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柚子side

「そもそも、ほっとけって言うほうが無理でしょ。俺、あの日からずっとあんたのこと考えてた。またひとりで泣いているんじゃないかって思って」 「そうだとして、橘くんに何の関係があるの?」 「関係も何も、あの日あんなに泣いているあんたを見たんだから、その後が気になるのは当たり前だろ」 「……馬鹿にしてる?」  怒りなのか、指先が震える。  ひとりで何もできないほど弱い人間に見えているの……? 彼の言葉は、今日の彼の言動に対して何の説明にもなっていない。 「は? してないよ。するわけないじゃん」 「もう、泣かないから! だからほっといて!」  自分でも驚くくらい大きな声が出た。人生で一番かもしれない。  こんなに誰かに感情をぶつけたのは初めてだ。  俺がこんなに声を張り上げられると思っていなかったのか、橘くんはきょとんとして、思わず掴んでいた俺の手を離した。  俺は俺で、それまで彼に掴まれていた腕をどこに持っていけば良いか分からず、宙に浮いたまま。  部屋の静かさが際立ち、少し気まずさを感じ始めた頃、その空気を壊すかのように、俺のポケットからバイブ音が響いた。  この連絡を言い訳にして部屋から出られるかもしれないと淡い期待を抱きながら、画面に表示された名前を確認する。 「……あ」  期待は砕け散り、俺の手からスマホが滑り落ちた。見えたのは“津森”の二文字。 「……う、ぁ、」    バイブ音が鳴り続け、床にも振動が響く。  津森さんからの連絡を待っていたとはいえ、このタイミングは想定していなかった。  体が震えだし、俺は蹲って耳を塞いだ。  もう泣かないと叫んだばかりなのに、結局泣いてるし。  けれど今は、そんな自分を笑う余裕さえない。 「……っ、う、」  しばらくしてバイブ音は鳴り止んだものの、俺は顔を上げることができなかった。  橘くんの前でまたみっともない姿を晒してしまったことよりも、俺は津森さんのことで頭がいっぱいだった。  落ち着いたから会おうって? そういう電話?   結婚しても本当に俺との関係を続ける気だったの?  津森さんのこと本気で好きだった俺を何だと思っているの。  彼が何をしたいのか全然分からないし、彼も俺のこと何も分かっていない。  俺だけを好きでいてくれないくせに、それでもあなたは俺のことをまだ好きだと言うの?  奥さんも、俺も必要な理由って何? あまりにも自分勝手すぎないか?  ねぇ、どうしたらいいの。  頭では津森さんとの関係を続けることはできないと理解していても、俺は津森さんへの気持ちを、そう簡単に心の中から消すことはできないんだよ。  あなたみたいに、余裕なんてないの。 「……ほら、まだ泣いてんじゃん。バカ。泣き虫」  耳を塞いだままだった手を、先ほどよりかは柔らかい力で彼に掴まれる。  少し顔を上げると、そのまま橘くんに引き寄せられ、ゆっくりと抱きしめられた。  徐々に込められた力が強くなり、初めて会った時と同じで、石けんの香りがふわりと広がった。 「さっき泣かないって言ったくせに。ばか」 「……ぅ、あ、」 「柚子さん……」  でも、……でもね。  本当は、ずっと津森電話を待っていたの。  結婚するなんて実は嘘で、君を驚かせたくて言っただけなんだよと。結婚なんかするわけないじゃないか、僕には柚子くんしかいないのにって。  「少し揶揄うつもりだったのに、たくさん泣かせてごめんね。もう二度としないよ」と、そう言って少し眉を垂らした顔で、俺のこと抱きしめてほしかった。  嘘だと言ってくれたら、許したのに。  この二週間、津森さんの声が聞きたかったし、会いたかった。温もりを、感じたかった。 「あんたが、そんなんだから。ほっとけるわけないじゃん」  でも、もう、叶わないね。  声も二度と聞けないし、会えない。温もりを感じるなんて、絶対に無理だ。 「ひ、ぅ、」  本当に結婚してしまうんだ。  俺だけの津森さんは、もうどこにもいないんだ。 「……、うっ、」  橘くんの、俺を抱きしめる力がさらに強まっていく。俺は、それに比例するようにたくさん泣いた。  ……津森さん、遅すぎだよ。嘘だと言うには、二週間は長すぎた。 「きーちゃん」 「……ぅあ、」 「俺がいるから。ね?」 「う、……っひ、」  橘くんの柔らかな声が、頭の中に優しく響いた。 「大丈夫だよ」 「……っ、あ、」 「大丈夫。ね……」  背中を叩いてくれる手が優しい。まるで子どもに触れるみたいだ。 「……うっ、……ふ、あ」    あれから、どのくらい泣き続けたのかは分からない。  結局泊まらずに家に帰ることになったけれど、橘くんはわざわざ俺の家まで送ってくれた。  ずっと避けたかった相手に家がバレてしまったとか、そんなことはどうでも良くなるくらい、繋いでくれていた彼の手が温かかった。

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