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第三章「事件の夜」第一話*
あんなことがあった後でも、志季の生活は変わらなかった。相変わらず、夜の歓楽街へ繰り出しては男に抱かれて、春介を迎えに呼び付ける。それでも、春介が己の傷を曝け出したことで、二人の心理的な距離は確実に縮まっていた。
また、昔みたいに笑い合えたらいい。いつか、長い時をかければ、志季の傷も癒えるはずだ。そうなるまで、たとえそうならなくても、絶対にこいつのそばを離れない。春介は密かに誓っていた。
七月の初頭だった。梅雨の中休みというのか、真夏のような天気が続いていた。夏休みまではまだ遠く、目前に期末試験を控えていた。アルバイトはしばらく休みをもらい、とにかく教科書の内容を頭に叩き込むべく、春介は机に齧り付いていた。
とはいえ、所詮はその場凌ぎの試験勉強だ。授業は普通に聞いているつもりだが、頭には全く入っていないらしい。特に数学は、教科書を見てもちんぷんかんぷんで、どこで躓いているのかも分からない。
赤点を取って補習をさせられるのは困る。夏休みはアルバイトを詰め込む予定だ。単発で募集している、イベントスタッフのアルバイトにも応募してみるつもりでいる。働いている間は難しいことを考えずに済むし、何より金が必要だった。補習などに時間を割かれるわけにはいかないのだ。
しかし、気合だけは入っているものの、教科書を読んでも目が滑って集中できない。疲れているのだろうか。
気分転換に、下着に手を突っ込んでみる。志季の手の感触を思い出す。じゃれ合いの際に触れた、あの柔らかな手を。だが、春介のそこは相変わらず、くたりと項垂れたままだった。
ベッドに投げていた携帯電話が鳴った。数秒コールし、着信は切れた。確認してみると、志季からの着信だった。かけ直してみても出ない。メールは送られてきていない。
まだ宵の口であり、西の空には沈みかけの三日月が、東の空には夏の大三角が昇ってきていた。春介はバイクを走らせ、志季の家に急いだ。一階の、茶の間に当たる部屋に、珍しく明かりが灯っていた。
嫌な予感がした。胸が騒いだ。いや、まさかそんなはずはないと、逸る気持ちを抑え込み、静かに玄関を開けた。鍵はかかっていなかった。
廊下は暗い。床が軋む。茶の間は明かりがつけっぱなしで、誰もいない。ただ、テーブルにお茶が出ていた。まだ湯気が立っていた。
奥の部屋で物音がした。人の倒れるような激しい音だった。春介は廊下へ飛び出し、襖を開けた。
窓に差し込む街灯の明かりに、志季の体が浮かび上がった。その白い体を組み敷いて、男が覆い被さっていた。
あの夏の日に、初めて志季を穢した、あの男だった。下半身は何も着けていなかった。薄汚れた醜い体で、志季を押さえ込んでいた。
春介は、床に転がっていた花瓶を両手で持ち上げた。志季の亡くなった祖母が毎日手入れを欠かさなかった、紅椿をあしらった白磁の壺だった。大きく振りかぶって、花瓶の底で、男の頭を殴り付けた。
嫌な振動が腕に響いた。春介はもう一度花瓶を振り上げ、男の頭に叩き付けた。もう二度、三度と、手応えを感じなくなるまで続けた。
血だまりに溺れて、男は動かなくなっていた。血と唾液の混ざったような泡を吹いて、それきり息をしなくなった。畳表の編み目に沿って血が流れた。
赤黒い血が、花瓶の底面に付着していた。千切れた肉片と毛髪が、滑らかな磁器の表面にへばり付いていた。紅い椿に血が飛んで、花びらから滴った。
血に濡れた手が滑った。花瓶は男の頭上に落ち、粉々に割れた。血だまりに、白い破片が沈んだ。
今になって震えが来た。春介は、数歩後退ってへたり込んだ。足が震えて、腰が立たない。心臓が激しく脈を打つ。
血だまりに沈んだ男。血だまりに顔面を突っ込んだまま、ぴくりとも動かなくなった男。肉が裂け、砕けた頭蓋骨の隙間から、薄ピンクの組織がはみ出していた。
ゆっくりと、志季が立ち上がった。裸足のまま、血だまりを踏む。白い足が、血に染まる。
男の死体をまたいで、春介の前に来た。ゆっくりと膝を折ってしゃがみ、そして、春介の体に触れた。
股間が熱を持っていた。勃起していた。ベルトを外され、ジッパーを下ろされる。志季の手が、直に触れた。
息ができなかった。心臓だけが壊れたみたいに鳴っていた。内側から胸を打ち破らんばかりに、脈動していた。
志季が唇を一舐めする。勃起したそれに、ゆっくりと唇を近づけ、舌で迎え入れて頬張った。
熱かった。ひたすらに熱かった。腰から下が蕩けて消えてしまいそうだった。柔らかな口腔粘膜と、滑らかな舌に包まれた。あっという間に射精した。
志季は一瞬眉を顰めた。頬を丸く膨らませて、ゆっくりと喉を上下させた。唇と舌で精液を舐め取って、ゆっくりと首を引いた。濡れた唇に糸が引いて、銀色に光っていた。
春介は、ずいと顔を近づけた。寸前で逡巡すると、志季が唇を重ねてきた。やり返すように、春介も唇を押し付けた。青臭い、苦い味がした。春介は舌をねじ込んだ。
精液の味は、じきに気にならなくなった。志季の口腔内は甘かった。こんなにも甘く、香り高い蜜があったなんて、知らなかった。この甘い蜜を吸い続けて、そのまま溶けてしまいたかった。
あ、と聞き慣れない声が鼓膜を揺らした。春介ははっと顔を上げた。いつの間にか、志季を畳の上に押し倒していた。志季は黒髪を散らばせ、白い肢体を捩って、春介を見上げた。その眼差しに、春介は一瞬血の気が引いた。
しかし、志季は春介の手を握る。己の下腹部へと触れさせた。志季のそこも、熱を持っていた。春介を見つめる眼差しは、言いようのない熱を帯びていた。
春介は、自身のそれと志季のそれとを重ね合わせ、握りしめた。手を上下させながら、腰を動かして擦り付けた。初めて知る興奮と快楽に目が回った。
腰の動きはどんどん速くなった。先端から透明な液が滲み出してきて、滑りを助けた。くちゅ、くちゅ、といやらしい音が響いて、性感を高めた。
志季の腰も浮いていた。自らペニスを擦り付けて、腰を振った。春介の腕に縋り付くように爪を立てた。そして、ほとんど同時に射精した。
頭の奥が、じんと痺れている。腰に甘い快楽が揺蕩っている。春介は息を切らして横になった。畳が冷たく感じられた。
志季も、目を瞑って息を整えていた。何も覆い隠すもののない、剥き出しの白い肌に、白濁液が散っていた。春介の出したものと、志季自身の出したもの。混ざり合って、志季の胸を濡らしていた。
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