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夕side

◇   「橘くん、俺が持つから」 「いいって、俺が持ちたい」  カートに乗せるほどの買い物をするわけでもないし、当たり前のように俺がカゴを持つと、柚子さんは少し不機嫌になった。 「別にカゴ持つくらい良いじゃん」 「でも、いつも橘くんが持ってるから」 「そんなに持ちたくてたまらないの?」 「そうじゃあないけど……」 「じゃあ俺のままで問題ないよね」  ぽんぽんと頭を叩くと、柚子さんは目を細めて唇を突き出した。  怒っているのか拗ねているからこの顔なのだろうけれど、俺からしてみればそんな顔をされても、ただ可愛いとしか思わないから、いい加減無意味だと学習してほしい。  自分の可愛さを俺にアピールしているだけだから。 「柚子さん、」 「なに」 「その顔も可愛いね」 「……なっ、」  柚子さんはもちろん、狙ってそうしているわけではないから、俺の反応に言葉になっていない声を溢し、口をパクパクと動かした。  そんな柚子さんを見て、自然と口の端が上がる。だからそれも、ただ可愛いだけなんだと何回言えば分かるのか。 「ただの買い物なのに、柚子さんといると楽しいね」 「揶揄ってる?」 「全然。本気で言ってるよ」 「……ふぅん」  変わらず唇を突き出したままで、柚子さんがスタスタと先を歩く。俺は小走りで追いつき、隣に並んだ。 「橘くん、」  寄り道をしながら店内を回り、メインの鶏肉コーナーの前に来た時、柚子さんが俺の名前を呼び、服の裾を掴んだ。  急に可愛らしいことをするじゃんと、喜んで返事をすれば、「明日の朝は食パンが良いな」と一言。 「食パン? 良いよ」 「じゃあ俺食パン取ってくるから、橘くんはお肉選んでて。いっぱいね」  そんなの後で一緒に行けば良いのにと思ったけれど、そう伝える前に柚子さんは走って行ってしまった。  とりあえずすれ違いになるといけないから、早く選んで柚子さんのところに行こう。 「今日食べ切るし、割引になっているやつでいっか」  安くなった鶏肉を適当に取りカゴに入れると、すぐに柚子さんのいるだろうパンの売り場へと向かった。  確かマーガリンとジャムがあったよなぁと、柚子さん家の冷蔵庫の中を思い出しながら歩いていると、ちょうど前から食パンを持った柚子さんが歩いてきた。  俺がいつも食べているブランドで、パンの厚さも同じ。たまたまだろうけれど、そんなことですら嬉しいと思う。 「橘くんは食パンに何塗る?」  カゴに入れながら柚子さんがそんなことを聞くから、さっき俺もそれを考えていたところだと伝えると、一瞬だけキョトンとし、それから「同じじゃん」と少しだけ照れたように笑った。  可愛い。いっそのこと柚子さんを塗って食べてしまいたい。ここがスーパーでなければ、間違いなく触れているのに。 「えっと、確かマーガリンとジャムがあったはずだから、橘くんもそれで良い?」 「うん、十分だよ」  ジャムは苺でしょ? と確認すれば、よく覚えているねと、柚子さんが驚いた。そりゃあ頻繁に泊まっているからね。 「じゃあ野菜も鶏肉も食パンもあるから、もう買うものないね」 「うん。帰ってさっそく唐揚げ作ろう。柚子さん、楽しみだね」  ひとりだったら進んで作る料理ではないけれど、ふたりだったらそのハードルも低いから楽しみ。手作りの唐揚げなんていつぶりだろうか。  そんなことを考えながら、会計しに行こうとレジに向かって歩き出した時、小さな子どもが前から走ってきて俺に思いきりぶつかった。  年長さんくらいか? 小さくて可愛らしい男の子だ。  ぶつかる直前に気づいて対応できたから、男の子の顔にカゴが当たることはなかったけれど、正直かなり危なかった。 「こらこら……。お店で走ったら危ないだろ?」  俺はその子の手をそっと握り、目線が同じ高さになるようにその場にしゃがんだ。男の子は少しだけビクッとした後に、申し訳なさそうな顔をする。

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