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「俺と二人きりになんの、嫌?」
牧が先に店を出て、残された僕は、卒論のために今後目を通したい文献リストをスマホで作っていた。
夢中になってスマホとにらめっこしていると、外はすっかり日が暮れていた。
賑わっていた店内も静かになっていて、お客さんは外国人カップルと僕の三人だけになっていた。
僕もそろそろ帰ろうと、トートバッグに荷物を入れていたとき、泉さんが、
「桃ちゃん、ちょっと待って」と声をかけてきた。
「あ、はい……」
「俺、あと十分ぐらいで上がれるんだよね。今日は、石井が締めやってくれるから」と言った。
僕はそこで、若い女性店員さんが石井さんという名前だと知った。
石井さんは、ニッと笑いながら親指を立てて、泉さんに向かって「あとは任せてください!」と元気よく言った。
言われた通り十分ほど待つと、泉さんがエプロンの紐を解いて、石井さんに「あとはよろしく」と言って、僕のところに来た。
「桃ちゃん、お待たせ。行こっか」
「はい……お疲れ様でした」
店の外に出ると冷たい風が吹いていたが、緊張からか僕の身体は熱かった。
「あ、聞き忘れてた。家、どの辺りなの?」
と聞かれたので、最寄駅を答えると、
「同じ方面じゃん。最寄りまで車で送るわ」
と、泉さんはサラッと言った。
「そんな……! 申し訳ないです」
「ついでだから。それとも俺と二人きりになんの、嫌?」
……二人きりって言い方……。
でも、嫌じゃなかった。
もっと話したいと思っていた。
「いえ……じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「もちろん。車、裏に停めてるから」
と、泉さんは僕に笑顔を向けてくれた。
助手席に座り、シートベルトをガチャリとはめた音を聞くと、泉さんが「では、しゅっぱーつ」と拳を小さく上げた。
……こういう可愛いことしたりするんだ、意外。
車が走り出して少ししたとき、泉さんが、
「マキちゃんとはいつから仲良いの?」と質問してきた。
「……牧ちゃん……? ああ、牧とは一回生の時からです。何かと気にかけてくれてて……」
名字にちゃん付けするのが好きなタイプなんだと思った。……でも、石井さんは呼び捨てだったな……?
「何がきっかけだったの?」
「えっと、学籍番号が前後で。ほら、桃田と牧……で」
それを聞くと、泉さんは
「あーー! なるほど! あはは!」と笑ったあと、
「名字なんだ、マキ!」と、なんだか嬉しそうに言った。
……あ、下の名前だと思ってたんだ。
確かに珍しい名字だよな。
「そうです、牧場の牧です」
「そっかそっか! 勘違いしてた。下の名前で呼んでたから特別な関係なのかと……」
「あー!!! 違います違います。友達です。牧は彼氏もいるし……」
と言ってから冷静になって、なんか必死に弁明してる自分に気付いて恥ずかしくなった。
でも、泉さんが言うように、下の名前で呼ぶ=特別な関係って方程式があるなら、僕に『泉って呼んでいいから』と言ったのは……?
そんなことを考えていると、赤信号で車を止めた泉さんが僕の方を見て、
「就職は決まったの?」と聞く。
「はい、六月に決まりました」
「おー、めっちゃ早かったんだね、優秀。何系?」
「優秀なんてそんなこと……。銀行です」
「ほう……メガ?」
「いえ! 京都の地銀です」
「そうなんだ。なんか、桃ちゃんのイメージと違ったからびっくりした」
信号は青に変わり、車はゆっくりと走り出した。
僕のイメージか……たしかにそうかも。
京都に残りたい。
ただ、それだけで受けたところだった。
解禁してすぐに内定をもらって、そこで就活を終わりにした。早く、安心したかったというのもある。
「僕自身も、大丈夫かな? って思うところは正直あります……。でも、京都に残りたくて……」
また本音がぽろっと出た。
「向いてないかも、とかではなくて……これでいいのかな、みたいな……」
上手く言葉にできない。
就職のことを考えるといつもそうだ。
自分でもどうしたいのか分からなくて、結局は現状維持のまま。
「そっかそっか。京都が好きなんだね。俺もだよ」
曖昧なところを深く聞かない泉さんの言葉に救われた。
心がふっと軽くなった。
「はい、好きです。東京からこっち来て、すぐに大好きな街になりました」
「俺も東京だよ。大学から来て、そのまま」
「やっぱり、そうなんですね! 泉さんの標準語が、なんか懐かしいって思ってました」
「そっか! じゃあ、俺といたら寂しくないかもね」
「…………ん、え⁈」
動揺しまくった僕を見て、楽しそうに笑う泉さん。
豪快に笑う泉さんを見ていると、なんだか嬉しい。
今まで知らなかった感情が、僕の中で芽を出しているむず痒さを感じる。
この芽の正体が何なのか、今は分からない。
でも、今は正解を探しに行かなくてもいいと思う。
泉さんと一緒にいることで、いつか解る気がするから。
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