていたな。自分も用事は済んだし、退散するとしますか。

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