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其の陸

昼の陽気に照らされほんのり暖かい縁側は微睡みに誘う物の怪のように螢夜を誘惑した。 「何か羽織らねば、風邪を引く」 遠のく意識の中、柔らかな声が体を包んだ。 「の、きぁ…」 「螢夜?起きていたのか?」 「狐…?」 「寝ぼけているな」 くすくすくす、木の葉が笑うような軽い音が耳に伝わって。 そうなのであろうか。 確かに今が夢か現かはっきりしない。すらりと伸びた大きな三角耳が今日に限って隠れていないのだから… 「おじ、薪割り終わった」 「おお、頑張ったな 螢夜」 しわくちゃで分厚いおじの手が螢夜の頭を強くしかし優しく撫でた。 螢夜に父と母はいない。いるのはおじだけで。 どうしてここにいるのか聞いたことはないし疑問に感じたこともない。 二人でいるのが当たり前だった。 そんなある日、異様に冷える夜明けだった。 いつもならばおじが朝ご飯の支度をする音で目が覚めるのだが、その日は静かに目が覚めた。 「おじ?いないの?」 出かけると言う話は聞いていない。 だけれども、お勝手におじの姿はなくて、あちこち探してやっと見つけた。 布団の中で冷たくなったおじを…… 知り合いのおばあさんに手伝ってもらい、おじはその日のうちに焼かれた。 墓はなく、慣れた山の頂上近くに穴を掘った。 「しっかりするんだよ」 「はい」 気づけば日は沈み、残り火にようやっと明るさを作る空。 真っ暗な夜は間近だった。 縁側に座り込み、雲の少ない秋空に昇る細い三日月をぼんやり眺めた。 ぽたり、ぽたり、勝手に目からは雫が流れ、主を無くし、しん…と静かな屋敷は今にも襲いかかってこんとばかりに深い暗闇を作り出していた。 ぱたり、力なく横たわり目を瞑るも、ぽたりぽたりと水は流れ続け米神を髪を濡らしていく。 「何か羽織らねば、風邪を引くぞ」 冷たい夜風を遮ってぱさりと体を何かが覆った。 「ん、……」 目を開くと涙の膜が見るもの全てを歪めた。 嗚呼、どうして… 昨日まであんなに元気だったじゃないか… ――‥昨日? 昨日は確か酒屋に行き、皆で山菜採りに行ったじゃないか。 ――‥皆? 「の、きぁ…」 「……ん?今度こそ起きたか?」 嗚呼、桃色がいる。 固いが温かい膝枕にぼんやり見上げていると、悪い夢でも見たか?長い爪が当たらないよう曲げられた指が目元に触れた。 「おじの夢を、見た気がする……」 「……そうか」 「おじに、逢いたい……」 目を瞑ると端から雫が流れ米神を伝う。 だがそれは、拭われることなく髪の中に消えていった。 「頑張ったな 螢夜」 「!」 驚いて目を見開くと矢張り桃色がいるのだが、一瞬、本の一瞬だけおじの声を聞いた気がして、外を見た。柵を越えずっと奥に見える山の上におじは眠っている。 この屋敷がおじから見えるよう、また自らもおじを見えるよう、直線距離に埋めた。 「螢夜、あの時は言わなかったが、私はずっとお前の側にいたんだ」 「え?」 「正確には、私の方が古くからこの屋敷に居るし、お前のおじは私を知っていた」 「そう、なんだ」 驚愕な新事実に言葉を無くすのは容易だった。 「自分がどうしてここ居るのか、気になるか?」 「あ…」 「あの日のことは、よく覚えている」 気になるだろうからと話し始めた桃色に慌てて待って!強く否定的な言葉が飛ぶ。 「ごめん、待って…話さないで、いい」 「気にならないのか?」 「気になるけど、おじといた時が俺の全てだから…」 本心では強く知りたいと思う。しかし、良いことばかりでないのは確かだからと恐がってしまう。 俺にはまだ、その勇気はない… 「なぁ、おじ、聞こえるか?今はこいつがいるし、新しく鷹矢に宵永に米屋の倖希がこの屋敷にいるんだ。驚きだよな。俺、おじが死んで、これからは一人なんだって思ってた…」 山のてっぺんに向け、螢夜は喋りかけた。 きっとおじのことだから自分の話はちゃんと聞いてるに決まってる。 すぅと胸いっぱいに空気を吸い込むと大きく口を開いた。 「おじいいい!俺、寂しくないからあああ!!育ててくれてありがとおおおお!!!」 ばさばさばさっ!どこかで鳥が逃げ出した音が聞こえ、おじが驚いているようでおかしかった。 「けけけけ螢夜っ!?今、もの凄い声が聞こえだが大丈夫か??どうしたんだ?あの桃色が何かしたのか?!」 「「‥‥‥」」 こちらにも驚いたものがいて、二人して振り向き、次には盛大に笑った。 (何かするならお前だろう?) (は?そそそういう宵永だって、螢夜と、その…したんだろ?) (‥‥) (ふっ、なんの話をしているんだ。螢夜は私がなにをしたって喜ぶだけだというのにな) (‥‥‥) その日から3日間 おかずは小さな魚の干物一匹だけだった (((なぜっ?!))) (さかな、美味しい…) 倖希だけは喜んでいたらしい。 ×××× 『今日からこの子も屋敷に住まうから』 小さな赤ん坊を抱いた男は私にそう言った。拾ってきたと。 『名前は?』 『そうだな…』 『ん?』 外を見た男の先には黄色い光がふわふわ揺らいだ。 『ほたるか』 『鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす』 『なんだそれは』 『年寄りの戯言さね。どうだろう、螢に夜と書いてけいや』 『螢夜?』 『この子の名だよ』 『――のきぁ、いるのだろう?』 音も無く古びた廊下に現れた。 喉を傷め声など禄に出ないのに昼間は何もないように振る舞っていた男。 『私はもうすぐ、屋敷を離れる』 『嗚呼、そうだな』 のきぁには見えているのだろうかと、男は切に思った。 『螢夜を、頼むよ。あの子は、鳴かぬ蛍、だからね…』 「おじよ、鳴く蝉でもあったな」 未だぎゃあぎゃあ騒ぐ三人を背に、宵闇に浮かぶ山に問いかけた。 「え?何かいっ、わっーー!」 ザァァアアア 山なりのような強い風が突如屋敷を駆け抜け、着物を肩掛けを、全てを一瞬で揺らす。 「のきぁ…?」 俯く桃色は、その風に口端をあげたのだ。

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