4 / 10

「これ……使って」

 分からない、さっぱり分からない。  ううん、泉さんの言ってることの意味はもちろん分かってる。  自分のお店以外のコーヒーはあまり飲んでほしくない。  オーナーとしてのプライド的なことかな?  みんなにそういうこと言って、リピート客増やしてるのかな?  ……そんな人には到底思えなかった。 「はぁーーー……」 「ため息大きすぎやろ! 卒論、ピンチ?」  ゼミの狭い教室で、大きなため息を吐く僕に、同級生の牧詩織(まき しおり)が笑いながら声をかけた。  牧とは学籍番号が近かったこともあって、一回生の頃から仲良くしている。   「それもあるけど……」 「あ、別がメインなんや。学食いこや。聞くわ」  賑やかな食堂で、泉さんのことを全て話した。  支離滅裂な僕の話を、牧は時々相槌を打ちながら、静かに聞いてくれた。   「……なるほどな」 「え? 牧、分かったの?」 「まぁ、何となく? 合ってるかは知らんで」 「すごいな……。僕、察し悪いのかな」  泉さんにもそう思われているのかな、と少し落ち込んだ。   「それが桃田の可愛いとこやん」  そんな僕の表情を見て、牧はカラッと笑ってそう言ってくれた。   「可愛い……それも言われたな……」 「え⁈  可愛いって言われたん? その人に?」 「うん、桃ちゃんって呼ばれてびっくりしてたら、『やっぱ、可愛いね』って」  視線だけ斜め上に向けて頬杖をついた牧が、 「……やるなぁ。一回会ってみたいわ、泉さん」  と、意味ありげに言った。   「時間あるなら、これから行く?」と僕が聞くと、牧の表情が輝いた。 「え! 行きたい! ……でも、一緒に行っていいんかな」  と、不安そうな顔でぽつりと呟いた。  ……何を遠慮することがあるんだろう?   「なんで? いいでしょ」 「……んー、まぁいいか! 行くわ!」  僕たちは大学を出て、店まで二十分ほど歩いた。  その間、卒論のことや、牧の彼氏のことなど、他愛もない話をしていた。食堂では散々、泉さんの話をしていたのに、この道中では話題に上らなかった。  店の前に着くと、外から泉さんとこの前の女性店員がカウンター内にいるのが見えた。店内にはお客さんがたくさんいて、賑わっている様子だった。    店内に入ると、二人は忙しそうに手を動かしながら、ちらっと顔を上げ、「いらっしゃいませ」と言った。  僕に気付いた泉さんは、手を少し止めて、微笑みかけてくれた。  ……しかし、その顔が一瞬だけ真顔になった、というか、曇った——?  目線は僕の後ろの牧に向けられている。  そして、すぐにまた作業を再開した。  初めてのお客さんを相手にすると、あんな感じの表情になっちゃうのかなと思った。僕も初めて来たときは、とても愛想が良いとは思えなかったし——。   「今日もおすすめでいい?」と僕に聞いた泉さん。 「……あ、はい」 「かしこまりました。……お会計は別?」と牧を見てから、僕にそう聞いた。 「別です!」と、斜め後ろにいる牧が元気な声で答えた。 「はい。じゃあ、七百五十円になります」  会計を済ませた僕は、先に席に座った。  牧が注文する声が聞こえる。 「私も本日のおすすめで! ……あと、栗のパウンドケーキを一つお願いします」  ……ケーキもあるんだ。全然見たことなかった。  今度食べてみよう。  注文を終え、僕の隣に腰掛けた牧が、 「……めっちゃイケメンやな」と僕に小声で耳打ちする。 「う、うん……」  僕のことじゃないのに、なぜか少し気恥ずかしかった。  僕たちの注文したものを、泉さんが運んできてくれた。 「どうぞ、ごゆっくり」  ……それだけだった。いつもはもっと話すのにな。  でも、今日はすごく忙しそうだし、僕が友達と来てるから気を遣ってくれたのかもしれない。  コーヒーを一口飲むと、「……美味し」と声が漏れた。  隣の牧も、「ほんまや、めっちゃ美味しい!」とニコニコしている。自分が淹れたコーヒーを褒められたみたいに、誇らしい気持ちになった。    ……僕が淹れたコーヒーを誰かに飲んでもらって、美味しいって言ってもらえたら、すごく嬉しいだろうな。  泉さんにとって、やりがいのある仕事なんだろうな、きっと。そんなことを勝手に想像していた。  すると、牧が「待って! パウンドケーキとコーヒーめっちゃ合うねんけど! 一口いる?」と勧めてきた。 牧が使っていたフォークを僕に渡した。  フォークを受け取って、「いいの? もらうね」と食べようとしたとき、   「桃ちゃん!」  と、泉さんが大きな声で僕の名前を呼んだ。 「……はい……?」  あの低く落ち着いた泉さんからは想像できない声に、一瞬驚いて返事が遅れてしまった。  すると、泉さんはカウンターから出てきて、大きな歩幅で僕の前まで来た。   「これ……使って」  と、新しいフォークを僕に渡した。 「あ……ありがとうございます。わざわざ、すみません」 と言いながら、泉さんを見上げると、少し息を切らしていた。  正直、そんなに焦らなくても、と思った。  焦ってるというか、怒ってるような表情にも見えた。  隣の牧を見ると、指先を揃えて口元を隠していたが、ニヤニヤしているのが丸見えだった。 「牧、何笑ってんの」と、肘で牧の腕を軽く小突くと、 「えー? 別に?」と言いながら、マグカップに手を伸ばした。  泉さんが去ったあと、一口もらった栗のパウンドケーキは、すごく美味しかった。しっとりとした生地の中に、栗の風味がぎゅっと閉じ込められていて、深煎りのコーヒーと相性が良かった。  コーヒーをそそくさと飲み終えた牧は、 「じゃあ、私、先に帰るわ」と帰る準備をし始めた。  ……え、いつもは一緒に帰ってるのに。  同じ講義を取ってることが多かったし、電車の方面も同じだから、一緒に帰ることはよくあった。  席を立った牧は、僕の方にくるっと振り返り、 「連れてきてくれてありがとう。……今度からは一人で来なあかんで」と小声で言い残して、立ち去った。  ……なんで??  どうしてみんな、去り際に、僕が一発で理解できないようなこと言い残すの?

ともだちにシェアしよう!