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第一話-宙楼遊郭の死体-
夜行(やこう)は褥の上で目を覚ました。
仕事の後は毎回軽い倦怠感に襲われる。フェイクエモーションの使用により、身体が反応しても夜行の脳が快楽に引きずられることはないが、それでも吐精をすれば体力は奪われる。
昨夜の客はまるで遊びなれていない風の男だった。歳の頃は三十前後、安物の吊るしのスーツに、もっさりとした髪型、分の厚い眼鏡。垢抜けない丸い鼻先。宙桜遊郭で遊ぶどころか、普通の女にも縁遠いように見える。
彼は夜行の中で一度だけ果てて、その後事切れた。
このネオトウキョウでは刹那的な快楽を追い求め、生き急ぐジャンキーも少なくないが、彼はその様なタイプには見えなかった。どこにでもいる、真面目な勤め人。それが昨晩の男に抱いた印象だ。
しかし男は夜行の上で命を失い、見世の者の手によって宙桜遊郭の裏にでも打ち捨てられただろう。サクラダの重役か政府役人、政治家でもない限りこの街での命の扱いなどその程度だ。夜行は彼の事を直ぐに脳から追い出した。
夜行はシャワーを浴びて身を清めると、緋色の襦袢から白殺しの着流しに着替え外に出かけた。
と言っても、夜行は上層華街はおろか、下層屍街にも下りられない。下層屍街に下りるなら宙桜遊郭の娼妓のシティズンIDでも可能だと聞いたことはあるが、夜行はそれを試そうとは思わなかった。夜行のような宙桜遊郭に囚われた人間が他に何処で生きていけるというのだろう。
常夜の街をあてもなくぶらぶらと歩く。眩いネオンと赤く灯る提灯が街を色付けている。
宙桜遊郭は上層華街と下層屍街を繋ぐ巨大なパイプの様な形をしており、中央には太いパイプラインが通っている。大門と呼ばれるゲートをくぐれば上下何方へのアクセスも可能だ。許可されたシティズンIDさえ所持していればの話だが。
大門から伸びる放射状の大通りには大見世が並び、夜行の暮らす朧月楼も此処にある。
上層華街の連中は大通りまでしか近付かない。賢明な判断だ。と、夜行は思う。
そこから無数に枝分かれした小道には中見世、小見世が連なり、和風の建物も少なくなっていく。門の外へ行けば行くほど猥雑な体をなしていく。空気は濁り、臭いは澱む。最果ての場所は夜行でさえ足を踏み入れたことのない危険なエリアだ。朧月楼の楼主である壬生 や見世の者に近づくなと念を押されている。
夜桜のホログラムが降りしきる中、散歩を続けていると大門の近く、大通りから一本入った場所に人だかりが出来ていた。見世と見世の切れ間の路地に人が集まっている。
「何かあったんですか」
人だかりの一番外側にいる男に声をかけた。男は何とかして騒ぎの現状を見ようと首を伸ばしながら、夜行の方も見ずに言う。
「男が死んで、警察が来てるんだ」
「死人なんて、そんな珍しいものじゃないでしょう。一々警察が来るなんて聞いたことがありません」
男がくるりと此方を振り向いた。そうして目を見開く。
「何だ、綺麗な兄ちゃんだな。何処の見世の……いや、いい、きっと俺に払える額じゃない。何でもサクラダの関係者らしい。大方何処かの小見世に興味本位で繰り出して、腹上死。最近はオウカとか言う電子ドラッグも出回ってるし、粗悪品でも掴まされたかな。それからIDの確認も碌にせず、放り捨てたんだろう」
「サクラダの関係者……」
「厄介な奴らだよ全く。大人しく高級な大見世ばかりに行っていればいいものを。日頃お上品な上層華街で暮らしてるから、平和ボケしてやがる」
夜行の脳裏には昨晩の男の姿が蘇る。まさか、とは思ったが一度思い立ったら調べずにはいられない性質だ。
「ちょっと通してください」
人ごみの隙間を縫い、夜行は細い体を滑り込ませていく。最前まで辿り着くと、警察の張った規制ホログラムのその奥を見た。
制服を着た警官が五名ほど、そしてスーツの刑事と思しき人間も五名ほど居た。
被害者のブレインを専門の設備に繋げば、過去に何処で何をしていたのかが鮮明に分かるから、捜査の手も最低限で済む。
その内の一人のスーツ姿の刑事が目に付いた。宙楼遊郭で、女性客相手の商売をしていても可笑しくない程の美形だ。伏せられた人工角膜の色は金。彼はまるでこの世の終わりでも来たかの様な鎮痛な面持ちをして、担架に乗せられ運び出される遺体を見詰めていた。
その時、頭の方にいた担ぎ手が手を滑らせて、担架が地面に落ちる。遺体の上に被せられていた覆い布がはらりと取れた。ひゅう、と息を呑む。
露わになった遺体の、その顔に夜行の夜行は見覚えがあった。やはり昨晩のあの男だ。分厚い眼鏡はどこかに消え失せていたが、あの凡庸な顔と野暮ったい髪型には見覚えがある。
嫌な勘はよく当たる。あの冴えない、金もなさそうな男がサクラダの関係者だったとは。見世の者も、楼主の壬生も一体何をしていたのか。死んだ男のことなどどうでもいいが、このままだと警察の無遠慮な手が朧月楼にまで及び、痛くもない腹を探られる羽目になる。
いち早く帰って壬生に伝えた方がいいだろう。壬生の冷静沈着な顔を思い出し、彼なら上手く処理するだろうと思った。夜行は踵を返し、人ごみの中に消えようとした。
「そこのお前、止まれ!」
鋭い声が夜行を射止める。思わず足を止め、振り向いた。その先には、あの美丈夫がいる。
顔を上げ、その猛禽の如き金の目で夜行を睨め付けていた。
「その顔は何か知っている顔だな」
ずんずんと此方に向かって大股に歩いてくる。夜行は逃げるべきか、留まるべきか、一瞬逡巡して、逃げることを選んだ。
「倉島、何をしている。遊郭の者に勝手に構うな」
倉島と言う男の、上司らしき男が静止の声を上げた。その隙をついて夜行はくるりと反転して駆け出した。
「おい!待て!」
待てと言われて待つ者などいない。この人ごみに紛れてしまえば、あの刑事は夜行を簡単に見失ってしまうだろう。
イタチのような素早さで夜行は人ごみを抜けていく。路地を幾つか抜けたところで、漸く一息ついた。後ろを振り返ってもあの刑事は着いてきていない。
「戻って壬生様にあの男の事を言わないと……壬生様ならもう既に知っているかもしれませんが……」
走ったことで乱れた着流しの裾と襟を整えると、夜行は朧月楼へ戻った。
この街がネオトウキョウと呼ばれるより遥か昔、江戸という街にあったという遊郭を模した朧月楼は紅格子の籬に檜造りの立派な見世構えをしている。常夜の街、宙楼遊郭では店は常に開店状態だ。
「おかえりなさいませ、夜行さん」
遊廓の楼主、壬生に代わって見世を取り仕切っている紺碧 が声をかけてきた。七十歳近い好々爺で壬生の先代の代から朧月楼に奉公しているらしい。眼鏡の奥の瞳は優し気な色をしているが、生き馬の目を抜く宙楼遊郭で見世を切り盛りしてきただけの冷酷さも秘めている。
「ただいま、紺碧さん。今そこで死体が見つかったみたいで、警察が十人程来ていましたが、ご存じでしたか?」
夜行が切り出せば、紺碧は目を細め頷く。
「ええ、今しがた知りました。それもうちの見世が捨てた客の様で……倉島祥市 と言う様です。夜行さん、実際に見られてどうでした? 確かに昨晩の男でしたか?」
紺碧は男の名前まで知っていた。昨晩の男と倉島祥市が同一人物だと、紺碧は確信している。夜行は肌でそう感じ取った。
「間違いないと思います。昨晩の客……倉島祥市です。ただ、あの男がサクラダと繋がりがあって、警察まで出てくるような人物だとは思えない。あの客が死んだあと、見世でシティズンIDのチェックはしたんでしょう?」
「しました……が、ブレインアコネクトで非常に強い負荷が掛けられた様でほぼ焼き切れていたんですよ。なので、シティズンIDはおろか簡易な所属さえ分からない状況でした」
「焼き切れていた? それはまた何でですか。普通にアダプタ同士を繋いでブレインコネクトをしただけですよ? そもそも何であれだけで落命したんでしょうか」
「最近流行りのオウカの影響かと思ったのですが……ただのジャンキーではなかったと言うことでしょうか……あの脳の状態でうちの見世を探り当てるのは至難の業かもしれませんが、官憲に恩を売っておくに越したことはないですからね。壬生様と相談して、名乗り出ることも視野に入れます。まあ、警察なんて恩知らずの不調法者の集まりですが」
「僕には彼……倉島祥市が電子ドラッグをやっている様には見えませんでしたが、あれは苦しんでいる様な、いいえ、それよりも覚悟を決めた人間の顔でした。これから何か大切な勝負事でもあるのかと思ったから、死んでしまってさぞ無念なことだと思います」
夜行はそうは言ったものの、この宙楼遊郭で亡くなった命を一々悼んでいたら身が持たない。それもただ一晩寝ただけの客の事など。
「官憲にあらぬ疑いをかけられる前に、先んじて動くのが吉でしょう。私は壬生様をお探しして参ります。夜行さんも暫くは朧月楼を離れないでください。何か不穏な気配がします。この老骨の取り越し苦労だと良いのですが」
夜行は頷くと、紺碧の横を通り中へと入った。
暗い部屋に戻り、行燈の形をした照明器具を付ける。ぼんやりと明るくなった室内で、夜行は紅格子の嵌った窓の外に目を向けた。
降りしきる夜桜のホログラムは美しい。だがそれは見せかけの美しさだ。足元には、醜い人間が蠢いている。物欲、肉欲、この世のありとあらゆる欲望に忠実に従うこの街は堕落しきっている。
しかし、それは宙桜遊郭に限ったことではない。上層華街も下層民街も同様に膿んで、停滞している。上層華街は虚栄の富と名誉と地位に目が眩んだでっぷりと肥え太った農場主の集まり。下層民街は黙々と頭を垂れ、シティズンと言う番号で農場主に管理される家畜の集まりだ。そして宙桜遊郭にいるのは何方にも成り切れなかった享楽主義の半端者達。
この世界はどこもかしこも、熟しきった果実の様に腐乱の香りを放っている。
それはこの夜行さえも例外ではない。今生菩薩と称される美しさは、何処にもメスを入れていない生来のものだったが、その脳はズタズタだった。客を前に本気で気をやってしまわない様、切断された快楽神経。代わりに見せかけの快楽を演じて見せるためのフェイクエモーション。
その他にも、楼主の壬生は金を掛けて夜行の脳のスペックを上層華街の人々と同レベルまでアップグレードした。それは、彼らとブレインコネクトをするために欠かせないものではあったが、そうした方が箔が付くという壬生の判断からでもあった。
そうして夜行は今生菩薩として宙桜遊郭の最上位に君臨している。夜の帳のような黒く長い髪、星空を閉じ込めたような黒曜の瞳。その白い肌は触れれば吸い付くように男を掴んで離さない。顔をひとたび拝めば誰もがその爪先に口付けをしたくなる神聖さを秘めていた。
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