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柚子side
「近くのスーパーでカップ麺買って来ようかな。そういうの食べられる? それともお粥のほうが良い?」
体調が悪いわけではないし、お粥は違うか? なんてブツブツ言いながら、橘くんはベッドフレームの頭元に置かれた時計の時間を確認しているのだろう、耳元で彼の声がする。
相変わらず俺の頭に触れたままで、慰めてくれているのだろうか。
髪に指を通し、指先で撫でられるその感触が気持ち良く、気持ちが落ち着いていく。
彼の手の温かさにうっとりして、眠気さえ感じてくる。
「柚子さん、何でもいい? うどん系だったら良いのかな」
「あ……、うん、何でもいい」
今さら顔を上げにくくて、俺は俯いたままそう返事をしたものの、自分のためにわざわざ買い物をしてきてくれるという相手に対して、それはあまりにも失礼だと反省した。
自分都合の理由で、顔を上げられないと言っている場合ではない。ちゃんとお礼を言わなくちゃいけないよね。
彼からしたら馬鹿みたいな理由でひとり緊張しながらも、俺は一息ついてから、ゆっくりと顔を上げてみた。
「う、あ……!」
けれど、想像していたよりもすぐそばに彼の顔があり、驚きの声が口から溢れた。
いたずらな顔をして彼が笑う。絶対にこうなることが分かっていた表情だ。
やはり彼にとって俺のこと緊張は、馬鹿みたいなものだったのだろう。
「ふはっ、驚きすぎだろ」
「だ、だって……! 橘くん、ひどいよ」
「何が? ふふ、あんた面白いね」
けらけらと笑う彼からは、距離の取り方にマイペースさがあるものの、人当たりの良さが伝わる。
悔しいけれど親しみを感じるし、つられて笑い返してしまう。
この人は、何者? 不思議な感覚に包まれる。
「柚子さん」
「……ん?」
さっきまで笑い合っていた雰囲気から変わり、落ち着いた表情で彼が俺を見つめる。
そのギャップにどきりとして、少し気まずさを感じながら視線を逸らすと、彼の手が伸びてきた。
何をされるのかと構えて思わず目を閉じると、彼の指先が俺の頬に触れる。
何だ? と思いながらゆっくりと目を開ければ、何となく橘くんのほうへと顔を誘導され、視線がぶつかった。
黒が強めのその瞳が、俺を映している。吸い込まれてしまいそうだ。
目を瞑ってはいけない気がして視線を下に遣ると、きれいな鼻筋が視界に入り、もう少し下げれば、今度は形の良い唇が見える。
厚いわけではないけれど、確かめなくとも柔らかそうに思えた。俺なんかまともに手入れしたことがないから、カサカサしているのに。
全てにおいて余裕がありそうな人なんだな。
「ふはっ。柚子さん、何考えてるの?」
「べ、別に、何も。橘くんのほうこそ」
「俺も別に。ただ、やっとあんたの顔が見られたな、と思ってさ」
「見られたから、なんなの……」
「いや? 当たり前だけれど、昨日より顔色が良いね。目はまだ腫れてるけど」
橘くんはそう言って俺の頬をむにっと摘み、それから柔らかいと笑った。
慣れていない触れ合いに、今までになく戸惑う。
「変な顔」
「なっ、」
「じゃ、行ってくるわ」
今度は軽く俺の頭に触れながら、待っててね、とそう言って彼は部屋を出て行ってしまった。
鍵穴に差し込まれた鍵が、ゆっくりと回る。
意外と、……意外とと言うのは失礼かもしれないけれど、物の扱い方が丁寧な人なのかな。
さっきまで俺に触れていた手の感触があまりにも優しかったから、自分は特別ではないのだと、そう思える理由を無意味に探してしまう。
ひとりきりになったこの部屋では、何も誤魔化す必要はないけれど、それでも熱くなった頬を冷まそうと、頬や首に冷たい自分の手を当ててみたりした。
それでもおさまらずに、俺は枕に顔を埋めて見たけれど、昨日は気にせず眠れたはずなのに、彼の匂いにくすぐったくなったし、そんなことをしてしまった自分にも恥ずかしくなってすぐにやめた。
起き上がり、部屋の中を見渡す。
生活に最低限のものしかなくて、何となくもの寂しい印象を受ける部屋だけれど、棚やベッドフレーム、カーテンの色とか、置かれている家具はシンプルで統一感がある。
このベッドフレームだって、それなりの値段がしそうだ。俺の安物とは違う。
家具の配置も部屋のサイズ感も俺の部屋に似ているけれど、彼は俺と違ってこういうところにこだわりがあるようだ。
だいたい、雨が好きだからって雨の日にベランダから降り続けるそれを見ようなんて思わないだろうに。
そういう彼なりのルールとか、彼がこだわって大切にしているであろう空間に、俺みたいな知らない人をよく連れて帰ろうなんて思ったな。
彼の部屋のものを見ながら色んな思いを巡らせていると、ふと頭に浮かんだ考えに一瞬だけ呼吸が止まった。
──俺、知らない人の家で何しているんだろう。
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