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夕side2
「柚子さん、集中して」
「いや、だって、気になっちゃうよ。俺はマナーモードにしているから、これ多分、橘くんのほうだと思う。呼び出し長いし、出たほうが良いんじゃない?」
「急ぎの電話なんか来ないから、これも大したことないはず。無視する。後で確認して変な業者だったら許さない」
そうこうしているうちに電話が切られ、安心して行為の続きを始めようとした時、再度スマホが騒ぎ始めた。
内心いい加減にしろと苛立ちながら、それでも無視していると、今度は切れることなくなり続けている。
「ねぇ、橘くん。緊急の用事じゃない?」
「……そうは思わないけどね」
「出たほうが良いよ。俺、今日は断らないから」
「う……」
柚子さんになだめられ、結果的にあまりにもダサい状況に項垂れる。こんなことならさらりと電話に出て、何事もなかったかのようにまた触れれば良かった。
柚子さんにごめんねと謝り、頬にキスをしてから離れた。
それから鞄の中でうるさく鳴り続けるスマホを手にして画面を確認すると、発信者は母さんだった。
こんなに鳴らし続けることなんてこれまでなかったのに。……何の用なのかな。
緊張感を抱きながら通話ボタンを押す。
「もしもし」
『もしもし、夕?』
「うん、何かあったの? すごい鳴らすじゃん。緊急?」
何かあったのかと思いきや、声のトーンはいつもと変わらなければ、焦った様子もない。でも母さんが電話をかけてくることはめったにないから、それなりの用事ではあるのだろう。
『帰省だけど、あんた予定より早めに家に帰って来なさいよ』
「え?」
ちょっと待って。何を言うのかと思ったら、緊急でも何でもないうえに、帰省の話? こんなに鳴らしておいて? それに家に帰るのは来週以降の話でしょ。
「無理無理。だってこっちで遊ぶ約束入れてるし。最初に言っていた日に帰るから」
俺は一人暮らしをしているけれど、実際のところ実家は同じ県内にある。ただ学校に通うにしてはそれなりに距離があるのと、良い時間の電車がないのとで、大学近くに住ませてもらっている。
だから実家に帰ろうと思えば、いつでも帰ることはできるけれど、地元に帰ってくる友人との予定とか、こっちでの柚子さんや菜穂たちの予定を考えても、今からずっと実家にいるのはけっこう面倒だ。
『……そうよね、予定あるよね。じゃあちゃんと帰って来るのは最初に言っていた日で良いから、いったん明日帰って来て』
「え? 何で?」
『明日、龍ちゃんが来てくれるらしいのよ』
「は? 龍が? 明日?」
龍は俺の従兄で、実の兄みたいな存在だ。小さい頃からよく可愛がってもらっていて、親戚の中では一番仲が良い。
さっきまでこのタイミングの電話に苛立っていたのに、今はむしろしつこくかけてくれてありがとうという気持ちになる。
『龍ちゃんね、今年の夏は仕事が忙しいらしくて休みが取れないんだって』
「うん」
そう言えば、最近は海外と日本を行ったり来たりしているんだっけ?
『で、昨日から仕事でこっちに来てるらしくてね、明日帰る前にうちに寄ってくれるらしいのよ。夕だって会いたいでしょう? だから帰って来なさい』
「分かった。じゃあひとまず明日帰るわ」
にしても、そんなことなら龍が俺に直接連絡をくれれば良いのに。そうしなかったのは、俺に気を遣ってくれたのかな?
直接連絡を入れたら、俺が無理をしてでも絶対に帰って来ると分かっているだろうから。そういうところも、変わらず優しいな。
『夕方に寄ってくれるらしいから、お昼過ぎくらいには帰って来てね。泊まっても泊まらなくてもそこは自由で良いけど』
「う~ん。明後日みんなで海に行く予定入ってるから、泊まるのはやめとく」
『分かった。じゃあまた明日にね』
「うん」
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