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9話「雷鳴」side高月
「近所で大きな音がしたと思ったら……何これ?」
俺が背筋を伸ばしてソファに座っているその横で、伊原が質問してくる。その声にはまだ呆れが滲んでいる。
だめだ……また顔が見られない。
恥ずかしいのもあるし、申し訳なさでいっぱいだ。頭に被ったタオルを下へぐぐっと引っ張る。
だが、黙っているのも地獄なので、俺は空気の温度を上げようと口を開いた。
「悪い……音はたぶん、自転車だ。ほんと余計なことしたな。顔だけでも見られたらって……家ぐらいすぐ見つかるかな、ってナメてた」
そう釈明するも、伊原は無言のまま。空気がまた冷えるのを阻止すべく、俺は慌てて言葉を続ける。
「お前に余計な負担強いちまった……本当に」
「もういいって」
伊原はうんざりしたように俺の言葉を遮った。ビクッと肩をすくめてしまった。
そこから一転、伊原は静かな口調で意外なことを言う。
「別に平気。調子悪かったの午前だけだったし。見舞い、ありがと」
「!」
突然の感謝の言葉に、俺は心が軽くなるのを感じた。
「こっちこそ! だって教室来て早々『あれ?』って思ったからさ。そりゃビビるじゃん。まあ、伊原が元気そうでよかったよ」
おっと、ちょっと声大きかったかな。驚くほど言葉がスラスラ出てくるもんだ。ある種の爽快感を覚えつつ、勢いをつけて伊原のほうに顔を近づけた。
伊原は俺の動きに驚いたのか、こっちを見ながら上体を後ろへ反らす。
まんまると見開いた目。その中にある、思わしげな色。
そして頬はほんのり赤い。もともと色白なのもあって、余計に紅潮が目立つ。その表情に、俺は心拍数が上がるのを感じた。
慌てて近づけた顔を元の位置に戻す。
こっちもなんだか顔が熱いな。雨のせいで風邪ひいたかな。
しばらくして、伊原は慌てるように俺から視線を外し、前へ向き直る。
「あ、あのさ……」
「ん……?」
「一日休んだだけで大袈裟。だから、その……」
「うん」
渋顔のままだったが、依然として頬が赤い伊原。
……なんだか胸の辺りがムズムズするな。
そのむず痒さに耐えつつ、伊原の言葉を待った。
「連絡先……をさ」
絞り出すようなその声に、俺は「あっ」と声を出した。そして速攻でポケットからスマホを取り出す。
その迅速な動きに、伊原はまたビクリと驚いていた。
そんなに俺の動作が怖いかよ。
■
スマホの時計が十七時を示す頃。
髪を乾かしたりなんだりで時間を食ったのもあり、長居してしまったことに気づいた俺。帰ろうとするも、伊原に引き留められたので、しばらくここにいることにしている。
なぜかって。豪雨のせいだ。
雨脚がどんどん強まるのを音で感じ、げんなりしていたところに救いの提案をしてくれた伊原には、感謝が尽きない。
それだけじゃない。
奇跡が起きた。
俺は伊原の自室に招かれることとなった。
勘違いしないでほしいのだが、こっちが頼んだんじゃない。あっちからの誘いだった。
パーソナルスペースが広大だったはずの伊原が、あの伊原が誘ったんだ。これを奇跡と呼ばず何という。
プライベートな空間どころか、学校での書き物にすら触れられたくなかった伊原が、だ。
こいつの対応のビフォーアフターに、俺はテンションが上がった。
きっと友達の部屋と聞いて、修学旅行のときのワクワク感が蘇ったからだろう。
やがて部屋に入れてもらった俺がまず感じたのは、「整ってる」という印象だった。
モダンな部屋の作り。僅かに漂う木の匂い。
勉強机の上には、教科書と何かの辞典があるだけ。
本棚の本は、ほぼカテゴライズされて並んでいる。
リモコン類も一箇所に集まっている。
ベッドの掛け布団はぴしっと畳まれている。
……すごく計算されているというか、理路整然としている。
アポなしで家に来てこれだぞ。事前に片づけた気配はない。
意外とこいつの部屋、散らかってそう……なんて想像してたのが間違いで、意外でもなんでもなかった。意外じゃないのが意外だな。
こんな部屋だからか、俺は落ち着かない気持ちのまま、ちゃぶ台に案内された。
「何もないけど。ここで待ってたら」
それだけ言って、伊原がいったん部屋から出ようとするから、慌てて止めた。
「ま、待て! もてなすとかいらねえから! 病み上がりだろうが」
部屋の入口で振り返る伊原。
「トイレ行くだけだけど……」
「……」
まあ、そうだよな。
■
「いやだって! クラスグループから辿ったら、なんか、あれじゃん……怖いっていうか……」
「こうして来られるほうが怖いけど」
「まあ……」
こんな他愛もない会話ができる日が来るなんて思わなかった。
あれから伊原は、結局お茶を出してきた。
また気を遣わせたか……と一瞬気が沈んだが、彼が機嫌良さげ(当社比)にお盆を持ってきたものだから、なんかもういいか、と流した。
伊原はベッドの端に腰掛けて本を読んでいる。目線もよこさず、「どうぞ、あとはご自由に」と言わんばかりの雰囲気だ。
だけど俺は沈黙が苦手だから、ついなんか喋っちまう。
それに伊原が、本を読みながら反応してくれる感じだ。邪魔になってないか、これ。
もう茶も飲み干したし、早く雨止んでくれないかな。
そんな願いを嘲るように、雷の音がまた響く。近いな、これ。
会話も一区切りついてしまい、再び沈黙に包まれる部屋。
そんなときだった。
「ちょっと寝る。帰るとき言って……」
そう言って、伊原が本を閉じた。
一瞬、口に手を当て、あくびを噛み殺すような表情をする。眠そうだ。
「……おう」
「睡眠不足なのか」とか「ごめんな」といった言葉が出かけたが、これ以上会話を強いるわけにはいかないと思い、返事だけした。
休息の邪魔はもうしない、と誓った。
瞬間。
バリバリと雷鳴が轟いた。
「っ……」
横になろうとした伊原が、びっくりしたのか身体を竦める。
「音すげえ……大丈夫か?」
「寝れない」
またぶすっとした顔で眉間に皺を寄せている。さっきまで穏やかな顔(当社比)してたというのに。
「雷怖いのか?」
「怖いんじゃない、うるさいだけ」
「はは」
すぐさま俺の疑問を否定する伊原に、思わず笑ってしまう。見栄を張る必要はないと思うんだがなあ。まあでも、煩わしいのには変わりないか。
にしても、寝れないのは気の毒だな……。なんかいい方法ないかな。耳栓とか。
「笑い事じゃないんだけど」
耳を塞いだまま、伊原にギロリと睨まれる。
そう文句言われると余計に笑うわ!
しかしここで、俺のなかに妙案が降ってきた。
耳栓じゃないが、ワイヤレスイヤホンがある。しかもノイズキャンセリング機能付きの。
さすがに雷の音を完全にシャットアウトするのは難しいが、これ着けたらマシにはなるんじゃないか。
「いい方法があるぞ」
そう言って、俺はごそごそと床にある鞄を探る。
手先にイヤホンケースが当たる感触がある。これだ。
「何してんの、あんた」
俺の様子に不審感を持ったのか、怪訝そうに尋ねてくる伊原。ちょっと待てって。
「ほらこれ! ……ノイキャン付きイヤホン」
「それが何」
「着けたら音、マシになるだろ。な!」
「……勝手に着けたら」
違う、そうじゃない。
「いや、お前が着けるの。雷嫌なんだろ」
「イヤホンなんて、いいの持ってない」
違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
「これ貸すから、お前が着けろって!」
「えっ」
俺のデカめの声に目を丸くする伊原。キョトン顔、久しぶりに見たわ。
と、また雷鳴が響く。
そしてやっぱりビクつく伊原。
……さすがに、俺もこの雷にはクレームをつけたいところだ。今、俺たちが大事な話してるっていうのに!
「着けてみ。な」
「いやそれ、高いんじゃ」
「いーから、ほら!」
もたつく会話に、いろいろ限界だった俺は伊原のいるベッドのところへ行き、両手にイヤホンを構える。さすがにベッドに座ったりはせず、立ったままでいる。
「耳出してみ」
中腰になって指示する。
「っ……」
やがて観念したのか、伊原は耳に当てていた両手をゆっくり下ろす。間近にある顔に戸惑いが浮かんでいる。
そして、覚悟を決めたように目を瞑った。
なにしてんの、こいつ!
「……いや、目は開けたままでいいけど」
「ん、早くしてくれる……」
まるで「いっそひと思いに……!」とでも言いたげな様子に、俺は首を傾げた。なんだ、このピアス開けるみたいな緊張感は。
「……」
「……」
なぜか互いに硬直する。
目を瞑る伊原の顔から目が離せない。
動け、俺。
さっさとイヤホンを着けてやれ、俺。
なんなら渡して自分で着けさせるか。
でもそれだとなんか、こう、もったいないような。
だが。
盛大なツッコミを入れるように、雷鳴が空気を揺らす。
「ぅわあ!」
神経が過敏になっているなかでの轟音に、伊原が声を上げて震えた。
それに俺まで驚いてしまい、足に一瞬力が入らなくなった。前方へ重心が偏る。
まずい。コケる。伊原にぶつかる。怪我させる!
だが、この一瞬の思考が、俺の身体を機敏に動かした。
まず、手に持っていたイヤホンを手放す。
そして手のひらを広げ、伊原の上体の両サイドを通すように腕を伸ばす。
だが、そのまま押し倒せば伊原の後頭部が壁に激突する。だからぐるっと腕を内側に回し、伊原の上半身を抱き込むようにする。
そのまま重力に従えば――。
「ってえええ!」
まず勢いで俺が壁に激突するわけで。
ズキンッ! と脳天を貫くような痛みが額に走る。たまらずしかめっ面になる。
「っっ……だ……大丈夫かっ……伊原!」
「あんたがだよっ!」
即答するあたり、大丈夫そうだ。
よかったよかった。安心した。
……。
いや。
よくないな、これ。
俺の両腕のなかに伊原がいる。
俺よりほんの少し高い体温が、腕を伝う。
そして、くぐもった息遣いが俺の下から聞こえる。
ほぼ下敷きになっているから顔は見えないけど、眼前に見える耳が少し赤い。
しかし実によくないのは、ここがベッドだということ。
いや、こんなの男同士のじゃれ合いみたいなも――
「す、すまん!! 伊原ーー!!」
俺は高速で腕から伊原を解放し、飛び起きた。
なんですぐ離さなかった、俺!
焦って見下ろすと、紅潮した顔の伊原が息を上げて天井を見つめている。そしてハッとしたように、表情を引きつらせた。
「なっ」
伊原は上体を起こして俺を見つめる。
「っ、気をつけろ! 馬鹿!」
荒々しい口調で怒鳴られた。
「ごめん……」
今日何回謝ってるんだろう。
完全に怒髪天を衝いた。終わった。消えてしまいたいとはこういう感情か。
このまま土下座でもしようかと一歩足を下げたが。
「いや……」
だが、伊原は急にしんみりした顔でそっぽを向いた。
「もたついてた俺も、その……」
もたついてた? ……ああ、イヤホンか。忘れかかってた。
「自分で着けるからっ、もう……いい」
俺に対しノールックのまま、落ちたイヤホンをひょいっと拾い上げる伊原に、何も言えなかった。
「す、少し、静かにしてて……」
そして、不自然なくらい顔を背けながら、布団の中に潜り込んでしまった。
イヤホンをきっちり着けて。
ごめんなさい……。
心の謝罪に呼応するように窓の外がピカッと光る。
お前に言ってねえよ。
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