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この世界で、君と。
さっきまで和やかな雰囲気だったのに、俺が真面目に話し始めたせいで、父さんと母さんが固まってしまった。
父さんは握っていたコップをテーブルに置いてしまうし、母さんはご飯を口に運ぶのをやめて皿の上に箸を置いた。
……ううん、違うんだよ。もう、苦しくて嫌な話はしないから。
少しどころかかなり構えてしまった表情のふたりに、本当にたくさんの心配をさせてしまっていたのだと、改めて申し訳なくなる。
「大学でね、良くしてくれる友人ができたと、前にそれだけは言っていたよね? その人、高岡って言うのだけれど、今でもすごく良くしてくれるし、親友と呼べるくらいに仲良くなったんだ」
俺のその言葉に、良かったとふたりの顔が綻ぶ。俺も応えるように、笑顔を返した。
単純な父さんは再びコップを手に取り、冷えたビールを流し込むと、「カーッ」と言って笑った。
そんな父さんを見て、呆れながらも母さんが笑う。
「それからね、仲の良い後輩もできたんだよ。五人もね。みんな素直で優しくて素敵な子ばかりで、俺にすごく懐いてくれる。毎日が、今までの何十倍も何百倍も楽しいって、そう思うようになったんだ。この間はみんなで海にも行ったの」
さっきまで笑っていた母さんの目に、涙が滲んだ。泣かせるつもりはなかったのだけれど、話している俺もなんだか泣きそうになってくる。声が震え、それを誤魔化すように口角を上げた。
「好きな人もできた。やっぱり好きになるのは、男の人だけれど。俺はどうしても男の人しか好きにはなれないみたいだ。それで今までたくさん嫌な思いもしたし、父さんにも母さんにも迷惑をたくさんかけたし、心配もさせた。でもね、俺のことを大切に育ててくれた父さんと母さんみたいに、相手の人もすごく素敵な人なんだ。……さっき、後輩ができたって言ったよね? その中の、一人なんだけど」
話をしながら、ふと、橘くんがそこにいるような気持ちになった。柚子さん、と名前を呼び、頑張って話をする俺を支えてくれているような気がする。
そっと目を閉じると、堪えていた涙がこぼれ落ちた。
「その人とはね、お付き合いしているんだ。彼は俺みたいに、男の人しか好きになれないわけじゃあない。それでもね、俺のことを好きだって言ってくれるし、大切にしてくれる。その人……橘くんって言うんだけど、彼のおかげで、色んなことが変わったの」
橘くんは何もしてないと、いつもそう言うけれど、俺はやっぱりやっぱり橘くんのおかげだと、そう思っているよ。
あの日、全てが終わったかのような気持ちで泣きながら歩いていた俺を見つけ、失礼なことをしたにも関わらず探してくれ、そしてこんな俺のことを好きだと言ってくれるのだから。
今までほしくても手に入らなかった環境や感情、存在、ありとあらゆるものが橘くんのおかげで俺のもとに来てくれたと思う。
高岡はまた少し違うけれど、菜穂ちゃんたちに出会えたのも橘くんのおかげだ。
みんなに囲まれて毎日を楽しく笑顔で過ごせることは、本当に嬉しいし幸せ。そんな生活が、生きているうちに叶うとは思ってもみなかった。
「橘くんと付き合ってることがね、この間高岡とその後輩たちにバレてしまって、ああまた居場所がなくなるんだろうなとそう思ったし、付き合っている橘くんにも申し訳ないなと思ったんだよね。……今までのことを考えたら色々と怖かった」
俺はどうしたって同性しか好きになれないし、受け入れてもらえないことはもちろん、そういう人もいるのだと、それさえも理解が得られない日々を送ってきた。
けれど、これまでの経験を吹き飛ばすかのように、みんながこんな俺を受け入れてくれた。過去の嫌な出来事も全てここに繋がっていたかと思えば、これまでの自分のことを俺自身が大切にできそうな気がするんだ。
「だけどね、誰一人として俺のこと軽蔑しなかったんだ。……びっくりした。みんなね、こんな俺のことを好きだと、そう言ってくれたの。そんなことで友だちやめるわけないだろって」
母さんが、完全に泣いてしまった。顔を手で覆い、肩を震わせている。
俺がゲイだと知ったあの日、俺を抱きしめて泣いていた時みたいに、ぼろぼろと涙が落ちていく。
父さんは俺とは視線を合わせずに、少し上を見上げている。
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