9 / 12
4 変化②
●〇●〇
さらに数日が過ぎ、いよいよリリースを3日後に控えた夕刻のこと。システム部のオフィスは騒然となっていた。
「そんなの無理じゃないですか。今さら言う海外部が悪いでしょ。今回のリリースではできないって返しましょうよ」
係長の大間に声を荒げるのはチーム最年少の坂東だ。立場を考えれば坂東を窘めるべきなのだろうが、蛍は動けずにいた。
今になって、海外事業部から一部仕様を変更してほしいと注文が入ったのだ。度々ミーティングを行い社内ツールでも情報共有をしていたが、あちらの確認が甘く誤認していた部分があったらしい。
こちらの落ち度ではない。内心では、蛍も坂東と同じことを考えてしまっていた。
「アホか、それで済むなら言ってる。やるしかねえんだよ」
わしゃわしゃと頭を掻きむしって、大間も苛立ちをあらわにしている。上層部から対応するようお達しが出ているのだろう。顧客に向けたシステムで告知も打っているのでリリース日変更はできない。中間管理職の彼も苦しい立場だ。
(やるしかないなら……)
固まっていた頭がようやく動き始め、必要になる作業を脳内で組み始める。プログラム変更からテスト、実装まで。
恐らく不可能ではない。だが当然、相当の時間を要する。仕事はこれだけでもなく、すでに次の案件をメインにしているチーム員もいる。調整し、大間の要望に応えるのが主任である自分の務めだ。
「すぐに分担して取りかかりましょう。井上さん、吉田さんも入ってください、お願いします」
「え、でも総務部の件は……」
「それは私が巻き取って、スケジュールの調整もお願いしてみます」
そこからはさっそく暴風雨のような忙しさの中で奔走が始まった。終電で帰宅すると、伊月が気遣わしげに出迎える。トラブルがあったことを話すと、表情を曇らせた。
「やるしかないんだってことはわかったけど。また兄貴一人でしょい込んでんじゃないだろうな」
「そんなことないよ。他のみんなも頑張ってくれてる」
「いや、そりゃ頑張るだろうけど……」
言いかけた伊月は途中で言葉を切った。部外者があまり口を出すべきではないと思ったのかもしれない。ただ、ぽんと肩に手を置いて耳元で告げる。
「兄貴はもっと肩の力抜いていいと思うよ。俺が部下なら、そのほうが安心する」
「え……?」
(安心って?)
ピンと来ず伊月を仰ぎ見るが、それ以上はなく「早く寝ろ」と言って自室に戻ってしまった。
そして翌日。今日もまた蛍の周りは、全員が難しい顔でPC画面を睨みつけている。
「間に合うのかよこれ……って、このエラーなんだ? クソッ……」
(坂東くん、苛立ってるな)
「何かうまくいかないところがあったら声かけてね、いつでもフォローするから」
声をかけに行くと、坂東は煩わしげに流し目をよこした。
「わかってますよ」
そう返事があったが、蛍には「そういうのいらないんで」と聞こえる。どうも以前の自主資料突き返し事件以来、彼には嫌われてしまったようだ。すぐに目をそらし、ぶつくさ言いながらPC画面に戻ってしまう。くそったれだの、海外部滅べだの言っているのがボソボソと聞こえた。
蛍は引きつり笑いを浮かべながら席に戻って自分の作業を再開した。部下の仕事を巻き取ったこともあり、タスクは山積み。海外事業部の件は午前中がリミットだ。それ以外も、怒涛の勢いで片付けていかなくてはならない。
「……ふぅ」
目の疲労を感じて上向いたら、くらりと視界が暗くなった。
(うわ、座ってるのに眩暈……)
まだバテている場合ではない。昼にエナドリを買おうと考えていると、隣に座る井上がためらいがちに声をかけてきた。
「惣領さんこそ大丈夫ですか?」
1年後輩のチーム員で、スピードはあまりないが丁寧な仕事をするタイプの男だ。個人的にはそこまで親しいわけではない。が、今はどこか心配そうに自分を見ている。
「え、うん、大丈夫──」
反射的に口角を上げ、そう返事しようとして蛍はハッと息を詰めた。大丈夫と聞いた井上の顔が、わずかに影を増したのだ。安心するどころか、余計困ったように。
(……あ。もしかして伊月が言ってたのは──)
その途端、昨夜伊月に言われた言葉がすとんと胸に落ちた。
『兄貴はもっと肩の力抜いていいと思うよ。俺が部下なら、その方が安心する』
(こういうことなのか? 大丈夫なんて強がりでしかないのに、俺……)
自分はリーダーだから。弱った顔なんて見せてはいけない。
このチームを丸く収めないといけないから。衝突しないように、フォローして、なだめて。
(でも今、全然空気重いよな)
衝突は起こっていないが、いい雰囲気でもない。
蛍はそれでよしと思って生きてきた。揉め事を生むのも、揉め事の渦中に飛び込むのも嫌だ。器用さも、仲根ほどの人望もなく、できるのはせいぜい愛想笑いでなだめ、和ませることくらい。それで乗り切れれば自分的には充分だと思っていた。でも。
これまでに伊月が自分へ投げた言葉が、続けて耳の奥に響く。
『兄貴は不器用で、どんどん自分の中に溜め込むからな。もっと周りに出していきゃいいのに』
『仕事も悩みも、自分だけでどうにかしようと思うな。もっと自分を甘やかしていいし、自分や周りを信じていいんだよ』
(そうか……あれも全部、そういうことなんだ)
幼い頃から自分を見てくれていた。自分を肯定し、疲れた時は一緒に休もうと言ってくれた伊月。
(今もきっと、伊月が言ってるのが正解だ)
蛍は井上に顔を向け、あははっと声をあげて笑った。
「大丈夫って言いたいとこだけど、さすがにキツイね、やっぱり。でもここまで来るともう、意地でもやってやるって感じで逆に燃えるよ。ていうか、そういう井上こそ平気?」
井上はあっけにとられたようにぽかんと口を開く。蛍は他席の視線もこちらに向くのを感じた。全員が蛍の反応に驚いている。
「はい、俺は……惣領さんが総務部のは巻き取ってくれましたし。あ、でも、俺も夕方頃には少し落ち着くと思うんで、なんだったら総務部の俺に戻してくれても……」
「そう? じゃあ、終わってなかったらお願いしようかな。ありがとう」
答えてから、蛍は周囲にも目を向けた。
「皆さんも、大変だと思うけどあと一息よろしくお願いします。全員で乗り切りましょう」
チーム員は一様に戸惑いを浮かべていたが、やがて表情を崩すと『はいっ』と返事してくれた。頑張りましょう、システム部の意地を見せてやろう、と口々に声が続く。
(ああ、やっぱり。伊月の言う通りだった)
軽くなった空気に勇気づけられ、蛍はもうひとつ踏み出してみようと坂東を見る。
「それと、坂東くん」
なんですかと顔を上げた坂東に、今までの自分なら絶対に言えなかった言葉を口にした。
「気持ちはすごくわかるんだけど、できればマイナスの気持ちを吐き出すのは心の中だけにしてくれるかな。そういうのって周りにも伝染しちゃうでしょう?」
「へ……」
坂東はきょとんとし、逆に周囲がざわめく。それでも構わずに蛍は続けた。
「これまで社内SE経験のなかった坂東くんには勝手が違うかもしれないけど、ここは個人の業績を上げるとか競い合うっていうより、会社の保健室みたいな部署なんだよ。この会社をよくしていくための部署。そこをもう一度考えてみてくれると嬉しい」
ぶつかる度胸がなく、胸の内にしまっていた言葉だ。本当はもっと早くに言わなくてはいけなかった。今さらながらリーダー失格だなと自分に呆れる。
「君の腕がよくてスピードもあるのわかってるから、今の修正、一番核になるとこ任せてるんだよ。期待してるんだからよろしく。チームで協力し合って、リリース成功させましょう」
言い切って、最後にニコッと微笑む。坂東はまだ呆けたような顔をしていたが、次第に口を閉じ、唇をむずむずさせた。困惑と照れが入り混じったような仏頂面だ。
「……わかりました」
小さく呟いてうつむく。多分伝わっただろうと、蛍は静かに安堵した。
(伊月のおかげだな)
そんなこんなでその日もなんとか乗り切り、翌日──リリース日前日を迎えた。
この日はチーム員で時差出勤の形を取り、蛍は午後から出社した。明日正午のリリースまで、夜通しの夜間作業となるためだ。
メインから外れている井上や吉田は退社し、夜間作業は蛍と坂東、他数名のチーム員で行う。
「最終チェック入ります。惣領さん、確認お願いできますか」
「わかった」
(なんか坂東くん、少し顔つき変わったな)
画面に向き合う坂東の横顔を見ながら、蛍は改めて、昨日勇気を出してよかったと思った。
自分たちの島以外は照明の落ちた薄暗いオフィスで、作業は続いていく。幸い大きなトラブルはなく進行し、そのうちに夜が明けた。
「──よし、問題ないね」
「いやったぁ~、終わったー!」
無事に実装が完了した瞬間には、わあっと歓声があがる。ハイタッチで喜び、労い合い、しばらく動作を見守ってから、深夜組だった蛍は15時頃に退社した。
(昨日のことがなかったら、こんなふうには終われてなかっただろうな)
エレベーターの中でつくづくそう思う。
(本当に伊月が言ってくれたことのおかげだ。帰ったら伊月に成功の報告と、お礼を言おう)
疲労しているが、清々しい気分でビルのエントランスを出た。だが少し歩いてからハタと足を止める。
「やあ、蛍くん」
ビル前の路上に見知った姿が待っていた。蛍より少しだけ高い身長に長めの黒髪、ノンフレームの眼鏡。堀野だ。
「……恭一さん。来てたんですか?」
(そういえば前にメッセージ来てから、日程の話になってなかったな。忙しさですっかり忘れてた……)
堀野は蛍の勤め先だけでなく、職種も、リリース日には昼終わりになることも知っている。1年の付き合いで、多少は互いの仕事の話もしてきた。
「うん。今日で落ち着いたんだろ。お祝いしようと思って、サプライズ」
堀野は柔和な目元を細めて微笑み、右手を上げて車のキーを見せた。
(たまにこういうことするな、恭一さんって)
フリーランスで時間の融通が利くこともあるが、ちょっとした恋人気分を味わわせてやろうという彼なりのサービス精神なのだろう。これが頻繁だと煩わしいが、本当にごくたまになら蛍にとってもスパイスになる。不快ではない茶目っ気だった。
「今回も頑張ったんだろうから、労ってあげたいなってね」
(せっかく早めに帰れるし、久々に夕食でも作ろうかと思ってたけど……)
伊月の顔を思い出し、少し考える。
(いいか。どうせ伊月も夜まではいないし、まっすぐ帰るかどうかも聞いてないし)
「ありがとうございます。でも家のことが色々溜まってるんで、泊まりじゃなくてもいいですか?」
仮にここで先約があるから無理と告げても、堀野は笑顔で「じゃあまたの機会に」と帰っていく男だ。蛍は彼の不機嫌な顔を一度も見たことがない。掴みどころのない、外見も草食系で、ギラついた欲を一切見せない。
「もちろん。お望みのままに」
予想通りふわりと答えて、身を翻す。近くに停めてあった車で堀野のマンションへ向かった。詳しく知らないがけっこう稼いでいるらしく、都心の高級マンションに住んでいる。
リビングに入ると、堀野は上着を脱ぎながら蛍を振り返った。
「お腹空いてる? お酒はあるけど食事はまだ用意してないから、デリバリーで好きなもの取るよ」
「そうですね……」
思案しながら蛍も荷物をソファに置かせてもらい、ジャケットを脱ごうとボタンに指をかけた。その手に堀野の手が重なる。
「君が元気なら、先にこっちでもいいけど」
指を絡め、首筋にキスしてくる。
やっぱりこういう時でもこの人の瞳の温度は変わらないなと思いながら、蛍は目を閉じた。
ともだちにシェアしよう!

