4 / 6
第4話
木下が真正会寄りの立場でいるうちは話せない。知らずにいることが、身を守ることもある。代わりに、佐和紀は深くうなずいて返した。
「あいつは、ぜんぶ知っている。気にしなくてもいいよ。それよりも、おまえのことだ。女を口説き落として、カタをつける算段ができたら言えよ。……手を貸す」
「は?」
今度は木下が驚き、目を丸くした。その手から煙草をそっと引き抜き、消して捨てる。
「それほど時間はない。金か、実力行使か……。でも、相手がおまえに惚れてなかったら、手は貸せない。裏切られるのがオチだ」
「……惚れ、させる」
生唾を飲み込むように喉を鳴らし、木下は両手の拳をぎゅっと握りしめた。ずいぶんな覚悟だと思いながら、佐和紀は顔を上げる。物音に気づいて、部屋の奥を見た。
帰ってきた直登の声が玄関から響き、駆け込んでくる足音が続く。
「やっぱり、帰ってたんだ!」
木下を見て満面の笑顔になるが、百九十センチもある高身長だ。表情ほどのかわいげはない。大型犬がちぎれんばかりに尻尾を振り回す趣きだ。
「ちゃんと買い物できた?」
佐和紀が声をかけると、ビニールの買い物袋が差し出される。その手首には、買ってくるものが黒いペンで書きつけられていた。
袋の中からレシートだけを取り出し、眼鏡を指で押し上げながら確認する。ついでのように木下へ声をかけた。
「トモ、三人でご飯にしよう。近所の店にするから、いいだろ」
すぐに解放するつもりで言うと、木下の視線がちらっと直登へ向いた。
見えない尻尾を振り回すような屈託のなさに肩を落とす。木下の負けだ。久しぶりに見た光景は微笑ましく、佐和紀は頬をゆるめた。
「じゃあ、決まり。ナオ、買い物は成功だ。おつりもちゃんと合ってる。おつかれさん」
佐和紀の伸ばした手のひらに、直登はほんの少しだけ頬を近づけてきた。腰を屈め、安心しきった表情で、褒められたことを素直に喜んでいる。
「犬か……」
顔を引きつらせた木下はあとずさり、こらえきれずに明るく笑い出した。
三人の間に流れる、ごく普通の暮らしの匂いが佐和紀の胸に沁み渡る。
兄弟でも家族でもないのに、気安さと遠慮が入り混じり、肩を寄せ合うわびしさの中に温かさがある。それは、かつて横須賀で触れて以降、佐和紀が得られなかった暮らしだ。
「犬っていえば……」
木下が振り向く。
「サーシャ。あんたさ、誰の『犬』をやってんの?」
「横澤を舐める以外に仕事なんかねぇよ」
さりげなさを装った探りに肩をすくめ、見え透いた嘘をつく。もの言いの下品さに、直登がむっすりと不満げな顔をした。
***
フロアの中央に、見上げるほど大きなクリスマスツリーが飾られ、年末が差し迫りつつある夜の社交場は賑やかだ。
非合法なカジノパーティーだが、セレブを集めたハイソサイティな懇親会でもある。
会場にはきらびやかな美女も多く、背中がざっくり開いたドレスや、スリットがきわどいドレスが妖艶で魅力的だった。目の保養にもなる。
「その顔で、女も好きとか、やめてくれ」
ジントニックのグラスを手にしてぼやくのは、信貴組(しぎぐみ)若頭の堀田だ。
女たちのしなやかな身体つきを眺めていた佐和紀は、流し目を向けながら、くちびるの端を引きあげた。
「顔は関係ないだろ。男に好かれる顔だからって、男の身体が好きなわけじゃない」
美園からの依頼を受けた堀田が今夜のサポート役だ。塚越に近づくため、行動を共にしている。これまでの接触は、小規模の裏カジノで短い会話を交わしたのが三回と、中規模の催しが一回。今度はさらに催しの規模が大きい。参加者も桁違いだ。
堀田の装いもいつもと違い、襟の細いブラックスーツにボルドー色のネクタイ、髪はかきあげて固めた『よそゆきスタイル』になっている。ほどよい若々しさに加えて見目が良く、フォーマルな場ではヤクザ臭を消せる器用さも持ち合わせていた。
堀田よりもさらにドレッシーに決めた佐和紀は、眼鏡をコンタクトレンズに替え、髪をサイドへ流している。カジュアルタキシードの下には控えめなフリルのドレスシャツ。細いリボンタイは、しどけなく結んだ。
「女の話なんて聞いたこともないけど?」
堀田に言われて、佐和紀は肩をすくめた。
「それはそうだよ。見てるだけなんだから……。俺のモノはチェリーなんだ。りっちゃんとは違う」
ショートカクテルのグラスに口をつけると、横顔を睨まれる。
堀田が所属する信貴組・組長のひとり息子である律哉は、彼の恋人であり、佐和紀の友人だ。馴れそめはよく知らないが、堀田の独占欲が相当に強いことは熟知している。
「後ろはバージンだった」
ぎゅっと眉根を引き絞った返しは苦々しい。堀田自身が疑心暗鬼を抱えていると知っていて佐和紀はわざとしらじらしい口調で言った。
「それも、本当かどうか……。確かめようがないね」
「言うな、言うな。……言うなよ」
盛大なため息をつき、堀田はくるりとターンした。背にしていたカウンターへもたれて、ジントニックを飲み干す。
大事にしている律哉は、アイドル顔負けの愛らしい見た目を大きく裏切って男気に溢れている。それだけならいいが、フットワークの軽さに加えて好奇心が旺盛すぎて問題だ。
好き勝手に行動したいがために実家のヤクザ稼業と距離を置き、一方では実家生活を続けながら、ヤンチャに遊び回っている。そして、夜の街の女の子を相手に男気を発動しては、一悶着を起こすのだ。
「諒ちゃん。それで、あの件は?」
律哉がヤキモチを焼いて嫌がる愛称で呼びかけ、ブラックスーツの肩へ手を置く。新しいカクテルを頼んだ堀田は、佐和紀の手をそのままにして質問に答えた。
「あの女と最後に会ったのは、去年の夏ぐらいって話だ」
佐和紀が依頼したのは、これから取り込む塚越と北関東で活動している由紀子の関係についてだった。そして、彼らに付随する、もうひとりの女について。
「そのときに、譲り受けた女がいるらしい。名前はカナコだ」
報告の続きを、佐和紀は黙って聞いた。
塚越の屋敷で飼われている愛人が、銀座のキャバレーで競り合った加奈子(かなこ)であることは桜河会の若頭補佐・道元から聞いている。最後に会って三年が経ち、思い出すこともなかった女だ。
佐和紀との勝負に敗れたことで、事件の黒幕だった由紀子の怒りを買っていたとしてもおかしくはない。それなりの代償を支払ったことは想像がついた。
しばらく銀座でホステスを続け、京都へ送られて、当時は由紀子の愛人だった道元のオンナとなり、しばらくの空白期間があって塚越へと払い下げられたのだ。
ひとりの女をまるで荷物のように扱う由紀子や道元には反吐が出る。しかし、裏社会では珍しいことではない。
「あの女とふたりで会ってる話は聞かないけど、本郷(ほんごう)って男がマルタイの家に出入りしている」
マルタイは塚越を示す隠語だ。対象者の意味でもある。
「本郷っていうのは関東者で、大滝組にいたヤクザだ。ふたりで真正会に出入りしている。そいつを通じて、あの女とマルタイが連絡を取り合っている可能性が高い」
本郷を知っているかと目配せされ、佐和紀はとぼけた。
実際は、同じ釜の飯を食っていた兄弟分だ。古巣のこおろぎ組で一緒だった。
「そっか。わかった。……どの筋から聞いた話?」
「仕事仲間だ」
新しいジントニックを受け取った堀田が眉根を曇らせる。
「サーシャ。なにをするつもりで……」
塚越に近づいて、それからの話だ。佐和紀は無表情に答えた。
「聞かないでいいこともある。俺の仕事には美園が絡んでる。それは承知してるだろ? 言われたことだけやっていれば、悪いことにはならない」
「つまり、うちの坊(ボン)とサーシャの友情に、美園さんが配慮してるって話なのか」
堀田はいっそう眉根を引き絞った。苦々しい表情がすっきりとした美形に映える。
「まぁ、そういうことになるのかな」
高山組系阪奈会に属していても、堀田の所属する信貴組はシノギの小さな組だ。真正会との抗争が始まれば、悪目立ちが仇になる。いいところだけに噛ませておき、新組織となった高山組の中で生き延びて欲しい。
ともだちにシェアしよう!

