8 / 9

第8話

「俺個人の携帯番号とアドレスです。こっち使ってもらっても構いませんので」 渡されるままに受け取り、気づく。 自分の名刺を持っていないことに。 外回りの仕事でもないから持ち歩く習慣も無く、基本会社のデスクに入れっぱなしにしている。 まさか、こんな場面で必要になるとは。 「あ、すいません。今、名刺無くて···」 「連絡先がわかっていればいいんです。後で送ってもらってもいいので」 さっきまで無愛想だのお通夜だの思っててごめんなさい。 ちゃんと笑ってくれる。 しかも国宝級に甘くて、人懐っこそうに。 でも、わからない。 なんで俺と、また? 俺のこと、なんで知りたいなんて思ってくれたんだ? さっきまで不機嫌ぽかったのはなんだったんだ? 「では、何か軽く食べますか?それか、どこか別のとこに移動します?」 「へっ、あっ······、いえ、せっかくですけど、今日は···」 色々キャパオーバーで、帰ってゆっくり考えたい···。 おじさん、もう限界···。 「そうですね。また会えますし、今日はお疲れ様です。ありがとうございました、小早川さん」 気をつけて帰ってください、と最後まで見送ってくれた彼をよくよく見ている余裕もなく、どこかふわふわした調子でただ足を機械的に動かしていく。 だから、俺は知るはずもなかった。 俺が去った後、彼が火照った顔を手で隠しながら「緊張した···」と、弱々しく呟いていたことなんて。

ともだちにシェアしよう!