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3 光の夜②★
●〇●〇
まだ休みの伊月は今朝、蛍より遅く起きてきて二言三言話しただけだった。その際はまた『弟』の顔をしており、昨夜の一件については触れていない。
足りないものを買いに行くつもりだと言っていたが、もう帰っているだろうか。朝のように普通の『弟』でいてくれるのだろうか。また自分を『蛍』と呼ぶ男に変わってしまうのだろうか。
不安で悶々としながらも、帰る先はそこしかない。ごくりと息をのみ込んでから玄関のドアを開けると、廊下には鼻をくすぐる香ばしい匂いが漂っていた。
(え。もしかして……)
LDKへのドアを開けると、キッチンから声が飛んでくる。
「おかえり」
コンロ前に伊月が立っていた。コンロに火を点け、ワークトップに置いた大皿を手に取る。皿にはラップが掛かっていた。
「ただいま。晩飯作ってくれたのか?」
「うん。兄貴ほどうまくはないけどな。今温めるから」
皿をレンジに入れる伊月。明らかに2人分をまとめて盛った量だったし、伊月が食事をした形跡がない。
「まさか待っててくれた?」
「うん」
伊月は何でもないことのように頷く。もうだいぶ遅い時間だ。蛍はさっきまでの不安も忘れ、申し訳なさで速足に伊月へ寄った。
「先食べててくれてよかったのに……ごめん、腹減っただろ」
「別にいいそんなの。それより着替えてこいよ。メインとスープ温めるだけだからすぐできる」
淡々と告げ、火にかけた鍋をかき混ぜる。蛍はひとまず言われた通り部屋着に着替え、ダイニングに戻った。テーブルにはすでに料理が並んでいる。チンジャオロースに中華スープ、もやしとニラのナムルというメニューだった。
「……うまそう」
食欲をそそる匂いに、現金にも腹がグゥと鳴る。さっさと食べようと伊月に促され、向かい合って席に着いた。いただきますと唱和し、箸を手に取る。
「うん、うまい。おまえも大したもんだよ」
味付け濃い目のまさに男飯だが、白飯が進む。お世辞抜きに褒めた。
「そ、よかった」
伊月の表情は変わらない。けれどよく見れば、目尻がほんの少し下がっている。蛍にはわかる、安堵と喜びの表れだ。ああこの顔は変わらないと、つい蛍も頬を緩めた。
今日もいい食べっぷりで食事を進めていく伊月。昨日もそうだったが、こんなふうに食事をしているとベッドの上で起こったことなどただの悪夢だったのではないかという気がしてくる。そんなわけはないとわかっていても、仲のいい兄弟として過ごした記憶が自分の奥に根付いていて、心をそこへ誘った。
(……夢にしてしまえたらいい。いや、しないとだよな)
「体調問題ないか? 疲れた顔してる」
食べ始めて10分ほど経った頃、ふいに伊月が尋ねてきた。蛍は手を止めて顔を上げる。
「俺のせいもあるだろうけど、それだけじゃないよな」
さらりと言われたが、『俺のせい』という部分の指す意味を察して蛍はギクリと肩を強張らせた。蛍にとっては触れるのもためらう、触れるのが怖い禁忌を、伊月はあっさりと口にする。さっきまで『弟』の顔で食事をしていたのに一瞬で境界を越えてくる。
いや、伊月には境界などないのだろうか。彼の胸の内がどんなふうになっているのか、蛍には計り知れない。
「兄貴の体調お構いなしで日曜の深夜にやったのはちょっと反省してる、ごめん。頭いっぱいでそんな余裕なかった」
当惑して無言だった蛍に、伊月は箸を置くと重ねてそう言った。蛍はますますいたたまれなくなる。
不意を突かれて動揺している。どんな顔をして聞くのが正解なのかもわからないが、あくまで兄として言葉を返さなくては。そしてあの時間は夢にする。水に流して忘れてしまうのだ。
「謝罪は受け取った。だからもう気にしなくていいよ」
伊月はじっと蛍を見て複雑そうに唇を引き結んだが、やがて小さく「わかった」と答えた。再び箸を取ると、探るような目で話を続ける。
「それで、どうなんだ? クマあるし、前会った時より痩せてるし。母さんからも、仕事忙しくて大変そうだって聞いた。主任?かなんかになってから仕事量増えて、会社に泊まり込む時もあるとか」
本気で体調を心配されているようだ。母親からの情報まで持っているとは思わず、蛍は苦笑するしかない。
「まあ、そうだな。トラブルがあったり、リリース前だったりすると。でもシステム業界はどこもこんなものだし、俺は社内案件だけだからマシなほうだよ」
ブラックとまではいわないが、ハードワークであるのは否めない。だが自分が忙しなく回る歯車に巻き込まれた、慢性疲労気味の社畜だとは認めたくなかった。伊月の就職先は大手の医療機器メーカーだと聞く。前途洋々の新卒者に対し、胸を張れる姿ではない。
「マシねぇ……」
あまり納得していない顔で伊月はグラスの水を飲んだ。
「兄貴は明らかにオーバーワークだろ。真面目だから、リーダーポジなんかもらっちゃって、一人であれこれ抱えたり上と下との板挟みで苦労してんじゃないの」
蛍は笑顔を引きつらせてうっと唸ってしまう。大間と坂東の顔が頭に浮かんだ。図星でしかない。それでもなんとか顔を作り直し、「大丈夫だよ」と答える。
「休みが取れないわけじゃないし、ちゃんと調整はしてるから」
内心では前に有給取ったのいつだったかなと考えていたが、もちろんそんなことは言えるはずもなかった。
●〇●〇
(……眠れない)
もぞもぞと寝返りをうち、蛍はヘッドボードのスマホを手に取った。画面に表示された時刻は1時を回っている。
眠らなくてはいけない。仲根や伊月に心配されたばかりで、実際倦怠感が居座っている。こんなことでは明日も注意力散漫になりかねない。
(寝ないと、なのに……)
思えば思うほど目が冴え、何度も体勢を変えていた時。コンコンと、小さなノック音が響いた。
「起きてんだろ、兄貴」
ドアの向こうから抑えた伊月の声がする。にわかに心拍が速まるのを感じながら、蛍は緩く上半身を起こした。
(もしかして今夜も……?)
だが伊月は蛍の体調を心配していた。あの表情に嘘はなかったと思う。
「入るぞ」
返事を待つ間があったが、得られないとわかると伊月はドアを開けて入ってきた。蛍も布団をめくって完全に上体を起こす。緊張で瞬く間に肌が汗ばんでいく。
「おまえ、何しに……」
「ビビんなよ。寝れてるようだったら俺も来る気なかったけど」
なぜバレているのかわからないが、寝付けないと気づかれていたようだ。こっそりと様子をうかがいに来ていたのだろうか。
「兄貴昔から、考え事あると眠れなくなる人だもんな」
言いながら、伊月はベッドの端に腰を下ろした。蛍と向かい合い、肩に触れてくる。
「寝ないとまずいだろ。1回抜いたらすぐ落ちれるよ。手伝ってやる」
「は!? なに馬鹿なこと言って──」
ぎょっとして迫ってくる身体を押し戻そうとした。だが空いているほうの手であっさり腕を押さえ込まれてしまう。
「真面目に言ってる。昨日もそれで寝たじゃん」
「っ、だからって……!」
2回達して気絶するように眠ったのは事実だ。後始末も伊月がしてくれていた。一連の行為を秒速で回想して顔がかぁっと熱くなる。
「俺がいる近くで、一人でしようとは思えないだろ。だから俺がしてやるって」
一方的に話を進め、伊月は布団を払ってしまう。腰を引いて逃げようとしたが、伊月が抱きすくめてそれを阻み、首筋に唇を当てた。
「っ、やめっ……!」
「今日のはただの介助だから。余計なこと気にすんな」
どう身をよじっても巧みに押さえて、ちゅ、ちゅと首や耳に吸い付いてくる。
唇が触れたところに小さな棘でも刺さって、毒を注がれている気がした。一刺しごとに体温が上がり、力が抜けていく。
(また流される。駄目だ)
そう思っているのに制止の言葉は出ない。代わりに「んっ、あっ」と鼻にかかった声が漏れた。
「ほら、もう勃ってるし」
ずりっと下を下ろされ、それが剥き出しになる。すでにしっかり上を向き、形を主張していた。
「やっ……」
恥ずかしい。触れられ、首と耳への愛撫を受けただけでこんなになっている。消えてしまいたいと思ったが、性器を握られてはただ過敏になっている身体を痛感するしかなかった。
「あぁっ! やだ、伊月っ!」
「いいから。兄貴はただ感じてろ」
たまらず腰をくねらすが、伊月はいなして手を上下させ始める。もう感じる場所はわかっているとばかりに、ためらいない手つきで敏感な部分を攻めてきた。
(拒まないといけないのに……なんでこんなうまいんだよっ……)
「うぁっ……んんっ……んぁっ……」
「そう、声も出して」
「ふっ……あぁ……んっ……」
「兄貴は不器用で、どんどん自分の中に溜め込むからな。もっと周りに出していきゃいいのに」
クチュクチュと響くなまめかしい音に、妙に穏やかな伊月の話し声が重なる。蛍はすでに恍惚としていて、ぼうっとした頭でその言葉を聞いた。
「綺麗だよな、ほんと」
呟くように言って伊月は手を止める。そしてベッドを降りると床に膝をついた。快楽にのまれ始めていた蛍が緩慢な動作で下を見た時、ちょうど伊月がそそり立つそれを口に含んだ。
「んあぁっ」
ひときわ高い声をあげて蛍は背を反らす。手よりはるかに熱く柔らかい、濡れた感触が昂ぶりの上部分をすっぽりと包み込んでいた。
舌がくびれをぐるりと舐め、剥き出しになった鋭敏すぎる先端にも這う。次には強く吸われ、勝手にガクガクと腰が震えた。
「だ、だ、めっ……いづっ……それっ……」
わななく声を漏らすが、伊月が立てる水音のほうが大きい。根元から先まで舌で舐め上げ、また深く咥え込むと吸い上げながら頭を動かす。直接的な刺激と、わざと立てているとしか思えない卑猥な音。耳まで犯されている気がした。
「んやっ……あっ、んんっ……!」
伊月の手が双果にも触れてくる。転がすように弄ばれ、腹の奥がさらに沸き立った。
「っ……、ひぁ、あぁ……っ」
気持ちよすぎる。頭の中にある言語がすべて吹き飛んで、気持ちいい以外考えられなくなってしまいそうだ。抗えない衝動が駆けのぼってくる。
「もっ、離して……っ! で、出るっ……」
「いいよ、出して」
咥えたまま、くぐもった声で伊月が促した。そしてまた絞り出そうというかのように吸われる。
「はっ……あ、んあぁっ──!」
全身を震わせ、蛍はあっけなく達した。その最中も伊月の口内はなまめかしく動き続けている。締まった喉の奥に蛍が放ったものを、伊月はごくんと飲み下した。
「はぁ……はぁっ……」
肩を上下させながら、脱力した蛍は前屈みに倒れそうになる。頭を上げた伊月がそれを抱き留めた。片手で口を拭って、伊月は覗き込むように蛍を見る。
「仕事も悩みも、自分だけでどうにかしようと思うな。もっと自分を甘やかしていいし、自分や周りを信じていいんだよ」
瞳の奥には欲がギラついているのに、声が優しいのがとてもアンバランスだと蛍はとろけた頭の隅で考えた。
「俺だって、できることならなんでもしてやるから。俺にも頼って」
汗で濡れた額に、かすめるように唇が触れる。これもいやらしさは欠片もない、親が子供にするようなキスだった。
なすがままの蛍はそのままベッドに寝かされる。汗を拭くのも着衣を直すのも伊月がやってくれた。快感の余韻が引くにつれ、蛍のまぶたはどんどん重くなり閉じていく。
「おやすみ」
囁く声とドアの閉まる音が、今にも途切れそうな意識の中で遠く聞こえた。
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