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夕side2

「ふはっ、」  母さんの行動に思わず笑いがこぼれる。気づいた龍も、口を押さえて笑い出した。  母さんだけがひとり戸惑っていたけれど、途中で気付いたのか、はっとした様子で慌てて立ち上がった。 「私が座ったら窮屈になっちゃうね。龍くん、ごめんね。すぐに退くから」  母さんは謝りながら、俺と龍をゆったりとソファに座り直させる。それがまた、俺と龍の笑いのツボを刺激した。  だって笑った理由はそこではないし、確かに多少窮屈ではあったけれど、元々三人掛けのソファなのだから、何もおかしなことじゃあないのに。 「やっぱり母さんはズレてる」 「夕、それあんまり言っちゃダメだってば……ぷふっ、」 「龍だって笑ってんじゃん」 「あははっ」  本当、実家って落ち着くな。こうして何気ないことで笑えるし、龍にも久しぶりに会えたし。今日も橘家は安定して平和だ。  でも大丈夫かなと心配にもなる。今日は大切な話をするつもりで帰ってきたけれど、母さんはこんな感じでふわふわしているし、俺の言うことを理解してくれるだろうか。  どちらにせよ、父さんが帰宅してからじゃあないと話はできないけれど。 「あ、そうそう。龍くんは、ご飯どうする? 食べて帰る?」  テレビを見たり、龍の仕事の話を聞いたり、そうしてゆるりと過ごしていると、台所から母さんが叫んだ。  その声に、龍がソファから立ち上がる。 「や、今日は夜のバスでまた移動なんで。ここ出てから夕飯食べに実家に顔出して、それから向かうことにします」 「そっか、今日たまたまこっちに寄れただけなんだもんね。ごめんね、わざわざうちに来てもらって。家でゆっくりしたかっただろうに」 「いやいや、実家にはこの間電話して色々話してますし、夕の顔見たかったんで、全然大丈夫ですよ」  立ったまま母さんに頭を軽く下げ、それから龍は俺の髪をくしゃくしゃに撫でた。龍はこうしていつも俺のことを可愛がってくれる。子ども扱いをされているとも思うけれど、まあそれも嫌ではないから。  俺は大人しくして、されるがままでいることにした。   「そういやさ、夕はしばらくこっちにいるの?」  母さんとの会話が終わり、龍はソファに腰かけながら俺にそう聞いてきた。大学生の夏休みなんて羨ましすぎる、と言葉を付け足す。 「ううん。今日は夕飯食べたら、いったん帰るよ明日遊ぶ予定が入ってるからさ。またお盆に顔出すつもり」 「え~、中途半端だなぁ。もうこっちにいればいいんじゃない? 何? そんな大切な用事なわけ?」  俺の発言に何かを思ったらしく、龍が俺を見てニヤリと笑った。こんな顔をする時の龍はろくなことを考えていない。 「んだよ、さては女だな?」 「……いや、」  ほらね。母さんにも何も言われなかったから特に意識せずに伝えたけれど、こうして突っ込まれてしまうと気まずくなる。  そもそも柚子さんは女じゃあないし、明日の予定は柚子さんだけではなくてみんなで海だから、この質問は微妙に困るな。  違うと言ったところで違うことはないわけだし、そうだと言っても別にそうなわけでもないし。  適当に返事をすれば良いのに、否定してしまうとその後の話の時に困ってしまう。  俺は何も言えずにテーブルに置いてあるお茶に手を伸ばした時、タイミング良く父さんが帰ってきた。想定していたよりも早い帰宅だ。 「父さん、今日早くない? 仕事は?」  玄関まで走って迎えに行くと、変わらない父さんがいた。俺の顔を見て頬が緩む。 「夕、お帰り」 「父さんこそお帰り。今日早いじゃん」 「出張から直帰したんだよ。お前も龍も来るって言うから」  父さんはスーツを脱ぐと皺にならないようにすぐにハンガーにかけた。その間に母さんが飲み物を用意する。  父さんは大きく伸びをした後にネクタイを緩め、食事用のテーブルのいつもの定位置に座った。それから母さんが運んできたお茶を一気に流し込む。  ぷはーっと、まるで冷たいビールでも飲んでいるかのような反応に、何だか笑みがこぼれた。 「龍はもう少ししたら帰るんだろ? 間に合って良かったよ」 「なんか最近バタバタしてるんで。また落ち着いたらゆっくり顔出しに来ます」 「そうしてくれると俺も嬉しいよ。お前は二番目の息子みたいなものだからな」  父さんの言葉に、龍が照れたような反応をした。俺はそれを冷やかすようにして、肘で横腹を突く。

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