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柚子side

 それからしばらくして、もう何度目か分からない津森さんからの電話がきた。  突然のバイブ音に驚くことはあるけれど、津森さんから電話がかかってきたという事実に動揺して涙することはなくなった。    今さら会ったところでどうにかできることでもなければ、電話で話をしたところで良い方向に向かえるとも思わないけれど、それでもこの状況が続くことがお互いにとって最善とは思えない。    今までずっと電話に出ることを避けてきたけれど、自分でもいい加減終わらせるべきだということは分かっている。  彼は結婚して新しい家庭があるし、戻ってきてくれるわけじゃあない。俺も彼を想い続けたところで意味がないし、その先に幸せがあるわけでもないのだから。  俺も津森さんも前に進まなければいけない。 「ふー……」    俺はゆっくりと手を伸ばし、少しだけ震える指先で通話ボタンを押した。 「もしもし、柚子くん?!」  久しぶりに聞いた津森さんの声は、これまで聞いたことがないほどに動揺が滲んでいた。迷子になっていた我が子を見つけた時のような、そんな印象さえ受ける。  俺のことを心の底から大切にしていなかったのに、どうしてこんなに感情をむき出しのままで俺の名前を呼ぶのか。  まだ俺のことが一番大切なんじゃあないかと、気持ちが揺らぐようなその声に、一度大きく呼吸をし、冷静さを取り戻す。  決めたじゃあないか。終わらせる以外ないんだ。  今さらどうしようもないのだから、もう彼のことで心が揺らぐなんてこと、あってはならない。 「……もしもし」 「良かった。柚子くん、出てくれてありがとう。ああ、君の声を聞けて嬉しいよ。久しぶりだね」 「うん」 「もう出てくれないかと思って、とても怖かったよ」 「うん」 「今度ね、ちゃんと話したいからまた会えないかな? 君の顔を見て、話をしたいんだ。僕には君が必要だって、こんなふうに終わっちゃいけない。心配しなくても俺は君との関係を雑になんかしないよ。これまで通り、必ず会うようにするからさ。ね? 柚子くん」    「ねぇ、津森さん」  息継ぎもほとんどせず、一方的に話し続ける彼の声を聞きながら、俺を手放したくない気持ちだけは本物なのかもしれないと思った。  でもそれは、あまりにも勝手なことだ。大好きだった津森さんはもういない。それだけは、はっきりと伝わる。  俺はね、あれもこれもじゃあ嫌なんだ。 「津森さんの気持ちは分かったよ。でも俺はね、いつかちゃんと幸せになりたいんだ。俺だけを愛してくれる人とね。誰かにとっての、唯一の存在になりたいんだよ」 「えっ? 柚子くん……?」  戸惑いを含んだ声が、画面越しに聞こえる。少し震えているようにも感じるけれど、もう、それにこちらは振り回されない。  柚子くんと呼ぶ彼も今日まで。電話を切れば、もう名前を呼ばれることも、愛を伝えられることもなくなる。  それで良い。そうすべきだ。 「津森さん。こんな俺だからこそ、余計にそう思う。幸せになりたいの。だからね、あなたとはもう会わない。連絡もしない」 「え? どうしてそんなことを言うの?」 「どうして? そんなの分かるでしょう。俺に聞かないでよ。……今まで、ありがとうね」 「柚子く……」  名前を呼びかけた彼を無視し、俺は一方的に電話を切った。話し合いをして理解してもらえるとは思えなかったし、何よりどうしてそんなことを言うのかと言われたことに傷ついた。  それは俺の台詞だ。どうしてこんなことになったの? 俺が何をしたの? って。  津森さん、全部あなたが壊したんじゃあないか。    ぐわっと内側から湧いてきたよく分からない感情を外に吐き出すようにして、大きく息を吐き出した。  興奮した胸を服の上からさすった。  頑張ったよ。もう大丈夫、大丈夫だ。だから落ち着いてくれと、何度も何度も。  それから津森さんのアドレスと番号を消して、トーク履歴も削除した。一緒に撮った写真は案外数枚しかないから、消去するのに何度も心を痛めなくて済んだ。  全て削除してみたら、ああ終わったんだなあと、本当に空っぽになった気がした。ぽっかり空いた穴に寂しさは感じるけれど、同じようにすっきりもした。    そしてその日、もう一度電話が鳴ることはなかった。

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