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柚子side

「柚子さん……」  色んな感情でぐちゃぐちゃになる。軽蔑の言葉が出なかったことに安堵して、俺に好意があるとまで言ってくれる優しさに感謝もしたいけれど、でも、本心とは思えない。  そんな同情はいらないと、インクの染みのように黒いモヤが覆っていく。  橘くんは優しい人だ。出会った時から今までも。抱きしめられることで伝わる体温も温かいし、過ごしてきた中で人柄の良さも知っている。分かっている。  けれど、この優しさだけはいらなかった。 「……思ったこと、ちゃんと言ってよ」 「え?」 「本当は、気持ち悪いって、思っただろ……」 「柚子さん……?」  今日初めて、橘くんの前で顔を上げた。自分の気持ちをしっかり伝えるんだ。俺は、差別されてきてばかりだったけれど、馬鹿にされて良い存在なんかじゃあない。 「そんな、優しさ……、いらない」 「え?」 「キモいって、言えばいい……っ」 「……っ、」 「男なのに、男が好きだなんて、」 「柚子さん……!」 「普通じゃないって、おかしいって、」 「柚子さん!!」  普通じゃあないと、おかしいと、ずっとそんなふうに言われてきたんだ。  涙がぼろぼろと溢れだし、勢いよく頬を伝い落ちていく。 「柚子さん……!」  橘くんが、流れる涙を親指の腹で拭う。指先からも伝わるその優しさに、どうしても腹が立つ。  可哀想に思われたいわけでもない。弱いからと守ってほしいわけでもない。同情してほしいわけでもないんだ。 「触るな……!」  彼の手を振り払い、それから胸元を強く押した。その先に逃げられる場所なんてないけれど、とにかくこの腕の中から離れたかった。  けれど、体格差が大きくあるわけでもないのに力で敵わず、先ほどよりも強い力で抱きしめられる。   「俺、あんたが好き。突然言われてびっくりしたかもしれないけれど、ずっとそういう目で見ていたし、柚子さんにも見てほしい」 「やめ、ろ……!」 「柚子さんは俺の好意が受け付けられなくて拒否しているんじゃあなくて、嘘だと思っているから嫌がっているってことだよね? 今のこれって」 「……っ、そうだよ。男の俺なんかを、ゲイでもない橘くんが好きだなんておかしいだろっ」  だから何がおかしいの? と、橘くんは怒りを滲ませながらそう言った。  でも俺だって分からないよ。俺が知りたいくらいだ。 「柚子さん。俺、ずっと分かりやすかったと思うけどな。泣いているからってだけで、雨の中、しかもあんな寒い日に、声をかけて連れ帰らないよ。声かけたとしても傘を渡して終わりにする。俺だって知らない人を、積極的に自分の家にあげたいわけじゃあないし」  少しずつ俺に触れる力が弱まり、橘くんは片手で俺の頭を優しく撫でた。  思わず身を委ねてしまいたくなるような触れ方に、涙がさらに溢れる。 「髪を乾かしてあげたのも、着替えさせたのも、泊めたのも、俺にとっては特別なことだったんだから」 「……っふ、う」 「でも柚子さんだったからできたんだよ。泣いてほしいわけではないけれど、泣いているあんたは可愛いし、綺麗だと思った。あんたの感情をここまで揺さぶる誰かを羨ましく思った。この間それが誰だか分かって、なんとなくだけれど事情を知ったとき、相手の男に腹が立った」  俺の気持ち伝わってる? と橘くんが俺の顔を覗き込んだ。そのまま頬にキスをし、唇を指でなぞる。 「柚子さんが好きだよ。理由を聞かれても分からない。一目惚れだったんだ。好きという気持ちに理由がいるの? 俺は具体的には説明できない」 「……それでも橘くんは、普通だから。普通な人が、そうじゃあない人を好きになるなら、それなりの理由、ないとおかしい。一目惚れだって、俺は、惚れられるような、見た目もしていないし、」 「そんなこと言われても、俺だって、こんな感情は初めてなんだ。あんたのことが好きでたまらない。愛おしいんだよ」  そんなことを言われても、信じられない。どうしてこんなことが起きるの? 「柚子さん、俺の目を見て。俺は嘘なんか言ってない。まだガキだから、この気持ちが偽りないものだと、どうすれば証明できるのかも分からないけれど」    無理やり視線を合わせられると、吸い込まれそうなその瞳が何となく揺れているのが分かった。   だからどうして、橘くんが泣きそうになっているんだよ。

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