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夕side2

◇ 「海だ……」 「海……だな、」 「海だぜ! ひゃっふぅ!」  水着に着替えるやいなや、菜穂に続き高岡さんと良樹が海へと走って行ってしまった。  取り残された俺らで、とりあえず場所を確保し荷物を置く。  海に行くには少しだけ遠出をしなければならないこともあり、なかなか機会がないからか、今日はいつもよりみんなのテンションが高めだ。 「海、きれい」  いつも無表情で無口の壱も、見るからに嬉しそうに口角が上がっている。  俺も、もやもやしていたことが昨日でだいぶすっきりしたし、海は綺麗だし、天気も良いし、それに何より柚子さんが笑顔でいてくれるから、今日はとても楽しい一日になりそうだと、壱につられて俺の頬も緩む。 「ねぇ、柚子さん」     俺の隣に座ってボールに空気を入れ始めた柚子さんの名前を呼ぶと、ぷうっと頬を膨らましたまま顔を上げてくれた。 「ふはっ」  あまりにも可愛いその顔に、笑いが溢れる。 「ん?」  何? と返そうにもボールを膨らましている最中だから、言葉ではなく首を傾げて反応してくれる。それがまた、可愛くてたまらない。 「ねぇ、海の中でさ、いけないことする?」  柚子さんの隣に腰を下ろし、耳元でそう囁きながら、柚子さんの背中を指先でなぞってみると、想像通りにびくりと肩を震わせる。 「ばっ……か!」  ボールから口を離し、そう叫んだ柚子さんの頬が真っ赤で可愛い。今度はふたりきりで海に来ようと、密かにそんなことを考えた。 「浮き輪はさ、いくつか持って来てるけれど、柚子さんも壱も使わないだろ? 菜穂はもう泳いでるからいらないみたいだし、とりあえず千夏の分だけでいい?」  壱と柚子さんに確認すると、ふたりとも頷いて、手で丸を作ってくれた。 「あとは、必要になった時にでも。空気、抜くのが大変」  そう言って、壱がピンク色の浮き輪を握りしめている千夏に、それに空気を入れるから貸してと手を伸ばした。けれど、千夏はさらに浮き輪を握りしめ、なかなか渡そうとしない。 「私、浮き輪……自分で膨らますよ……! だって、これに空気入れるの、大変だもの……」  少しずつ語尾が小さくなり、肩も下がっていく。その姿に、壱がくすりと笑った。 「大丈夫だよ」 「うんうん、俺と壱で空気入れるからさ」  千夏はすぐに遠慮してしまうところがあるから、今回も迷惑をかけられないと思ったのだろう。  まぁだからこそ、遠慮のない菜穂と良樹、遠慮しがちな千夏と壱、中間くらいにいる俺でバランスが取れているんだよね。  そこに遠慮してしまう柚子さんと、少しだけ遠慮しない側のグループにいる高岡さん。  俺たちが仲良くなれたのは、きっとこれも影響しているはず。  大丈夫だよと繰り返し、俺は千夏から浮き輪を預かった。よく見たら小さな白のドット柄で、可愛いねと言うと千夏が微笑んだ。 「さすがにこれに息を吐いて空気を入れるのは大変だから、裏技使うよ。壱、袋とストロー出して」 「はい、どうぞ」 「えっ、袋とストロー?」 「うん。まず袋にこうして空気を入れて、このストローを……」 「わっ! なるほど!」  簡単に空気を入れられる方法を、たまたま朝のテレビで見かけて覚えていただけだったけれど、思ったより役に立つ方法で良かった。 「膨らんだ!」  壱とふたりで協力して、大きな浮き輪にあっという間に空気が入った。それを見ていた柚子さんと千夏が、「うわぁ!」と声を出し拍手をしてくれた。  けれど柚子さんはすぐに拍手をやめ、俺の腰あたりを指で突く。 「ねぇ、簡単に膨らませられる方法を知っているんだったら、俺のボールもその方法でやってくれたら良かったのに。ひとりであんなに頑張ってさ。橘くん見てたよね?」  浮き輪に比べたらサイズはかなり小さいけれど、けっこう大変だったんだよ、と柚子さんが拗ねた顔をした。 「いや、元々ボールもこの方法で膨らますつもりだったんだけどさ、」  あんなふうに、ぷうっと膨れた可愛い顔を見せられてしまったら、袋を使って膨らまそうとは言えないでしょ。もったいなさすぎる。いつまでも見ていたい顔だったんだから。 「けど、何?」 「まぁ、それはもう良いじゃん」  そんなことより早く海に入ろうと、柚子さんの手を引いたタイミングで、隣にいた壱と千夏が先に海へと走って行った。 「ほら、行こうよ」 「……わっ、」  ふたりに追いつこうと、強く柚子さんの手を引っ張ると、曖昧にされたことに納得いかない顔をするものの、すぐに笑顔に戻ってくれた。 「柚子さん、早く!」 「待って、走るの早い! ってか、ボールは!?」 「ボールは持ってるよ! だから早く行こう!」  先に楽しんでいるみんなの元へダッシュし、思いきり海へと飛び込んだ。

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