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この世界で、君と。

「思ってることが、分かるんじゃあないの……」  恥ずかしさを処理できないまま、意地悪を言って拗ねてみせることしかできない俺に、橘くんは眉根を寄せて困った表情をした。  でも何を考えているのか分かってしまう。これは、やってしまったと思いながらも、そんなこと言うなんて可愛すぎるし嬉しいって顔だ。  自分で言うのもなんだけれど、橘くんが俺のことを好きだとか可愛いだとか思う時は、その感情が視線にあらわれていると思う。  以前に、目を見れば嘘を言っていないと分かる、みたいなことを橘くんに言われたけれど、本当にその通りだ。  そして何を考えているか分かってしまうから、分かったら分かったで、それも恥ずかしくなってしまう。 「柚子」 「え?」 「柚子、」 「……あっ、」 「ころころ表情をかえてるけど、何を考えているの?」    ふはっと、目を細めて笑う橘くんが輝いて見え、俺は咄嗟に胸を押さえた。その視線と表情の組み合わせの威力ときたら。  俺は勇気を出して呼び捨てしたのに、余裕で呼び捨て返しをされ、それだけでも全身に心臓があるみたいにうるさいというのに。  こうしてトキメキで攻撃されてしまうと身がもたない。出会ってそれなりに経ったはずなのに、彼の横で平然と過ごせる日がくるのだろうか。   「どうして今呼ぶの」 「柚子さんが呼んだからお返しだよ」  橘くんに呼ばれる「柚子さん」も「きーちゃん」にもまだ慣れないのに。  結局俺ばかりが振り回されているように思う。嬉しいのに悔しい。  唇を突き出し、その余裕さが気に入らないと主張すると、それさえも可愛いと言われ、唇を奪われる。それから耳元で「俺を呼び捨てにするってことは、呼び捨てにされたかったってこと?」と囁かれた。 「……ばっか! もう呼び捨てにしない」 「どうして?」 「だって、」 「ねぇ、柚子。どうして呼び捨てにしないの?」 「うあ! やめてよ……!」  頬の熱どころか全身の体温が一気に上がる。自分がこんなにも感情を剥き出しにできることにも驚くし、やられっぱなしなことに悔しさもある。  顔を赤くして怒り、何を言われても反応しないようにと耳を塞いでみるも、無防備になった鼻や唇をいじめられるから、しゃがみ込んで膝で顔を隠した。  座って耳を塞ぐと、いつもより自分の心臓の音がはっきりと聞こえる。これだけ鼓動が早くなったら、俺、死ぬんじゃあないかな。  それこそ今この心音を聞かれるだけでも死んでしまうかもしれない。 「橘くんさあ……!」 「橘じゃあないでしょ」 「え? ……あ、」 「俺のこと、ちゃんと夕って呼んで、」  何かやり返そうと思っても結局こうして橘くんのペースに巻き込まれてしまう。  こんなことなら呼び捨てにしなければ良かった! でもここまできたら俺だってやるしかない。 「……ゆ、う」 「ん?」 「……ゆ、う!」 「んー?」 「……夕!」 「なぁに?」  何回も呼ばせるなよ! と強めに睨めば、「やっと顔を上げてくれた」と橘くんは意地悪く笑った。  優しい時と意地悪な時、振り回す時のギャップが激しすぎる。けれど、彼に見つめられたらもう、どんなに恥ずかしくても頭がいっぱいになっても、すぐに許してしまうし、さらに好きが募るだけなんだ。  座ったままで手を広げると、橘くんが口を開けて笑い、俺の胸に飛び込んできた。ふたりでカーペットの上に転がる。 「橘くんって、意地悪だね」 「好きな子には意地悪したくなるって言うしね」 「それでも俺は、甘やされるほうが嬉しいけどね」 「俺の本気を見ていないからそんなこと言えるんだよ。やっぱりやめて、なんて無しだからね。俺の愛をみくびるなよ」 「み、みくびってないし。望むところだ……!」 「ははっ、見てろよ」 「俺だって……!」  寝転んだままで橘くんに擦り寄り、その胸に顔を埋めた。  「それだけでいっぱいいっぱいなくせに、本当に可愛い人だな」と頭上で彼の声がする。 「……うるさいよ」 「はいはい」  ずっとずっと俺を橘くんでいっぱいにして、可愛い人だとそう言い続けてね。   「ご飯いったん冷蔵庫入れる?」 「いい。しばらくしたら食べるから、もう少し橘くんとこうしていたい」  背中に手を回し、強く抱きしめた。 「甘えん坊さん」  抱きしめ返してくれた橘くんの心臓の音を聞きながら、ほんの少しだけ目を閉じた。

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