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柚子side
◇
「ゆーずさん」
校門を出たところで、後ろから橘くんに抱きつかれた。俺より身長も高いし、体格も良いから、抱きつかれると一気に彼の重みを感じる。
けれど、このいきなりの接触にもだいぶ慣れたみたいで、以前のように警戒して探すことも減ったし、よほどのことがない限りはあまり驚かなくなった。
「どうしたの?」
「ん?」
首に彼の吐息を感じ、くすぐったさに身を捩りながらそう尋ねると、その質問に対してのまともな回答をくれることはなく、当たり前のように手を握られた。
相変わらず体温が高くて、自然と俺の肌に馴染むような感覚がする。
「……橘くん、この手は何?」
「え? 何か問題ある?」
「ある! 問題しかないでしょ」
「あー。これ、ゆずさんにとっては問題なんだ?」
別にこれくらい良いじゃんと笑った橘くんに、もう一度良くないことを伝えると渋々手を離してくれた。
この行為にどのような意味があるのかは分からいし、俺がゲイで男性を変に意識してしまっているだけで、ノーマルな彼からすればこの触れ合いは普通のことかもしれないけれど、それでも俺がその普通ではないから。
今は人もいないから見られる心配もないし、急な触れ合いに驚くことが減ったとはいえ、この彼の行為を受け入れてしまうわけにはいかない。
「そんなことで怒んないでよ? ね?」
「怒っているんじゃなくてさ」
「まぁいいや。それより、今から柚子さん家行くから」
「え? 話の展開が早すぎじゃん」
そうかな? と俺の顔を覗き込む彼の目元に機嫌の良さが滲む。大学終わりに、ただ俺と過ごすだけのことが、彼にとっては楽しみになっていることは嬉しい。
ありがたいことだけれど、でも、今日は部屋が汚すぎて彼を呼べないかもしれない。
前もって言ってくれていたら、ちゃんと部屋を片付けたのに。この手のいきなりなところに関しては慣れなくて、嬉しい反面困り感もある。
「たこ焼きパーティーしようよ」
「今日じゃなきゃダメ? 俺ん家、かなり汚いよ。最近掃除してなくて、服とか散らばっているし」
「片付けできない柚子さん可愛いね。座れるスペースがあればいいよ」
何が可愛い、だ。彼の口癖なのだろうか。
片付けができないことを怒られることはあっても、ポジティブに返されたことなんてこれまで一度もないのに。
「可愛いとか言って、後悔しない?」
「何の後悔だよ。しないしない」
橘くんは、変なことを言うんだねと笑いながら、先ほど拒否したばかりだというのに、何の躊躇いもなく俺の手を握った。
振り払おうと手を前後に振ると、「いいのいいの」と満足そうな表情で、俺の動きに合わせて同じように手を振った。
払うつもりなのに、合わせられてしまうとただ一緒に手を大きく振っているだけになってしまう。
これもわざとなのだろうか?
俺が離すと分かっていて、そうさせないようにこうしてふざけているのだろう。
「きーちゃん、全部お見通しだよ」
「はぁ」
「今は良いじゃん? 誰もいないんだし。これからパーティだよ?」
「パーティなんか理由にならないよ」
「じゃあ俺を理由にしてよ。俺があんたに触れたいの。それに付き合ってよ。ね?」
「はぁ……」
「そこは、仕方ないなあって返事するんだよ。手を握り返しながらね」
「あーもう、はいはい。これでいいのかな」
握られた手をそれなりの力で握り返し、さらにわざとらしく大きく手を振った。肩が外れそうなその勢いに、彼の笑顔も大きくなる。
あんなに受け入れないようにしたこの行為も、結局は全て彼の思い通りになってしまう。
手を繋ぐことも、そして家に来ることも。
「ふはっ。柚子さん、そういうとこ良いわ」
出会ってからずっと橘くんのペースにのまれてばかりだけれど、何も怯えることはないのかもしれない。
彼から求められることにそのまま合わせて乗っかることを、彼も他人もそんなに変だと思わないのかもしれない。
意識しているのは俺だけで、彼にとっての普通を、俺も彼と同じように振る舞っていれば良いのだ。
それでどこまでいけるのか、いつまで取り繕えるのかは分からないけれど、今はこの笑顔に流されてみても良いのかもね。
「柚子さん、何考えるの?」
「橘くんの手があったかいなぁと思って」
手だけではなくて、彼自身も温かい。
「何それ」
「子ども体温だね」
「きーちゃん、俺のこと馬鹿にしてる?」
「ん? まさか」
彼の温もりが、握られた手から伝わり、全身を巡るようだ。
この手を離したくないな。物理的な話ではなくて、彼とのこと繋がりを手離したくない。
俺が全てを見せずに隠しているからこその関係で、真実が分かった時に彼がそばにいてくれるかは分からないけれど。
今はね。もう少しだけ、ならね。
このままでも許されるんじゃあないのかな。それくらい、見逃してほしい。
今のうちに、エネルギーをためておくからさ。
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