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10話「悪夢」side伊原

 未明からの片頭痛、プラス寝不足により、俺はその日、学校を休むことにした。  薬が効かないと悶々としていたのも午前だけ。仮眠をとったら、すっかり痛みは引いていた。夜に響くから、午後はもう寝ないようにしようと思った矢先。  自転車が倒れる音がした。  高月コウヤ。  こいつは本当に、何を考えているんだろうか。  どうしてこんなところまで来ているんだ。  誰か説明してほしい。もし、こいつ視点の小説があるのなら、モノローグを覗いてやりたいところだ。  ……そんな訴えを誰かにしたところで無意味なのは分かっている。  ただ、知りたいんだ。  高月がなぜ、俺にここまで構うのか。  理由が分からないから、警戒もするだろ。  警戒のために、様子をしっかり見るだろ。  だから嫌でも目に入るんだ。  こいつが持久走で危うい雰囲気だったのも。  足に痣が増えていることも。  ……濡れ鼠の姿も。  家の近所で、知り合いがずぶ濡れで。  こんな状況で放置すれば、俺が鬼みたいじゃないか。  理由を聞けば「見舞い」だと言う。呆れた。  まあ、だから、その間抜けな姿に免じて許してやったんだ。  俺の家に足を踏み入れることを。  今後こんなことにならないよう、連絡先を交換しておくことを。  俺の部屋に入れること……まあ、これは気まぐれだ。  だが、部屋に入れたのは失敗だったと思う。  ゆっくりしたいのに、俺の部屋でベラベラと話す高月。俺の相槌がだんだん適当になってきていることに気づかないのか。やかましい。  さらに鬱陶しいのが、雷の音。いちいち頭に響いて堪らない。部屋が明るくて雷光が見えないから、音だけが突然やってくるのがつらい。  そこで何を思ったか、高月はパッと顔を輝かせたんだ。表情コロコロ変わるな、こいつ。  そして、ノイズキャンセリングイヤホンなるものを、高月は俺に着けようとしてきた。  なんでいちいち顔を近づけるんだ、こいつは!!  そう叫びたかったが、声が出ない。  眼前の、無駄に男前でキラキラした表情に俺は戸惑いを覚える。だから見ていられず、目を閉じてしまった。  そして気づけば、俺は下敷きになっていたわけで。  上体を完全にホールドされていたおかげで、押し倒されたときの背後からの衝撃は緩和されていた。  その代わり、高月が犠牲になってくれた。  俺はその事実が分かったとき、一瞬動けずにいた。  起き上がってみると、滑稽なぐらい挙動不審になっている高月の姿があった。キョロキョロと視線を彷徨わせ、なぜか顔は真っ赤。  でも、青ざめているようにも見える。  俺は堪らず顔を背けて、布団の中に退避した。  高月の頭は大丈夫なのだろうか。  外も、中も。  俺は別に大丈夫だ。 ■ 「あのー、伊原」  やっとテンションが落ち着いたのか、恐る恐るといったトーンで高月が俺に声をかけてくる。  それに俺は、振り向かないまま布団から顔を出す。話は聞いてやるというサインだ。 「そのイヤホンさ、俺のスマホアプリと連動してて……モード切り替えしないとなんだ。ノイズキャンセリングモードっていう」 「……」 「あのー」 「うるさい。切り替えなら勝手にして」  そんなことで許可をもらいに来たのか。  どうやらこのイヤホンは、そのまま耳に突っ込んでも意味がないらしい。専用アプリでノイズキャンセリング機能を起動させないと、効果が得られないという。 「わ、分かったよ」  そう言って、いったん静かになる高月。スマホを操作しているようだ。  ……確かに音が減った。これがノイズキャンセリングの威力なのか。何か電波でも出てるのか、これ。  ゴロゴロ唸る雷の音は、まずほとんど聞こえない。さすがに落雷ほどの突発的な音はガードしきれなさそうだが、それでも着けていないのとでは、快適さが段違いだ。  勉強や執筆のときなど、集中したい場面で大活躍しそうだな。  高月がこのイヤホンメーカーの回し者でないことを祈る。だとしたらマーケティングがうますぎるから。  内心イヤホンに感心しつつ、俺はゆっくりと仰向けになった。高月のほうへ顔を向けて寝るのはなんだか躊躇われるので、反対側へ寝返りを打たないようにする。  そして再び目を閉じ、高月によって作られた静けさに浸る。  ……落ち着く。  すぐそこに、第三者……高月がいるのに。  あるいは、高月がいるからなのか。  もう分からない……。  俺はそのまま意識を手放した。 ■ ■ ■  僕の名前は「伊原ケヤキ」と申します。  学校のみんなから「トゲトゲくん」って呼ばれています。  理由を聞くと、「イバラ=茨」と連想したからだそうです。  ですが、僕はその渾名が嫌です。 「やめて」って言っても、やめてくれません。  なので、僕はつい怒って、「トゲトゲくん」呼びを始めたクラスメイトの男の子を叩きました。  といっても、顔を軽くビンタしただけです。  だけど、その男の子にとっては「重い」出来事だったのです。  みんなその様子を見ていたから、男の子のプライドは傷ついたようなんです。  それからです。  僕に対する嫌がらせが始まったのは。  僕の机は落書き帳ではありません。  僕のロッカーはゴミ箱ではありません。  僕の筆箱はゴミではありません。  そして、僕の名前は「トゲトゲくん」ではありません。  ……ずっと叫びたかった。  僕は、未だにその男の子を叩いたことを謝っていません。  だからでしょうか。  地獄のような毎日が続くのは。  謝れば全部終わりますか。 「ごめんなさい」が言えたら、許してくれますか。  どうか教えてください。 ■ ■ ■  目が覚めたきっかけは、こめかみを伝う水滴のせいだった。  うっすら瞼を持ち上げてみる。視界はぼやけていて、何が何やら理解できない。  そして、濡れる目元に違和感を覚える。  雨? いや、ここは室内だ。  天井から雨漏りなんてしてないはず。  だとしたら、これは涙なのか。誰の? 「大丈夫か」 「あ……」  高月が覗き込んできて、思わず声を漏らす。  さっきの冷たい光景とは違い、優しく温かい表情をしている。だけど少し眉を下げて、心配そうだった。  一瞬、なぜこんなところに、と思ったが、そうだ。家に上げたんだった。  状況整理のため、瞬きを繰り返す。そのたびに涙が俺のこめかみへと流れていき、イヤホンを濡らす。  そうだ、このイヤホン……! 「やば、イヤホン濡れるっ」  慌てて両耳から取り出す。幸いにも、ほんの少し濡れた程度で、染み込むほどではないようだ。  借り物を涙で汚すなど、無礼どころじゃない。しかも水で故障したら、もっと大変だ。 「あ、いいよ。そんな高ぇもんじゃないし」  手のひらを横に振って、「気にすんな」とジェスチャーする高月。 「だからといって、人のもの壊すわけには……」 「そうそう壊れねえって。防水だぞ」  壊れないにしても、人の涙が付着したイヤホンなど嫌だろう。  そう反論したかったが、高月の真剣な表情に黙らされることとなる。  やがて、高月が口を開いた。 「なんか、寝てる間、泣いてたけど……怖い夢でも見たのか」  泣いてたって……。  そうだ。そうかもしれない。  だって、あんな。  先程までの忌々しい記憶が蘇る。  俺は俯いて、掛け布団の端をぎゅっと握り込んだ。 「……別に」  高月には関係のないこと。そう言い聞かせ、はぐらかす。言いながら、左右のイヤホンをまとめて手渡す。 「そうか」  意外にも食い下がるような真似はせず、高月はそれだけ言ってイヤホンを受け取る。 「てか、いつまでここにいんの。雷も鳴ってないし、寝てる間にイヤホン回収して、さっさと帰ればいいのに」  なぜそうしなかったのか、改めて疑問をぶつけてみる。 「いや、それじゃ泣いてるお前を一人にしちまうだろうが」 「は」  うっかり素っ頓狂な声が出てしまう。  こいつ、何を言ってるんだ。  俺が泣いてようが、お前にとっては他人事だろ。  帰っていいんじゃないのか。  すると、高月は窓のほうへ目をやって、困ったように頬を指で掻く。 「こういうときって、目、覚めたときに誰かそばにいたほうがいいと思うんだ。個人的に。……てか、泣いてるヤツの姿に背を向けるなんてフツー、その、難しいというか、それって薄情すぎるというか……」  最後のほうは声が小さくなっていて、聞き取りづらかった。  だけど確かに聞こえた、高月の言葉。  それでこの部屋に拘束されてたのか!  馬鹿なのか!  まだ理由が「イヤホンを返してもらえそうにないから残った」なら分かる。  もしそうじゃないなら、もう大馬鹿だ。 「まあ、ありがと……でもあんた、暇だね」  とりあえず礼は言っておく。 「はあ!? 上げて下げんなよ」  それに高月が盛大に突っ込む。  だが怒ってはいない。コミカルな突っ込みだ。  どうして自分の都合を後回しにしたんだ。  今日は暇なのか。用事はなかったのか。  色々言いたいことはあるけど、どれも口から出てこない。  黙って高月の顔を見る。高月は照れくさいとでもいうように、鼻の下を指で擦る。 「ま、まあ元気そうで……。雨止んでるし、俺、帰るわ」  そう言って高月は「よっこらせ」と立ち上がり、鞄の紐に手をかけた。  その気配に、一瞬しんみりとした気分になったが、引き留める理由などない。見送るしかないわけだ。  玄関口で靴を履き終えた高月は、こちらを振り返る。  俺を見たあと、今度はあちこちに顔を向けた。 「なんつーか、いまさらだけど、きれいな家だな」 「どうも」  今になって家の感想を述べる高月に、ちょっと笑いそうになる。来たときは必死だったから、感想どころじゃなかったんだろうな。  あのとき俺は呆れていたが、今思い返すと、とても愉快な記憶だ。 「じゃ、お邪魔しました」  そう挨拶をして、家を出ていった。  同時に、俺は扉の鍵をかける。  ……しばらくして、自転車のガチッという音が聞こえた。  ああ、行ったな。  後日。  高月のイヤホンの価格が気になったので、ネットで調べてみることにした。  同機種のものが三万円超えと判明し、俺は目眩に見舞われることとなる。  何が「そんな高ぇもんじゃない」だ!!

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