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夕side
「柚子さん」
「あ、橘くん」
次の教室への移動中に柚子さんを見かけ、走って追いつき名前を呼ぶと、振り返って嬉しそうに笑ってくれる。
俺の片思い中もそうだったのだけれど、付き合い始めてからはもっと柔らかい笑顔になった。
あまり何かや他人に対して可愛いという感情を抱くほうではなかったのに、柚子さんに出会ってからはそこが壊れ、何をしても可愛く見えるからもうだめだ。
後ろに少しついている寝癖も、俺があげた服を着ているところも、歩き方も、振り向いた時の角度も、笑った時に少し見える歯も、根元の黒が目立ってきた髪も、何もかもが可愛い。
この人が俺の恋人だと自覚するたびにしばらく冷静さを欠いてしまうし、いつまでも浮かれてばかりだし、これが何年経っても変わらないと謎の自信すらある。いや、謎な自信ではないな。確信していると言うほうが正しい。
俺にこんな一面があったのかと柚子さんに出会ってから知ったし、何気ないやりとりも俺の幸せの一つになっている。
柚子さんが笑うとたまらなく嬉しくなるし、もっと笑顔にさせてあげたいと思う。何をしたら喜んでくれるか、俺のことをもっと好きになってくれるか、頭の中ではそんなことばかりだ。
そんなふうにいつも柚子さんを見て、柚子さんのことを考えているからこそ、自然な笑顔が増えた一方で、時々表情が曇ることにも気づいている。
柚子さんは笑って誤魔化しているつもりだろうけれど、それは俺には通用しない。何を考えているのかは、俺なりに分かっているつもりだ。
柚子さんと付き合ってしばらく経ってから、初めて体を繋げた時も、柚子さんは終始泣いていた。萎えられたらどうしようと、俺の反応が怖かったらしい。
胸はないし、橘くんと同じものが付いているけれど、それでも良いのかと何度も何度も確認された。身体の関係がないままでも良いと言われたけれど、俺は心も身体も繋がりたかったし、そもそも男だと分かっていて声をかけたし、告白もした。
酷い話だけれど、柚子さんが男性が好きだと分かった時、俺にチャンスがあることへの喜びのほうが大きかったくらいだ。
それでも俺は、これまで好きになったのも付き合ったのも、多くはないにしろ女性しかいなかったし、この先柚子さん以外の人を好きになることはないから、自分が実はバイだったかもしれないと確かめる術はないけれど、柚子さんが例外だと考えるほうが自分がにとっては自然だと思う。
柚子さんと過ごす中で、色んな場面を共に過ごし、彼がこれまで経験してきたであろうつらいことの一部くらいは理解できたと思っているからこそ、彼には言えないことだけれど、俺は柚子さんと出会えただけじゃあなくて、同性愛者だったことにも感謝しているんだ。
「柚子さんは、最初から俺に運命を感じていた? それとも徐々に好きになってくれた?」
「え、急に何でそんなこと聞くの?」
「いや、別に? ただ一目惚れしたのは俺だけだったなぁと、ふと思っただけ」
「一目惚れのほうが強いわけじゃないからね。俺だって橘くんのこと大好きだし」
「それは分かっているけどさ」
でも、もし柚子さんがノーマルな人だったら、ここまで俺への気持ちのレベル上げ、という言い方が正しいのかは分からないけれど、できなかったんじゃあないかなと思う。
俺があの日雨の中迎えに行き、逃げられた後もしつこく探し、無理やり引きとめたり、接触しようとしなければ、柚子さんの気持ちが俺に向くことはなかったんじゃあないかな。
俺のほうが気持ちが大きいし、一生それで良い。自分でも思考が気持ち悪いとは思うけれど、こればかりは仕方がない。
「柚子さん、今週の金曜日ってあいてる?」
「金曜日? 金曜日は大丈夫だよ」
「じゃあ俺ん家に泊まりにおいでよ」
「……あ、」
さっきまで笑っていたくせに、柚子さんがその言葉に一瞬で固まった。
最近まではそのままの意味しか持っていなかった言葉も、今となっては新しい意味が加わったから、きっと新しいほうを考えたのだろう。
俺に触れられたわけでもないのに、柚子さんの頬が一気に染まった。
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